Kangaeruhito HTML Mail Magazine 337
 活字

 27年前に入社して、「小説新潮」編集部に配属され、初めて校了というものを経験したときに何より驚いたのは、「小説新潮」のゲラを組む印刷所が、小さな町工場だったことです。大学時代、2年生まで入っていた小さな新聞部の、年に数回だけ発行していた新聞の印刷を請け負ってくれていたのは、株式新聞の自社工場でした。こちらは何階建てかのビルでした。

 いっぽう、新入社員研修で訪れた印刷所は大日本印刷でしたから、印刷所のイメージはなんとなく持ち合わせていたのです。ところが、出張校正で印刷所を訪ねると、そこは二階建ての古い小さな印刷所でした。出張校正室は工場(こうば、と読んでください)の二階にあって、歩くとぎしぎしと音がする。古くさいカレンダーがかかっているだけの、インクの匂いと活字の金気が漂っているような、なんとも殺風景な部屋でした。

 昼食は、印刷所のすぐ近くの、テレビがつけっぱなしで、マンガや週刊誌やスポーツ紙がどっさりと積まれた喫茶店兼レストランのようなところへ行き、「豚のショウガ焼き定食」のようなものをもそもそと食べます。食後のコーヒーがじつに不味く、どうしたらこういうコーヒーが出せるのか不思議でした。

 ところが毎月通っているうちに、私はこの印刷所になんともいえない愛着を覚えるようになったのです。働いている人たちは、おじさんとおばさんばかり。編集部、校閲部と工場のやりとりをつなぐ担当者(大きな印刷所であれば営業担当でしょうか)は、いつも疲れているはずなのに笑顔を見せようとするタイプのおじさんでした。

 校閲部の疑問をその場で解決し、一階の工場に戻すと、たちどころにゲラが直って二階に運ばれてきます。今は責了紙に赤字の入った状態なのはよくあることですが、当時は4校も5校もとって、編集部には赤字ひとつない校了紙を持って帰ることになっていたのです。「家内制手工業」的だからこそできる、妙に几帳面な校了作業でした。

 校閲部が校正ゲラを念入りにチェックしているうち、活字がほんのわずか欠けているのを見つけることがありました。その活字がたまたま主人公の苗字に使われている漢字で、しかも作家がしきりに主人公の苗字を繰り返し登場させるため、わずかに欠けた活字をよけてしまうと活字が足らなくなったことがありました。

 すると、くだんの「営業担当」のおじさんが、「活字、買ってくるから」と言い残して、古びたライトバンでそそくさと出かけて行きます。ほどなく活字を手に入れて戻ってきたおじさんは、「主人公の名前が組めないんじゃ、冗談にもならないからね」と会心の笑顔。

 私は「活字を売っているところって、どこなんだろう?」とがぜん興味がわいたのですが、活字不足を招いたその小説は、最終校了日の朝に脱稿したばかりで、印刷所は朝から晩までピリピリした空気に包まれていました。新米の私としては、「活字ってどこで売っているんですか?」などとノンキな質問をするのがはばかられる雰囲気だったのです。今思えば惜しいことをしました。聞いておけばよかった。

 その印刷所はまだありますが、活字を使った印刷は、現在すでにその役割を終えています。しかし考えてみると、グーテンベルクが活字印刷を発明して500年以上が経っていたのに、私が入社した頃、活字というものがまだ残っていたことじたい、驚くべきことではないか、といまさらながらに思います。グーテンベルクが発明した活字印刷の機械は、ワイン造りのためのブドウ絞りの機械にヒントを得てつくられた木製のものでしたから、私が入社した頃の印刷機とは違います。しかし、活字にインクをつけて紙に刷る、という原理はまったく同じ。

 ウェブの時代になって、出版や印刷の世界が音を立てて変わっていく、その渦中にいることを実感します。それは何よりもグーテンベルクの発明以来の、ウェブという革命的技術革新がもたらした変化であることは間違いありません。そして昔の活版印刷の小さな工場のことを思うと、出版や活版印刷の世界が、じつに長いあいだ、まどろむような時間の流れの上にのっていたのだなあということを思わずにはいられません。あの小さな工場での出張校正の作業は、なつかしい思い出話だけではすまされないような、複雑な思いもわいてくる記憶なのです。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
Copyright 2009 SHINCHOSHA (C) All Rights Reserved