ピアニスト・作曲家の高橋悠治さんは、ピアニストの母と音楽誌編集者の父のもとに生まれ、モーツァルトよりバルトークを好んで弾く子どもだったそうです。高橋さんが子どものころを回想した、印象的な文章があります。

 鎌倉にいた子どもの頃は、戦争だった。竹針を削って黒く重いレコードをまわすと、小さな灯のなかに回転する縞が見えて、蓄音機の奥から、風に吹き千切られたような音が届く。3分で終わるから長い曲はレコードを掛け換えながら聴く。それが音楽だった。シンフォニーもジャズも、おなじ軋むような響きで小さく鳴っていた。徴兵されたばかりの学生が3人、民泊で客間に座ってそれを聴いている。(『ぼくのしょうらいのゆめ』プチグラパブリッシング)

 戦争が終わってから、ピアノを習いはじめますが、7歳にして、ピアニストではなく、作曲家を志します。「ピアニストになりたいと思ったことはなかった」のだそうです。

高橋 小学校の頃は、團伊玖磨にも作曲を習った。やっぱり放送局の仕事かなんかで東京に行って帰ってこないから、待っているあいだに、押入れのなかにある楽譜を引っ張りだしては眺めていた。
――そこに、CDを出されたモンポウなんかもあったんですね。
高橋 モンポウの「魔法の歌」があったと思う。今回の録音で最初からやりたいと思っていたバルトークの「バガテル」も、團伊玖磨の家の押入れで見つけたんじゃないかな。シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」もあった。当時は楽譜なんか売ってなかったから、「月に憑かれたピエロ」は音楽帳に全部書き写した。

 そうして作曲の勉強をつづけますが、やがて二十代前半から現代音楽のピアニストとして、クセナキスら作曲家の圧倒的支持を受けるようになります。以後、作曲家・演奏家としてもっとも明晰な言葉で語りつづけてきた高橋悠治さんに、旧知の評論家・小沼純一さんが、じっくりとお話をうかがいました。

 自宅に多くの音楽家が出入りしていた子ども時代の話から、オペラの演奏で腕をみがいた若い日のこと、ヨーロッパ各地やアメリカでの演奏活動、現代音楽と古典音楽の弾き方のちがい、昨年録音したモンポウとブゾーニのこと、そして、ピアノを弾くことへの相反する思い――。小沼さんが高橋さんを初めてたずねたのは、じつは作曲家を志していた高校時代。以後30年以上、高橋さんの仕事に愛情と敬意をもちつづけてきた小沼さんならではの、細やかなインタビューをお楽しみください。