須賀敦子さんがシモーヌ・ヴェイユについて書いた「世界をよこにつなげる思想」という文章があります(『本に読まれて』所収、全集第4巻収録)。

 この夏、一九六〇年から七一年まで私がミラノで深くかかわっていたコルシア・デイ・セルヴィ書店の、創立当時の精神というのか、思想の系譜をしらべる必要があって、家の本棚をさがしたら、ヴェイユの著作と評伝などをふくむざっと二十五冊ほどの本が、エマニュエル・ムニエやシャルル・ペギーの著作と隣りあってならんでいて、その数の意外な多さに驚いた。フランス語の原書も、イタリア語のものも、まじっていて、その中の何冊かは、死んだ夫の蔵書だったから、かならずしも私が読んだとはかぎらないのだけれど、それにしても、二ダースを超すヴェイユの、あるいはヴェイユについての本と、おなじ屋根の下で暮らしていたとは、思いがけなかった。

 大学院時代にヴェイユを読みはじめた須賀さんは、「ヴェイユの信条に、息もできないほど感動していた時代があった」と書いています。この文章はもともと、シモーヌ・ヴェイユの『カイエ』(1~4)の第4巻に挟まれた月報に寄稿されたものでした。今回の特集では、その『カイエ』の翻訳者であり、ヴェイユの思想を専門とする冨原眞弓さんに、「アッシジのヴェイユと須賀敦子――そして丘をおりていく」と題する原稿をお寄せいただいています。

 ヴェイユがはじめてアッシジを訪れたのが1937年。須賀さんはその17年後、やはりアッシジを訪ねています。

 留学していたパリの喧騒と自身の焦燥から逃れるようにやってきた、陽光あふれるイタリア、そのウムブリアの小邑アッシジ、さらにそのサン・ダミアーノの小さな庭、すなわち「聖キアラの庭」で、須賀はひとつの体験をする。フランチェスコが「太陽の讃歌」をうたったとされる「庭とは名ばかり、三方を高い石の壁にかこまれた一坪ほどの細長い空間」に立って、須賀はふかく思いをめぐらした。

 シモーヌ・ヴェイユと須賀敦子。この二人は、ともに聖フランチェスコゆかりの「聖キアラの庭」で、その後の人生に深くかかわる、霊的といってもいい体験をしています。それはいったいどのようなものだったのか――。冨原さんは、ヴェイユと須賀敦子、二人のアッシジでの体験を重ねあわせながら、二人に共通する決意を探ってゆきます。

 さて、須賀さんが遺された蔵書のうち洋書のほとんどは、現在イタリア文化会館に寄託されているのですが、冒頭に引いた文章のとおり、ヴェイユの本が多く含まれていました。そのなかに、須賀さんがつくらせたと思われる「莉珂須賀蔵書之記」という蔵書印の押されたイタリア語版『神を待ちのぞむ』がありました。この本については、蔵書印のある扉ページ写真とともに、本誌巻末の「編集部の手帖」でもご紹介しています。また「編集部の手帖」には、詩人でもあった夫のジュゼッペ・リッカ(ペッピーノ)が亡くなったあと、コルシア書店の友人たちと須賀さんが編んだ詩集についても触れています。この小さな本をぱらぱらめくっていて目についたのが、須賀さんのことが書かれたと思しき一篇の詩。どうしても読みたくなって、翻訳者の望月紀子さんに訳していただきました。こちらもご紹介していますので、「アッシジのヴェイユと須賀敦子」とあわせてぜひごらんください。