Kangaeruhito HTML Mail Magazine 357
 
 本日校了

「考える人」の最新号(10月3日発売)が、本日で校了になります。本当は連休に入る前の18日が校了日だったのですが、どうしても校了作業が間に合わず、あいだに5日間の休みをはさんで今日が最終校了ということになりました。

 校了作業は、編集部と校閲部で校了紙を最終確認して、あとは印刷所に印刷と製本を託すための最終段階です。ここでこちらが何かのミスをすれば、それがそのまま印刷されてしまう、というわけです。ふだんなら連日の深夜残業で頭が少しぼーっとしているところでの作業になるわけで、わざわざ間違いが起こりそうな状況下で校了にするというのはなんかヘンだ、と思わないでもないのですが、まあしかし校了というものは昔からそういうものらしい。

 しかし今回は連休明けの校了です。なんとなく余裕のある感じ。こうなってみると、睡眠時間はたっぷりとったものの、ぎりぎりで追われる緊張感がないがゆえの、気の抜けたポカミスがありそうな気がしてきます……だいじょうぶかな。

 これがウェブの場合ならどうでしょう。たとえばこのメルマガは今日の昼前から書き始めて、午後に担当者にメールで送って、夕方までに校閲が終わり、午後6時ぐらいには配信されるわけですが、つまり入稿から校了までがたったの6時間程度。校了、という場面があるとすれば、メルマガの担当者のMさんがコピーを持ってきてくれたものに私がその場で赤字を入れて「じゃ、よろしくお願いします」と戻す瞬間でしょうか。

「校了」後にミスがあった場合も、いったん配信されてしまったものは手遅れですが、サイト上のバックナンバーとして残されるデータはもちろん訂正が可能です。これもまた、なんとなく緊張感に欠ける。

 そもそもウェブというメディアに最終校了というものがあるのか、と考え始めると、なんだか怪しい気がしてきます。送り手さえその気になれば、サイト上にアップした後でも、誤植に限らず、何度でも加筆訂正することが可能だからです。そもそも紙のような実体に刷られたものではない、ということが、「いつでも、なんでも、いくらでも」の可能性を広げているのです。しかしそれはかならずしもありがたいことではなく、紙の校了に慣れた者にとってはなんだか地に足がつかない、ふわふわとした、きりのないものに感じられます。

 しかしそれがフィクションの場合と、報道的な要素のあるノンフィクションだった場合では、また違ったニュアンスも出てきます。「更新履歴」を正確に記録すれば特に問題はないかもしれませんし、そもそもこのような基本的な問題はとっくの昔に議論されていて、あるガイドラインのようなものはあるのかもしれませんが、「いつでも、なんでも、いくらでも」は、両刃の剣になってくるはずです。

 ウェブになってしまうと新聞も朝刊を読むときの新鮮さが失われます。24時間営業、年中無休のコンビニがあるともちろん便利ではありますが、「いまのうちにあれを買っておかなければ店が閉まってしまう」という緊張感はありません。年末年始に買い物ができない不便さは、必ずしも不便だけのものではありませんでした。年末年始のイベント性が年々感じられなくなってきたのは、自分が歳をとったせいばかりではないように思うのです。

 将来、会社に出社せずとも働くことができるのが当たり前になってくれば、へたをすると、どこからどこまでがプライベートなのか、わからなくなってくるかもしれません。個人の働く環境も、暮らす環境も、24時間営業のコンビニ感覚になってゆき、休むに休めない事態になってくる。便利というのはメリハリがなくなることでもあるのですね。
 
「考える人」編集長 松家仁之(まついえまさし)
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