Kangaeruhito HTML Mail Magazine 340
 

糸井重里『ともだちがやって来た。』(ほぼ日ブックス)

 ウェブの浸透にしたがって、これまで考えもしなかったようなかたちで、人と人とのつながりが可能になりつつあります。mixiやFacebookなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に登録すれば、同じ趣味や嗜好を持つ、見ず知らずの他人と接点を持ちコミュニケーションをとることができるのです。

 匿名(ハンドル名)ではなく実名で登録するFacebookの場合なら、たとえばそれまでの学歴を書き込んでおくと、三十年以上前に学校を卒業したまま音沙汰のなかった同級生と、Facebook上で再会することもあり得る、という仕組みにもなっているらしい。

 たとえばFacebookに登録をして、自分のたったいま行っていることや考えていることを刻一刻とアップしていけば、その情報は自動的に同じグループに属する人に伝わります。相手の顔を思い浮かべながら個別に近況を報告する、というスタンスではなく、相手は誰でもないようなフラットなかたちで、しかしブログのように不特定多数ではない、ある特定の仲間に伝えられてゆく。

 その内容に反応するのもしないのも受け手しだいですから、どう反応すればいいのか返信のスタンスに悩むこともない。相手の行動や心情(のようなもの)に触れることについて、距離や時間差がなくなり、心理的なハードルもかなり低くなる。アップされた内容について、お互いに触れないでもいられる、という微妙なシステム。

 ウェブの発明はメディアを変える。私は編集者としての職業意識だけでウェブの問題を考えがちでした。しかし社員食堂で昼ごはんを食べながら、同僚からSNSのシステムについて詳しく説明を聞いていると(何しろ私はmixiもFacebookもやっていないので)、ウェブのあたらしいシステムやサーヴィスが変えてゆくのは、メディアのかたちだけではないんだな、というあたりまえのことが見えてきます。つまり、メディアを使う側の「こころ」や「行動のパターン」も少しずつ変わっていく可能性があるのだ、ということ。

 人間はここまでお互いのことを把握し合い、伝えたい生き物なのか、と思わずにはいられません。シェイクスピアのいうように、私たちの人生が何かを演じる役回りのようなものだとすれば、私たちはウェブの舞台の上でどう踊り、何を演じてゆくことになるのか。そう考えてみると、「役者」に必要な台本や演技指導は、ウェブの側にあらかじめ用意されているわけではない、と思い当たるのです。

 こういう話になると、次には「メディア・リテラシー」というキーワードが登場することになるわけですが、どうも「キーワード」というものは、登場したとたんに話がつまらないものになってしまう。なぜでしょうか。どこからか「一丁上がり!」の声さえ聞こえてくる。たぶん「キーワード」は、どこかで判断停止状態を呼び込む要素が潜んでいるのではないか、と思うのです。

 糸井重里さんの本『ともだちがやって来た。』は、少し不思議な本です。ひとことで強引に説明すると、「ことわざ」とか「箴言」にすがたかたちを変えていくかもしれないような物の考え方や知恵が、ゆっくりと生成してゆく途中経過のまま、たくさんランダムに並んでいる、という感じのする本なんですね。たとえば、

 他の人と話し合う時間の他に、
 ひとりでじっとりと考える時間って、必要ですよね。
 古典と呼ばれるような本を読んでいると、
 そんな「ひとりで考える場」への入り口が開きます。

 というような文章が、1ページのなかに4行だけ、ポンと置かれています。こんな言葉もありました。

 ふっと口から出ちゃったことばなのですが、
 どうも、そのとおりだという気がするんです。
 「ほんとうにのぞむことは、いちばんにしちゃダメだよ」

 メディア・リテラシーという聞いたふうなことよりも、こういう言葉がランダムに、その人のなかにぼんやりと蓄積されていたほうが、「そこから先は、自分で考える」というふうになるんじゃないか。糸井さんの本を読んでいると、そういう気がします。

「ことわざ」みたいなものというと、なんとなく古くさいもの、と思われるかもしれません。でも、どう読み取るかは読み手の側に託されている、開かれた「知恵」のようなものなのだと考えてみれば、「ことわざ」はかなり「使いでのあるもの」じゃないでしょうか。糸井さんは、こんなふうにも書いています。

 ある価値観が、物置でほこりをかぶっていました。
 でも、その物置を、ときどきぶらぶらしている人がいる。
 そういえば、ぼくにも、そんなところがある。

 ウェブがメディアを変える。では、どう変えるのか。そう考えているときに、私の頭のなかにこのところ繰り返し現れるのは、「パブリックなもの」としての出版社(=パブリッシャー)の役割とはなんだろうか、という問題です。その大きなヒントになるような言葉も、この本のなかにはありました。それは本書のなかではかなり長い文章なので(しかし見開きにおさまるもの)ここには引用しませんが(82~83ページ)、漠然と考えていることがらは、具体的な言葉よりも、これぐらい抽象性のある言葉のほうに、より直接的な刺戟を受けるものなのだ、という発見もありました。

 本書は、書店では買えません。「ほぼ日」での限定販売です。ここにも、未来の出版社のかたちが現れているのかもしれない(いや、もう未来じゃないかも)と思ったりもするのです。

 念のため、買って読んでみようという方は、「ほぼ日」のここをご覧ください。
 http://www.1101.com/books/index.html
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