Kangaeruhito HTML Mail Magazine 343
 机の下

「考える人」の校了期間が近づいています。校了はすでに始まっているともいえるのですが、まだ入稿されていないものがひとつふたつ残っています。そのひとつは私の担当です。さすがに今日中になんとかしなければ。出版部の奥深く、ディープサウスに位置する「考える人」のワークテーブル上空は、睡眠不足による一時的ハイテンションと、へらへら笑いだしそうな脱力的疲労感におおわれています。

 ワークデスクに処理すべきゲラが待機しており、順番に作業を進めてゆくのですが、自分で書かなければならないパートもあり、ワークデスクと自分のパソコンが載っている机をシャトルで行ったり来たりしなければなりません。

 連載「日本のすごい味」をお願いしている平松洋子さんが、色校のチェックと直しで来社されました。私はワークデスクの短辺に直角に接して置かれてある自分の机で、ぱたぱたとパソコンを使っての作業中でした。

「あ、平松さん、こんにちは! お世話になっています」
「松家さんがそこに座ってるの、初めて見たような気がしますね」
「あ、そうですか?」
「うん、いつもいらっしゃらないから。なんか新鮮ですね」
「あ、いや、すみません」

 挨拶もそこそこに、それぞれ仕事を開始。私の座っている椅子から首を伸ばして画面越しにワークデスクを見ると、色校を真剣に見ている平松さんの横顔が見えます。おー、平松さんの凛々しい仕事ぶり。こちらも画面に目線をうつして負けじとぱたぱたパソコンを叩きます。ぱたぱたぱた、ぱたぱたぱた、ぱたぱた、ぱた、ぱ……。あーだめだ。眠い。画面を見ると、文章が途切れたところから「っっっっっっっっっっっっっ」と小さい「っ」が無意味に並んでいる。

 平松さんの集中している気配は変わりません。こちらも集中しなければ。ぱたぱたぱた、ぱた、ぱ、ぱたぱたぱたぱた、ぱた、ぱ……た……。意識がとぎれます。平松さんと私のあいだにはパソコンの画面と本棚があり、こちらは死角になっているはず。ちょっと失礼して、十分だけ仮眠を。机の上につっぷしてまもなく私の意識は消えました。

 電話で目が覚めました。「もしもし? 島田ですけど」(「考える人」のデザイナーの島田隆さんです)。「あ! ごめんなさい!! ……いま居眠りしてて、やってなかった」「……(苦笑)」「これからやって送ります! ちょっと待ってて」。小一時間前に、テキストデータを直してメールする約束をしていたのを忘れていました。やれば10分ぐらいでできる作業なのに、島田さんを待たせてしまった。

 直すべき赤字を大急ぎでプリントアウトして、プリンターまで取りにいこうとしたときです。私はいつものようにスニーカーを脱いで靴下のまま作業をしていたことに気づきました。プリンターのあるところまでは10メートル以上離れています。あー、めんどくさいけど履くしかないか。足下を見たら、スニーカーが見あたりません。あれ? どこで脱いだんだっけ?

 ……あ! スニーカーは平松さんの足もとだ。実は平松さんがいらっしゃる直前まで、私はゲラを読むためにワークデスクに座っていたのでした。平松さんの作業が終わるまで待っていられればいいのですが、これ以上島田さんを待たせるわけには。

 私は靴下のままワークデスクをぐるりと迂回して、平松さんの座っているところに近づきました。
「すみません。えーと、あの、平松さんのソノアノ足もとに私のくつが……」
「あら? あらあら」
 私のスニーカーがだらしなくあっちとこっちを向いて、脱いだときの姿のまま、あられもなく転がっていました。なんという粗相を……。
「(笑)ぜんぜん気づかなかったわ」
「いやー、お恥ずかしい。すみませんです」
「(笑)」

 床にころがっていたスニーカーは「オレのせいじゃない」という憮然とした顔をしています。平松さんの足もとから引っぱりだしてそそくさと履いたときには、もうすっかり眠気は消えていました。

「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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