Kangaeruhito HTML Mail Magazine 373
 

ジェラルド・クラーク 中野圭二訳『カポーティ』
(文藝春秋)

 先週のメールマガジンで触れた映画「カポーティ」の原作です。残念ながら現在は絶版。映画をご覧になってカポーティという特異な作家に興味を持った方には、ジョージ・プリンプトンの読み応えのあるインタビューノンフィクション『トルーマン・カポーティ』(新潮文庫・すみません、今調べたら去年の9月末に品切れ重版未定に……)がありますし、未訳のカポーティ伝もまだあります。カポーティというのは、ときには作品への関心をこえるほど、人間としての興味を持たれる作家なのだと思います。

 著者のジェラルド・クラークは、「タイム」誌のシニア・ライターとして活躍した書き手です。カポーティへの数百時間にもおよぶインタビューに、周到で緻密な取材も加えた、評伝の対象としてはなかなか手強いこの作家の実像に迫る労作といえるでしょう。

 カポーティはどのような幼年時代を送ったのか。映画にも描かれているように、その経験と記憶が、殺人犯ペリー・スミスに心理的に深くまきこまれてゆく動機になっている。カポーティの幼年時代の「悲劇」は、映画では本人のセリフから想像するしかありませんが、本書ではさまざまなエピソードをひろいあげながら丹念に明らかにされています。

 それにしても、50年代から60年代にかけての作家と編集者の関係には、ある種の濃密さが漂っています。しかしそれはかならずしも「熱い」ものではない。素っ気なく、冷たくすらみえるときがある。それなのに、彼らがやりとりする現場には、目には見えない磁場のようなものが感じられる。本書を読んでいると、ときおり垣間みえる出版界の舞台裏が、じつにリアルで、膝をのりだしたくなってくるのです。

『冷血』の発表媒体となった「ニューヨーカー」誌は、小説家志望だった高校生のカポーティが、雑用係としてアルバイトを始めた頃からのつながりです。アルバイトだったカポーティに「ニューヨーカー」の編集部はどのように映っていたのか。本書ではこのように書かれています。
 
 一風変った、世間の常識からかけ離れたニューヨーカーのオフィスで働くのは、予想したほど楽しくはなかった。寒々しく、よそよそしい廊下に沿って並ぶ部屋には、新聞社の社会部の部屋のようなざっくばらんな陽気さはなかった。作家の多くは決してオフィスに顔を出さないし、来たとしてもめったに口をきいてくれない。だれかに紹介されることはまずないし、エレベーターで乗り合わせた相手に話しかけるのすら、重大なエチケット違反とみなされた。毎日顔を合わせる相手でも、おたがいにうなずきもしない有様だ。
 
「ニューヨーカー」誌がもっとも輝いていた50年代から60年代にかけて編集部がこのような雰囲気であったことは、「ニューヨーカー」をめぐる他の著者による本を読んでいても同じようなニュアンスを感じる場合が多いので(やはり「ニューヨーカー」の校閲部で働いていたジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』を読んでいると、70年代に入ってもなお、この陰気な雰囲気は続いていたようです)、先に引用した部分はカポーティによって過剰にデフォルメされた描写ではないと思われます。

 創刊編集長のハロルド・ロスはかなり神経質でおっかない人だったらしい。裏声のような高い声を出す風変わりな高校生だったカポーティも、あるささいな事件が発端となり、事実上ハロルド・ロスに叩き出されるようにして「ニューヨーカー」でのアルバイトを辞めています。

 しかしカポーティはまもなく、作家としての本格的な活動を開始。20歳の頃に発表した短篇「ミリアム」でO・ヘンリー賞を受賞。初めての長篇『遠い声 遠い部屋』で作家としての地位をたしかなものとし、1958年に発表した『ティファニーで朝食を』が映画化されることによって、その名声はピークに達することになります。アメリカのセレブリティたちとの交流もたのしみながら、「ニューヨーカー」には書き手として復帰し、二代目編集長ウィリアム・ショーンにはまったく新しいスタイルのノンフィクション・ノヴェル『冷血』の着想を得るやいなや声をかけ、約6年にもおよぶ取材と執筆に取り組むことになるのです。

 カポーティは還暦までわずかひと月、というところで亡くなりました。本書はその死の間際の様子、最後の言葉まで記述されています。臨終を描く直前、著者はカポーティが幼い頃に与えられた三輪車仕様の緑色の模型飛行機(プロペラは赤)を漕ぎながら、友だちに「中国まで行くんだ」と語ったエピソードをはさみこんでいます。始終クールな筆致を貫いていた著者ジェラルド・クラークの、カポーティへの鎮魂の気持ちが、この場面には溢れるようにこめられています。映画「カポーティ」では描かれなかった幼年時代の光景には、カポーティの短篇小説にも似た、切ない美しさがあります。

 カポーティが50歳をすぎたころからインタビューが開始され、その死後約4年が経って刊行されたこの本には、『冷血』にかけられた以上の歳月が経過していることになります。20世紀を生きた作家を描いた評伝として、これほど読み応えのある本にはなかなかめぐりあえません。いまはまた、カポーティの小説を読み直してみたいと思っています。
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