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坂本龍一『音楽は自由にする』(新潮社)

 雑誌「ENGINE」での連載を愛読していました。そうか、鈴木正文さんが聞き手だと、こういうふうに素直なかまえないスタイルで、これまでの半生について語ってもらえるのか、と編集者としては鈴木さんに少し嫉妬のようなものを覚えながら毎回読むのをたのしみにしていました。

 単行本化されてあらためて読み直して、このぼそぼそとつぶやくような話体の文章の魅力がどこから来るのかがよくわかったような気がします。単行本のために書かれた「はじめに」のなかに、坂本さんがこの仕事を引き受けたときの気持ちがきちんと書いてあるからです。

「現在ぼくは、音楽を職業としています。でも、どうしてそうなったのか、自分でもよくわからない。音楽家になろうと思ってなったわけではないし、そもそも、ぼくは子どものころから、何かになるとか、何かになろうとするとか、そういうことをとても不思議に感じていました」(「はじめに」)

 親の仕事を継ぐということでなければ、職業というものは、偶然の積み重なり以外の何ものでもない。27年にわたって編集者を続けてきた私のようなものでも、つくづくそう思います。しかし最近は、中学生ぐらいから、将来自分が就く仕事についてのイメージトレーニングのようなものを学校や親や社会からじわじわと強制される。子どもは息苦しいと感じることもあるのではないか。

 内田樹さんが「労働」についてこう書かれていたことがあります。「人間はなぜ労働するのかということの意味は労働を通じてしか理解されない」。そして、「残念ながら、若い人がその最初の就業機会において、適性にぴたりと合致し、それゆえ潜在的才能を遺憾なく発揮でき、結果的にクリエイティヴな成果を上げ、久しきにわたって潤沢な年収をもたらすような仕事に出会う確率は限りなく低い。ほとんどゼロと申し上げてよろしいであろう」(『ひとりでは生きられないのも芸のうち』)

 さらにいえば、音楽をつくるとか、絵を描くとか、小説を書くというような、最初のうちは誰に頼まれたのでもなく、その人から生み出されたものにどれぐらい価値があるのかどうかもわからない芸術について、それぞれを「職業」として意識するのは、いっそうむずかしいことでしょう。それはほとんど他人に決めてもらうものでしかない。坂本さんがどうして音楽を職業にするようになったのか、「自分でもよくわからない」と書いているのは、まったくそのとおりのことなのだとおもいます。

 ただ、坂本さんを音楽の世界へと否応なく引きずりこんだものは、たしかにある。人生の計画や将来の夢とは無縁の、突然むこうからやってくる初源の経験のようなもの。おそらくこのような経験は誰にでも訪れるものではない。坂本さんのなかにそれまでに蓄積されてきたものと、感応する才能が備わっていなければ、この瞬間をとらえることはなかったはずです。それは、中学二年生のときに出会ったドビュッシーの音楽です。

「それは、自分の知っているどんな音楽とも違っていました。好きだったバッハやベートーヴェンとは全然違う。ビートルズとももちろん違う。聴いたとたんに、なんだこれは、と興奮して、すっかりドビュッシーにとりつかれてしまった。
 あまりに夢中になってドビュッシーに共感して、自我が溶け合ってくるというか、もうずっと昔に死んでしまっているドビュッシーのことが自分のことのように思えてきた。自分はドビュッシーの生まれ変わりのような気がしたんです。おれはなんでこんなところに住んでいるのか、どうして日本語をしゃべっているのか、なんて思うぐらい」(「ドビュッシーの衝撃」)

「中学生の男子」などというものは、むやみに不安定で、もやもやとした星雲のようなものまで内側に抱えていて、もうほとんどはち切れてしまう寸前、というような存在です。そんなときにしか、このような強い経験は訪れないかもしれません。坂本さんが結果的に職業としての音楽家の道へと進んでいったひとつの契機には、このような初源の経験があり、それを抑圧して蓋をしてしまうことがなかったからではないか、とおもいます。

 ところが、です。坂本さんはそういう初源の経験の延長線上にいながら、いっぽうでこんなことも思う人なのです(やはり、「はじめに」からの引用)。

「音楽というのは『時間芸術』だといわれています。リニアな時間の中で、何か変化を起こしていくという創作活動、であるらしい。そういう意味では、ぼくはそもそも音楽を作るのが得意じゃないのかも知れない。でも、そういうのは学習すれば習得できることです。人為的・作為的なものは、ルールを学べばできるようになる。
 ルールを覚えて、そのルールどおりにものごとを並べる。たぶん一般的に、成長するというのは、それができるようになることなんだろうと思います。でもぼくの場合、それに対する齟齬が、いつもいつもあった。学習すればやれるようにはなるけれど、何かちょっと生理的に、そういうことがぼくには合わないようです」

 坂本龍一という人と、坂本龍一という人がつくりだすものに、いつまでも手あかのようなものがつかず、魅力的であり続けているのは、このようにして成熟を意識することなく生きている坂本龍一という人の、生き方からやってくるものなのだ、と本書を読んで深く納得します。まあ余計なことかもしれませんが、もし働くということに根源的な不安を覚える若い人がいたならば、この本を読んで、漠然とした不安をもっと徹底的に、正面から見据えてみるのも、いいかもしれません。考えに考えた末の諦念のうえに立って、働くということについての前進姿勢を獲得するやり方だって、あってもいいんじゃないかと思うからです。
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