今回の特集でロングインタビューをさせていただいたピエール=ロラン・エマールの撮影で、新宿区初台にあるコンサートホール、東京オペラシティにうかがったときのことです。誰もいない舞台に二台のスタインウェイが運び込まれ、ピアノの選定が始まりました。そのときに、エマールのそばにいて、二台それぞれの特色を説明しながら、ピアノ選びのサポートをしている人がいました。調律師の方のようです。

 二台のピアノのうち一台をエマールが選ぶと、こんどは、入念な調律作業が始まります。鍵盤部分を前に引き出し、ハンマーのフェルト部分に工具のようなものでなにやら作業を施しています。エマールが弾いてみる。調律師の方がまた鍵盤を引き出し、作業をする。何度もそのやりとりを繰り返しながら、ようやく完了すると、そこで初めて、エマールのリハーサルが始まりました。

 あの人はどういう人で、どんな作業をしていたのだろう、と興味津々で上方の客席から見ていたのですが、いったん舞台裏にもどられたところでご挨拶し、ぜひお話をうかがいたいとお願いをしました。それが、今回のインタビューに答えてくださった松尾楽器商会の技術部長、外山洋司さんでした。松尾楽器商会は、スタインウェイを中心に、輸入ピアノ、ハープ等を扱っている会社です。日本のコンサートホールにあるスタインウェイは、ハンブルクのスタインウェイを出て、松尾楽器商会を通して、全国に運ばれてゆきます。輸入販売だけではなく、その後のメインテナンスを手がけているのが、この会社の調律師の方々なのです。

 ピアニストというのは、弦楽器や管楽器など、ほかの楽器の演奏家とはちがって、自分のピアノを演奏会場に持ちこむことができません(ミケランジェリやポリーニなど特別な例外はありますが)。目の前にあるピアノを、たとえ気が進まなくても弾かなければならない。演奏家にはもちろんその人なりの音のイメージがあり、そのピアノと必ずしも一致しているとは限らない。そのとき、「整音」=ヴォイシングという技術で、目の前のピアノを演奏家のイメージする音に近づけてくれる頼もしい味方が、調律師なのです。

 外山さんには、調律師の仕事とはどんなものなのか。その具体的な作業について教えていただきながら、長くいっしょに仕事をしたブレンデルのこと、来日のたびに担当するエマールや、古典調律にこだわったピーター・ゼルキンのことなど、具体的で興味のつきないエピソードをいろいろとうかがいました。そして、ではそもそも、なぜ外山さんは調律師になったのか。ピアノのレッスンは1ヵ月でやめてしまったし、もちろん絶対音感などない、という外山さんが、一般家庭の調律師をなさったあと、スタインウェイの音に出会い、松尾楽器に入社し、ハンブルク・スタインウェイで「整音」を学んで開眼していくお話は、パーソナル・ヒストリーとしても、とても興味深いものでした。

 わたしたちの人生を豊かにしてくれる演奏会の数々は、こうした調律師のみなさんの表からは見えない専門技術と、よりよい音楽を届けようという高い志に支えられていたのか――と新たな発見のある取材でした。外山さんのインタビューのほかに、スタインウェイの修理工房におじゃまして、日本の戦後ピアノ史を生きてこられたベテランのピアノ製作者の方、修行中の若い女性調律師にもお話をうかがいました。どうぞお見逃しなく。