Kangaeruhito HTML Mail Magazine 397
 
 ナウ・オン・ボード

 7月1日付けで「考える人」編集長に就任しました河野です。どうぞよろしくお願い申し上げます。前任者である松家仁之さんとは旧知の仲です。前号のメールマガジンで私のことを「先輩編集者」というふうに紹介して下さいましたが、むしろ私のほうが「後輩」の仕事ぶりにかねがね敬意を払ってきた関係です。その松家さんの後を引き継ぐわけですから、いささか緊張しています。

 ……という書き方からもおわかりかと思うのですが、私が新潮社に入社したのは、実はひと月前のことです。簡単に自己紹介しますと、生まれは1953年(昭和28年)です。78年に大学を卒業して、中央公論社(現在の中央公論新社)に入社し、以来、一昨年6月に54歳で退職するまで、ほぼ30年間、主として雑誌編集の仕事に携わってきました。「中央公論」「婦人公論」という2誌の間を行ったり来たり、ちょうど2往復しています。他にもっとやりたい仕事がないわけではなかったのですが、そういう機会には恵まれませんでした。

 ただ、ラッキーだったのは創業が1886年(明治19年)という歴史のある会社に属したことです(今年で創業124周年になります)。新潮社が1896年(明治29年)に創業されていますから、ともに明治期に産声を上げた、わが国でも最古参の老舗出版社同士です。当然、両社の因縁も浅からぬものがあります。

 まず人の交流ということでいえば、新潮社の創業者である佐藤義亮は秋田県仙北郡角館町の出身です。青雲の志を抱き、単身上京したのは1895年、数え年18歳の時だそうですが、刻苦勉励の日々の中から、なんとその翌年には、読者からの投書を主体にした雑誌「新声」を創刊しています。いまで言えばベンチャー企業もいいところです。地方出身の何の後ろ盾もない青年でしたが、彼のひたむきな情熱、才能を見込んで、資金を用意する市井の民のエンジェルも現れています。凄い話だと思います。

 その佐藤義亮とやがて接点をもつのが、同じ秋田県出身の滝田樗陰という人物です。この人は後に敏腕編集者として、「中央公論」の名を天下に轟かせます。「滝田樗陰の人力車が門前に停まれば、それは一流作家のお墨付きを得たようなもの」という逸話が残っているほど、明治・大正の文壇・論壇を演出する名編集長として活躍しますが、佐藤義亮との出会いはその遥か以前です。
 
〈私が一度秋田に帰省すると、主な投書家の肝煎りで早速誌友会開催。大勢集まったが、その中に、五里先きの鉱山から大雨の中をやって来た滝田樗陰君がいた。当時十八か十九だったと思う。私は東京の文壇の情勢や作家たちの話をすると、眼を輝かして真剣に聞き入る樗陰君の面影は今に忘れられない。「僕は『新声』によってはじめて文学的感激を味わうことができた」と、同君は後年よく口にされた〉(佐藤義亮「出版おもいで話」)
 
 つまり、郷里の先輩である佐藤義亮という存在がなければ、後の「中央公論」カリスマ編集長が誕生していたかどうか。歴史上のイフとしては興味ある設問です。
 両者の交流は、その後も続きます。たとえば、滝田が新潮社にある出版企画を持ち込むことがきっかけとなって、それまで新潮社から著書を一切出してこなかった夏目漱石との縁が生まれます。日本近代文学の裏面史として、面白いエピソードは尽きません。

 少し話が逸れるのですが、私自身、新潮社・中央公論社の因縁話を聞いた思い出があります。島崎藤村の「夜明け前」という作品は、誰しも知るところの藤村の代表作です。あれは昭和4年4月から足かけ7年の長きにわたって「中央公論」に連載された長編です。ところが、単行本は中央公論社でなく、新潮社から刊行されました。それは、島崎藤村という作家を物心両面にわたって支え続けた新潮社に対する藤村の思いの現れだったというふうに私は解釈しています。ただ当時の中央公論社社長(嶋中雄作)は、これがよほど腹に据えかねたと見えます。後年、新潮社の担当者に向かって、「『夜明け前』をおたくにヤラレた時は、本当に口惜しくって口惜しくってね……」と述懐したそうです(『新潮社一〇〇年』)。

 私はこのエピソードを、「親父は本当にあれだけは口惜しがってね」と、つい昨日の出来事のように嶋中鵬二氏(雄作氏を継いだ中央公論社社長、故人)が語るのを聞いて、そこに「歴史」を感じないではいられませんでした。「木曾路はすべて山の中である」という有名な冒頭の一節以外は、自分と縁遠い文学史上の「知識」に過ぎなかった作品を、初めて手にしたのもそれがきっかけでした。「夜明け前」が紛れもない傑作長編と知ることになったのですから、ありがたい出会いでした。

 なんだか思わぬところに脱線してしまいましたが、両社の交流の歴史を語りだせばきりがありません。申し上げたかったことは、ともに明治期に出発したふたつの出版社が、その後の激しい社会変動の荒波に揉まれながらも存続し、その間競合関係にあったことも事実ですが、より巨視的に見れば共存共栄の間柄を築いてきたということです。いまふうに言えば、お互いに切磋琢磨しながら、日本のコンテンツ産業の充実に力を尽くしてきたということでしょう。

 わが田に水を引く言い方をすれば、私もその大きな歴史の流れの中に、また舟を漕ぎ出してみたいという思いがあります。新たに「考える人」に乗り組むことになりましたが、この舵取りを楽しみにしています。読者の皆さんのご支援をお願いする次第です。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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