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伊藤まさこ『あの人の食器棚』(新潮社)

 他の出版社の雑誌を見ていて、これは絶対に自分ではできないと、これはもうほとんどすべての雑誌についてそう思うのですが、どういう人がこの雑誌を考え出して、何を譲らぬようにしながらこれをつくっているんだろう、と想像したくなるものは数えるほどしかありません。私にとってそのような雑誌の筆頭にあがるのが、マガジンハウスの「クウネル」でした。

「クウネル」があみだした新しい編集スタイルは、その後いろいろな雑誌がとりこんでいったので、ひょっとすると「他の雑誌も同じようなことやってるじゃないですか?」と言い出す人が出て来かねないのですが、とんでもございません。

「クウネル」流としか言いようのない写真選び、写真の添え物ではありえないしっかりとしたテキスト、そしてそもそもそのような写真とテキストをみちびきだす記事の、「クウネル」でしか設定しえないテーマ──どれをとってもちょっとやそっとでは真似のできない背筋のとおった編集が、しかもその背筋を見せないように行われている。「クウネル」のような編集をしている雑誌は、どこを見渡しても「クウネル」しかない。それは世界を見渡しても、ない。それぐらいオリジナルな雑誌でした。

 このような雑誌は、相談してできるものではありません。いま読者が求めているものは何かとマーケティングをしても出てはこない。ひとりの編集者の個性と考え方と経験がなければ、つくりだせるものではないのです。その上で、編集者とアートディレクターと書き手がある共通の方角に視線がのびていかなければ、具体的なかたちにはならない。だから、雑誌の編集は難しいといえばじつに難しいのです。

「クウネル」のアートディレクターは有山達也さんです。有山さんの果たした役割もはかり知れぬほどおおきい。「考える人」のアートディレクターは創刊以来、ずっとひとりで(!)全ページを(!)デザインしてくださっている島田隆さんなのですが、私も島田さんには頭があがりません。必ず原稿をきちんとすみずみ読んでくださった上で、しかるべくデザインをする。もはや「考える人」に欠かせない編集部員のひとりといっていい存在です。余談になりますが、「クウネル」の有山さんと「考える人」の島田さんは、若い頃、中垣信夫デザイン事務所で机を並べていた仲でした。

「クウネル」の創刊編集長は岡戸絹枝さんです。いったいどんな方なんだろうと想像するばかりだったのですが、数年前から何度かお目にかかる機会がありました。岡戸さんは黒子に徹しようとされているのか、あまり前に出て来る人ではありません。やっぱりこういう人なんだと予想にたがわないお人柄でした。「クウネル」はこの人でなければできないだろうと、会えばますます確信が深まるばかりで、編集という仕事の奥行きと可能性をあらためて考え直す気持ちにもなりました。

 そんな「前に出てこない人」を、しかもその人の台所を訪ねて紹介するという、離れ業をやってしまっているのが本書『あの人の食器棚』です。岡戸絹枝さんをふくめて、伊藤まさこさんが「ぜひうかがってみたい」と思われた19人の方の、台所と食器棚がうつくしいカラー写真とともに紹介されている様子を見てつくづく思うのは、伊藤まさこさんという人のなんとも説明のしがたいパワーです。

 伊藤まさこさんからの依頼でなければじつは引き受けなかったのではないかと思われる方々が、しかし無理なく自然に登場しているところも、さりげなくすごい。台所を訪問しながら食器棚から食器を選び出し、伊藤さんがその人をイメージしてつくった料理を一緒に食べる。この自然な親密さは、伊藤さんの率直でかざらない文章にも、できたての料理の匂いのように、ほかほかと漂っています。

 それにしてもリアルな台所のなんと雄弁なことか。ふつうの女性誌のグラビアに登場しているキッチンとは一線も二線も画す生き生きとした台所には、その人の生き方や記憶、日々の息づかいまでにじみでている気がします。いやー、岡戸絹枝さんの台所、これがまた岡戸さんそのものという感じ。岡戸さんもさんざん人の台所を紹介してきた「張本人」。ご自分の台所とともに撮影されている岡戸さんのはにかんだ笑顔には、そういうものまでふくめた「万感胸に迫る」表情がにじみ出ているようです(考えすぎかな)。

 まもなく、岡戸絹枝さんが編集長を退かれ、後任の方に委ねられるという「クウネル」の、最後の「岡戸号」が出ると聞きました。万感胸に迫る思いで、楽しみに待っています。岡戸さん、ほんとうにおつかれさまでした!
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