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阪田寛夫『てんとうむし』(童話屋)

 次号特集「はじめて読む聖書」の取材がすべて終わり、アンケート原稿もつぎつぎに到着、いまはインタビュー原稿をまとめる作業の真っ最中です。さまざまな方にインタビューをしたのですが、もしもご存命だったら、ぜひお話をうかがいたかったなと思う方が少なからずおられ、そのひとりとしてまず思いうかぶのは阪田寛夫さんです。

 二〇〇五年に逝去された阪田さんは、童謡「サッちゃん」の作詞をした人、と紹介するのがいちばんかもしれません。次に紹介するとしたら、「土の器」で芥川賞を受賞した小説家、でしょうか。でも、阪田さんは「小説家である」、「詩人である」、と言い切るのはなんとなく落ち着かないところのある、不思議な幅を感じさせる人でした。

 阪田さんの年譜(阪田寛夫『うるわしきあさも』講談社文芸文庫所収)の冒頭は、このように書かれています。
 
一九二五年(大正一四年)
一〇月一八日、大阪市住吉区天王寺町二二七九番地(現在の大阪市阿倍野区松崎町三丁目一六の八)に生まれる。父・素夫は新聞インキ製造業。大阪駅裏に小さな工場があった。両親は熱心なキリスト教徒かつ音楽好きで、大正時代から昭和三〇年頃まで毎週木曜日の夜は自宅の応接間が教会の聖歌隊の練習場になった。母・京は教会のオルガン奏者で、兄と姉がのちに代わった。
 
 一九六六年に発表し最初の芥川賞候補作となった「音楽入門」で、阪田さんは熱心なクリスチャンであった父親と「私」をふくむその家族を描きました。その八年後の作品「土の器」では、教会のオルガン奏者であった母親の、夫の死後の暮らしと奮闘ぶりを描いて、芥川賞を受賞しています。

 阪田さんの小説は、描き方によっては暗い話にもなりかねない物語に、つねに不思議な明るさ、おかしみのようなものが与えられています。これはいったいどこからやってくるのか。今日ご紹介する阪田寛夫氏の詩集を、わたしがなんとなく手にとってぱらぱらと読むときは、もしかするとどこか屈託しているときで、そんなときにこのおかしみを味わって、ひとり相撲のように屈託している自分のことをちょっと笑いたいのかもしれません。たとえばこんな作品。
 
はこぶね

あんまり亀がおそいので
ノアのじいさん
ハッチをしめた

キリン 
ハゲタカ
マングース
ことんとめだまをとじていた

雨がざんざかふりだして
せかいはまっくら泥の海
ノアじいさんの舟のあと
こがめがいっぴき ついてゆく
 
 どうですか? ノアの方舟の切迫したヒロイックなお話が、なんだか気の抜けた、アンチクライマックスな展開をみせ、大洪水もどこ吹く風という話に置き換えられている。私は生まれも育ちも関東なので、この感覚をからだの底から共有できないところがあるのではと不安になるのですが、つまりこのおもしろさの底には、関西の文化のようなものが、横たわっているような気もするのです。

 阪田さんにも聖書のお話をうかがいたかったなと思うのは、この感覚を通してみた聖書の世界はどういうものなのか、ということでした。最後にもうひとつ、とても短い詩をあげておきましょう。私はこの詩を読むと、「思い煩うな」という聖書の言葉とどこかで何かが二重写しになってみえてくるのです。
 
熊にまたがり

熊にまたがり屁をこけば
りんどうの花散りゆけり

熊にまたがり空見れば
おれはアホかと思わるる
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