Kangaeruhito HTML Mail Magazine 336
 

メアリアン・ウルフ 小松淳子訳
『プルーストとイカ』(インターシフト)

 大きなマッチ箱に片手をつっこみ、鷲づかみにしたマッチを空中に放り投げる。バラバラに宙に舞うマッチを見上げた人が、マッチが床の上に落ちる直前に「397本」と言い当てる。あるいは、「2096年4月30日は何曜日?」と質問すると、ほんの数秒だけ目をつぶって自分の脳裏を見るような表情になり、「水曜日」と言い当てる(もちろんほんとうに水曜日かどうかはわかりません)。こんな特殊な能力を持つ人がいるらしい。

 彼らは日常的な精神活動にさまざまな問題をかかえている場合がほとんどで(自閉性障害や知的障害など)、現在はそのような特殊な能力を持つ人々をサヴァン症候群と呼んでいるようです。どうしてそのようなことが起こるのか? 脳の機能障害との因果関係が指摘されてはいるものの、こうした「超能力」とでも呼びたくなる認知活動は、脳のどのような機能が賦活されることで可能になるのか──この疑問には、まだ正確には答えられないのが現状であるらしい。脳のシステムの未知の領域はまだまだ広大です。

 本書のサブタイトルは「読書は脳をどのように変えるのか?」。書かれた文字を読むとき、脳の機能はどのように働いているのでしょうか。私は本書を読むまで、その機能の詳しい成り立ちについてまったく知りませんでした。著者はアメリカのタフツ大学で小児発達学と認知神経科学を専門とする教授です。研究対象は「言語」と「読字」、そして「ディスレクシア」(=読字障害)。本書のなかで、著者自身の子どももディスレクシアであることが明かされています。

 著者は書かれた文字を読むことについて、こう書いています。 「読むという行為は自然なことではない」。話し言葉は、脳のなかにすでにその役割を果たす部位がある。ところが、文字を読むには、話し言葉をつかさどる部位ばかりではなく、視覚を担う領域や、そのほかの部位を連携させる必要があり、そうしてあたらしい接続を生み出すことによって、「なんとか」可能になっているらしいのです。

 人類が文字を発明したのは、たかだか数千年前のことにすぎません。訳者あとがきにもあるように、世界には現在約3000の言語があり、そのうち文字を持っている言語はわずか78しかないといいます。その事実を考えるだけでも、読み書き能力というものが、人類の脳にとってはまだ開発途上の、ゆらぎのなかにある能力なのかもしれない、ということに気づかされます。

 たとえば、漢字、ひらがな、カタカナが混じる日本語を読む場合と、アルファベットのみの英語を読む場合とでは、脳の機能が働く部位が異なるそうです。もし、日本語と英語の完全なバイリンガルの人がいたとして、脳梗塞によって脳のある部分の機能が働かなくなった場合に、日本語は読むことができるが、アルファベットを読むことができない、という状態に陥ることがあり、それは「読み書き」をつかさどる脳のシステムが、そのように「ありあわせ」の能力を連携させているために起こることらしい。

 したがって、「読字障害」をかかえる人々が存在することも、人類のたどってきた脳の歴史をふりかえるとき、ある意味では「無理のない」なりゆきなのかもしれません。そして驚くべきことに、過去の著名な人物には、この「読字障害」をかかえた人が少なからずいることも本書によって知りました。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチ、オーギュスト・ロダン、トーマス・エジソン、アルベルト・アインシュタイン、グラハム・ベル、etc.。

 これらのことから思うのは、人類が長い時間をかけて脳の機能を少しずつ進化させてきたなかで、何かを得るかわりに捨ててきた能力があるのではないか、ということです。たとえばわたしたちの先祖が森のなかで暮らしていたとき、樹から樹へと手足をつかって移動するには、いまよりも遙かに高度な空間認識が必要だったのではないか。森を捨てて、視界のひらけたサバンナに降り立ったときに必要な能力と、森のなかで暮らす能力とでは、要求される質の違いがかなりあるはずです。

 読字障害の著名人のなかにレオナルド・ダ・ヴィンチの名前があるように、優れた空間認識を持つ芸術家のような人々は、過去の人類がふつうに持っていた能力を何らかの理由でのこしていたのではないか。本書を読み進めていくうちに、そのような妄想に近いかもしれない想像が働きはじめます。冒頭に書いた、空中のマッチの本数を数えられる能力、数十年先の特定の日の曜日を瞬時に言い当てられる能力。これらは人類が過去に置いてきた何らかの能力であった可能性も否定できません。

 脳の機能を人類の言葉の歴史の上で考える本書の試みは、われわれがどこから来て、どこへ向かおうとしているのか、というテーマにまでおよびます。言葉をやりとりする新しい手段として、ウェブというあたらしいメディアを獲得しつつあるわたしたちの現在まで照らし出すような、実に刺戟的な本だと感じました。
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