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永倉万治『大熱血闘病記』(角川書店・絶版)

 はじめて永倉万治さんにお目にかかったのは、永倉さんが入院されていたときのことでした。脳溢血で倒れられて、一ヶ月ほど経過し入院加療中であった永倉さんのところへ、わざわざ押しかけることになったのは、永倉さんのはじめての小説集『みんなアフリカ』が山本周五郎賞の最終候補になり、惜しくも受賞をのがす結果になった翌日のことでした。

 四十歳を少し過ぎたばかりの永倉さんは、眠る間もおしむように原稿を書き続けていて、つまりその過労が病気を引き起こすひとつの引き金にもなったのだと思います。

 倒れる直前まで永倉さんのエッセイは、あれやこれやの雑誌のそこここに飄々と登場していました。それを見つければそのまま読まずにはいられない勢いが永倉さんの書くものにはありました。湿度の低い、カラリとした、でもフッと笑いたくなるようなものがぽろぽろと行間からこぼれ落ちてくる。人のかわいいところや駄目なところがいっしょくたになって描かれるあたたかみのある永倉節は、つぎがまた読みたくなる習慣性がありました。

 エッセイストとしてバリバリと音をたてて走るような活躍をされていた永倉さんが、はじめての小説集を出されてまもなく倒れられた後の闘病の記録は、この『大熱血闘病記』にくわしく書かれています。入院直後の失語症の状態から、時間をかけてじわじわと恢復し、言葉をふたたび取り戻してゆく様子は、永倉さんがエッセイを書きながら培ってきた自家薬籠中のユーモアを自由自在に繰り出しながら描かれていて、いわゆる闘病記にただよう深刻さとは無縁です。

 言葉を扱うことを仕事にしていなくても、倒れて言葉を失うことはおそろしい。しかし、書くことを職業にして、書くことで生活をしている人で、これから小説をつぎつぎに書いていこうとしている矢先の出来事であったなら、それは想像できないような、たえがたい事態だとおもいます。しかし永倉さんの闘病は、どこか自分の状態を苦笑いしながら乗り切ろうとしている気配がありました。それはおそらく永倉さんならではのふるまいで、永倉さんは亡くなるまで杖をついて歩きながら、私たちをくすぐるようにして笑わせようとし続けたのです。

 お見舞いとご報告でうかがって以来、正式に担当編集者となった私は、永倉さんとの編集者としてのおつきあいが、瞬く間にたのしいものに変わっていきました。そのたのしさは、やがて畏敬する気持ちにもつながっていき、自分にとって余人をもってかえがたい関係へと育ってゆくことになります。原稿をいただきに何度となく通った和光市のご自宅の様子が、いまもなつかしく思い出されます。

 永倉さんの本をとつぜんひっぱりだしてきたのは、最近読んだ本、『プルーストとイカ』(メアリアン・ウルフ著 小松淳子訳)がとても面白く、もし永倉さんがいまも元気でいらしたら、この本を読んで、「おれはね、すごく納得しちゃった。書いたり読んだり気楽にやってるけどさ、脳ってのはさ、ある意味でたいへんな思いをして、がんばって、汗水たらして読んだり書いたりしてたんだねー。いやあ、脳にわるいことしたなぁ。おれ今からでも謝りたい気持ちだよ。いやほんとに。ごくろうさんっていいたいね」──というような感想をおっしゃったのではないか、と妄想したからです。今回の本棚はじつはこの『プルーストとイカ』について書こうとしたのですが、永倉さんの本についてのご紹介になってしまいました。

 人類が文字を読むことを発明したこの数千年前から現在にいたるまでの脳のはたらきの変化について、これほど明快に書かれたものはなかったような気がします。なかでも意表をつかれたのは、文字を読んだり書いたりすることが、もともと人類の脳にそなわっていた「視覚」や「話し言葉」の基本的な機能を、相互補完的につなぎあわせて「なんとかして」つくりだした新しいはたらきである、ということでした。したがって今でもしばしば「読字障害」とよばれる「うまれつき書かれた文字を読むことに困難をおぼえる」人々が少なからず存在しているらしい。本や雑誌をつくる仕事をしている私にとって、この本から与えられた驚きの幅は、じつに広いものでした。私の頭のなかにある海馬の奥深くで、漂うように眠っていたはずの永倉さんまで起きだしてきたのですから。

 というわけで、この『プルーストとイカ』については、次回の本棚でご紹介することにします。
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