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内田樹『邪悪なものの鎮め方』(バジリコ)

 出版界の未来がどうしたこうしたと考えたり書いたりし続けていると、不本意にもだんだん機嫌がわるくなっていく自分に気づきます。同業の友人と同じテーマで話していても、いつのまにかまくらことばは「だいたいさー」「結局さー」になり、トメの言葉は「わかってないと思うよー」「たぶんダメだよね」だったりします。

 それはあまり良くないことですね。編集者がいちばんいきいきとしているのは、著者とある種の信頼関係にむすばれていて、誰よりも最初に読むことができた著者からの原稿を入稿しゲラにして、校閲者の力をかりながら「本」や「雑誌」の完成型へと近づけてゆく──そのためにゲラと一対一で取り組んでいるときでしょう。つまり、つべこべ言わず、働いているときです。

 頭だけで考えていると暴走する。とくにその考えが「借りもの」だったりすると(考えなんて掘り起こせばすべて「借りもの」なんですが)、よけいに胸を反らし気味に、「えへん」と咳払いのひとつもしてから、「だいたいねー」とやや偉そうに申し述べられたりするものです。

 内田さんの本にすーっと吸い寄せられるのは、そのような「エバリ」の含有量が極端に低いからです。もちろん内田さんの言説だって、どんどん掘り進めば、穴の底のほうにはたとえばレヴィナスという強固な岩盤につきあたることになるのかもしれません。でもそれはお洒落なブティックでふと目について手に入れた舶来の帽子ではなくて、内田さんが吟味した材料でささっとつくった丼めしのようなものだと思うのです。

 内田さんは清浄な畳の道場に通い、ひと練習を終えた後、ひとりで米をとぎ、ごはんを炊いて、包丁を使い、鍋に火をまわし、的確に素早く食材を炒めながら、絶妙なタイミングで炊きあがったご飯の上にあつあつの具をホイとのせ、座卓に運んで坐り、軽く両手をあわせて「いただきます」。ワシワシとかき込んだ丼めしはじわじわと身体化されて、やがて内田さんの言説になってゆく。

 そして私たちに届く内田さんの本じたいも、内田さんの料理する丼めしのようなものではないかとおもいます。料理という身体的作業を経ていますから、生の食材がぎらりと光ったり生ぐさい匂いが漂ったりはしない。そこに見えるのは料理のつややかさであり、湯気であり、内田さんの味つけなのです。

 この本も読み始めたら、つつつつつーっと読み進めてしまいました。あつあつの丼めしのように休まずかき込む、そのスピードじたいも味、というような本でした。そしてこの本づくりがすばらしい。ソフトカバーであることを積極的に選択したうえで、カバーには立体感とツヤが見事なバーコ印刷が採用されている(ぜひ書店で確認してください)。帯のコピーもうまい。「先生、邪悪なものと出会ってしまったら、どう対処すればいいんでしょうか?」というキャッチの脇に小さく「この難問に、ウチダ先生がきっぱりお答えいたします。」とサブのコピー。間然するところがありません。

 本文組みも、ある設計方針が通っています。編集者の内田さんに対する敬意と愛情が伝わってくる。いやー、やっぱり本という媒体はいいなあ。そう思わされます。

 内田さんの文章で、今回いちばん良かったのは、巻末に収録されている「小学生の教科書のために書いてほしい」と依頼を受け、けっきょく没になったという「もしも歴史が」という文章でした。ほんとうは全文を引用したいぐらいですが、いまどこか不景気な顔をして書き続けているメルマガの「出版界の未来は明るい」の間奏曲としてもぜひ聞いていただきたく、その一部を最後に引用させていただくことにします。
 
 私たちの前に広がる未来がこれからどうなるか、正直言って、私にはぜんぜん予測ができません。わかっているのは「あらかじめ決められていた通りのことが起こる」ということは絶対にないということだけです。後になってから「きっとこうなると私ははじめからわかっていた」と言う人がいても(たくさんいますが)、私はそんな人の話は信じません。

 未来はつねに未決定です。
 今、この瞬間も未決定なままです。
 一人の人間の、なにげない行為が巨大な変動のきっかけとなり、それによって民族や大陸の運命さえも変わってしまう。そういうことがあります。歴史はそう教えています。誰がその人なのか、どのような行為がその行為なのか。それはまだ私たちにはわかりません。ということは、その誰かは「私」かもしれないし、「あなた」かもしれないということです。

 過去に起きたかもしれないことを想像することはたいせつだと私は最初に書きました。それは、今この瞬間に、私たちの前に広がる未来について想像するときと、知性の使い方が同じだからです。(以下略)
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