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J・L・ボルヘス 中村健二訳『続審問』(岩波文庫)

 縄文土器は、たとえ小さなかけらであっても、ずっと見ていて飽きません。縄やヘラや指先でつけられた文様は、作り手の呼吸や指先の動きがそのまま伝わってきます。四千年前のある日、ある時に、誰かが何かを思いながらつけていった文様は、焼かれることによって、つくられたその瞬間をそのまま記録しているのです。

 縄文時代には「書き言葉」はありませんでした。もちろんオーラル・コミュニケーションは行われていた。しかし、「書き言葉」を発明するまでには、中国で発明された「書き言葉」である漢字を輸入し、それを日本語のたたき台にしてゆく時を待たねばなりません。

 言葉を書きつけて、かたちにして残す、という作業は縄文時代にはまだ行われていなかった──そんなことは歴史的な常識だし、だからどうしたの? と言われたらおしまいなのですが、しかし「書き言葉」がない時代に、縄文人が手を使って、土器に文様をつけている様子を想像すると、「書き言葉」の誕生してゆく現場は、けっして観念的なものではなかったはずだと思わずにはいられません。手を動かすうちに文様が残ってゆく。そんな「手作業」の延長線上に、書き言葉の萌芽があったはずだからです。

 縄文土器の文様を眺めていると、もっとも古い書き言葉のひとつ、シュメール文明の楔形文字にどこか共通する手つきとデザインを感じることがあります。縄文土器の、理屈ではない手の動き。シュメール文明の、粘土板に葦の茎を押しつけて残した跡。手が動いてそれぞれのかたちになるとき、脳のシナプスが「発火」する場所は、縄文土器と楔形文字とではきっと重なり合う部分があったはずです。

 この欄で以前に取り上げた『プルーストとイカ』でも、書き言葉の発生について、さまざまな知見が紹介されていました。私たちは書き言葉の世界で生きていることをあまりにも当然のこととして日々を送っているので、書き言葉が生まれる以前の世界について振り返ることがほとんどありません。「書き言葉」を持つ言語が、必ずしも主流とはいえないのだということも、私たちはときどき思い出しておいたほうがいいのかもしれません。

 刊行されたばかりの本書『続審問』は、「あ、ボルヘス!」と迷わず手にとって買ってしまったのですが、よく見るとかつて晶文社で刊行されていた『異端審問』に加筆修訂がほどこされた文庫化なのだとわかりました。しかし、ぱらぱらと読み直していると、記憶からすっぽりと抜け落ちたように忘れてしまった章がある。不思議です。そのなかのひとつ、「書物崇拝について」の章はどうして記憶から抜け落ちてしまったのか。これもまさに「書き言葉」についてのものなのです。

「バーナード・ショーのある戯曲のなかに次のような場面がある。アレクサンドリアの大図書館に火が燃え移ろうとし、人類の記憶が焼けてしまうぞと男が叫んでいる。シーザーが言う、『恥ずかしい記憶だ。焼いてしまえ』。私見によれば、歴史上のシーザーは作者が彼に言わせている命令を認めることもあろうし、否認することもあるだろう。けれども、われわれのように、それを冒涜の冗談とは考えないだろう。理由は明白である。古代の人々にとって、書きことばは単に話しことばの代用品でしかなかったからである。
 ピュタゴラスは文字に書きとめなかったと言われている。ゴムペルツ(『ギリシアの思想家たち』I・三)は、それは彼が口頭教育の効能を信じていたためだと主張している」

 また、4世紀の終わりに、聖アウグスティヌスが、書かれたものを音読するのではなく、黙読する人間の姿を目撃し、驚きにも近い強い印象を受けて『告白録』に書き残している部分があることをボルヘスは紹介しています。われわれ21世紀の日本人が、「音読」のほとんど廃れてしまった時代に生きていることを、4世紀の人々は想像もできない、というわけです。黙読は昔、自然な行為ではなかったのです。

 世界の書物のすべてが収蔵された図書館があったとすれば、初代館長になってもおかしくないのがアルゼンチンの作家ボルヘスですが、その偉大さは、彼が書き言葉至上主義ではなかったことにも拠っている、と思わずにはいられませんでした。本書刊行後まもなく、ボルヘスはアルゼンチン国立図書館の館長に就任し、同じ頃にまた視力をほとんど失います。ボルヘスは神から膨大な本と同時に暗闇を与えられた運命を、苦笑いしながらのろったらしい。しかしボルヘスの「書き言葉」は、このように残ったのです。
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