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『ウンベルト・サバ詩集』須賀敦子訳(みすず書房)

 おとといの火曜日は、梅雨時のような湿気をたっぷりとふくんだ一日でした。見上げると木々の若葉ものびのびと葉をひろげています。ほんのひと月ぐらい前はまだ、おそるおそる顔を出しているようだったのに、いまはもう自信満々のいきおいを感じます。

 昨日は夜がふけるにつれて、空気が乾きはじめて、風が冷たくなっていきました。どこがどう鳴っているのかわかりませんでしたが、冬の日の風のうなりのような音が空から降りてくるのが聞こえました。

 今朝は静かです。自然には自然の摂理がある。寒冷前線がどのようにうまれて、どのように動くと、その場所の空気がどうなっていくのか。私たちはその仕組みを知っています。それでもじっさいに乾いた冷たい空気を感じると、その仕組みは消えて、言葉では説明のできない感覚につつまれることもあります。

 夜がふけてから風呂に入り、そのまま寝つけずにいた昨夜、ひさしぶりに手にとってぱらぱらとページをめくったのが『ウンベルト・サバ詩集』でした。「三つの都市」という詩のなかにある、「生きることほど、人生の疲れを癒してくれるものは、ない」という一節をご存じの方も多いと思います。須賀敦子さんの著作『トリエステの坂道』が、ウンベルト・サバというなじみのなかった詩人を私たちに伝えてから、もう十年あまりの歳月がたちました。

 ウンベルト・サバも須賀敦子さんも、もうこの世から遠くへ旅立っています。それでもこの詩集の言葉を、一行一行読んでいくと、旅立った先は、遠くではないとわかります。それは驚くほど隣にある。詩を読んでいるときには、彼らは何よりも近いところにいる。息づかいのようなものさえ感じるのです。

 遅くなってから眠りについて、けっきょく今朝まで一度も目が覚めることはありませんでした。朝になって見上げた窓の外に広がる空は、きのうの空とは何から何までちがうように見えました。そしてもう一度、読みなおしてみたウンベルト・サバの詩をここにご紹介します。

 
丘の眺め

春が来てすぐそこに見える
淋しい丘のむこうになにがある?

すこし低まり、またほんのすこし登る、
そのあたりで、思いなしか窪んでいるような。

まるい肩のあたり、ゆったりした腰のあたりに
白雲がまつわる丘もあるが、

こっちの丘のシルエットはもっとすっきりしていて、
高いところにあるぶどう畑の縁の

支柱が青くなっていたり。ガラスの破片が
きらきらして、太陽がいっぱいにかがやいて。その

うしろには、だれもいない砂浜の海みたいに、
神様の目が、無限がひろがっている。

 
(『ウンベルト・サバ詩集』須賀敦子訳 より)
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