Kangaeruhito HTML Mail Magazine 400
 

ジェレミー・マーサー
『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』
(河出書房新社)

見知らぬ人に冷たくするな。変装した天使かもしれないから

 シェイクスピア・アンド・カンパニー書店といえば、第2次世界大戦前、パリのセーヌ左岸オデオン通りにあった英米書専門の伝説的な書店です。1920年代から30年代にかけて、当時の錚々たる文学者たち、たとえばアンドレ・ジッド、ポール・ヴァレリー、エズラ・パウンド、T・S・エリオット、ガートルード・スタインらをはじめ、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドなど、いわゆる「失われた世代」に属するアメリカの若い作家や詩人たちが出入りした、国際色豊かな文学サロンでもありました。しかし、何といってもこの小さな書店の名を不朽のものとしたのは、イギリスでもアメリカでも「スキャンダラスで煽情的であるとして次々に出版社から拒否された」ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』を、この書店が最初に出版したことでした。店主であるアメリカ人女性、シルヴィア・ビーチの献身的な努力があっての偉業でした。

 やがて第2次世界大戦が勃発し、ナチスによってパリは占領され、1941年、書店は閉じられます。しかしその3年後、オデオン通りに幾台かのジープの列がやってきます。「シルヴィア!」と叫ぶ太く低い声が響きます。ヘミングウェイその人が米軍部隊とともに現れ、あたりを解放するのです。けれども、ビーチはその後、二度と店を開くことはありませんでした。そして1962年、彼女は書店と同じアパートで、75歳の生涯を閉じました。

 彼女の回想録『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』(1974年、河出書房新社)は当時の書店の一角に自分も招き入れられたような居心地の良さを感じさせてくれる本でした。そこに生き生きと描き出された20世紀文学の舞台裏に目を開かれるとともに、若き芸術家たちの出会いと交流の場のきらめきに魅了された思い出があります。いま訳者の「あとがき」を見ると、こういう一節がありました。
 
〈1962年、たまたまパリに滞在していた私は、オデオン通り十二番地を訪れてみた。ビーチの書店のあったアパートの正面には重く鎧戸が下されていて、かつて詩人や作家たちの往来で賑わった書店の影をしのばせるものは何ひとつとして感じられなかった。……何とも言えない淋しい気持を抱きながら、私はセーヌ河の河岸に辿りついた。私は、丁度ノートルダム寺院とセーヌ河を隔てた左岸に沿ったカルティエ・サン・ジュリアン・ポーヴルにある古ぼけた一軒の小さな書店に、なにげなく入った。ウィンドーにはもっぱらアメリカやイギリスの書籍ばかりを展示してあった。比較的奥行きのある書店で、入口から三メートル位入った所に一本柱があって、その柱にシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店という英語の小さな標識が釘で打ちつけてあるのに気づき驚いた。傍にいた店員に、この書店はオデオン通りにあったビーチの書店と何か関係あるのか尋ねてみた。店員は知る由もなかった。例の標識の出所や由来についても知らなかった。片隅に階段があって、下から二階の部屋を覗くことができたが、周りの壁には貸し本らしき書籍が壁一面に並べられているようだった。長椅子がひとつと幾つかのソファが置かれていて、二、三人のアメリカ人らしきお客が本を読んでいたように記憶している。会員制のようなので、その儘私は店を出てしまった。しかし、私は、この書店の経営者は、きっとビーチをしのんで、彼女と同じ形式の書店を開いていたのではないかと思う。彼女の志が誰かによって受け継がれていることを知って、私は心温まる思いをした経験を持っている。この書店の名前は、ミンストラル書店(Minstral Bookshop)といった。今でもこの書店が続いているかどうか、その後久しくパリを訪れる機会がないので知らないが、この書店は今でも私の記憶に不思議に残っている〉
 
 実に、この書店は生き続けていました。それを、今回取り上げる本で、私は初めて知りました。開店当初は、南仏を吹き抜けるあの激しい北風ミストラルにちなんだ名前を掲げていましたが、1962年にビーチが亡くなると、彼女の崇拝者でもあった書店の主人は、ビーチの蔵書を買い取るとともに、1964年、ウィリアム・シェイクスピア生誕400年に、店の名をシェイクスピア・アンド・カンパニーと改めました。やがて店には、ヘンリー・ミラーやアナイス・ニン、ロレンス・ダレルから、ウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグらビートニクに至るまでの多彩な顔ぶれが常連として現れます。先代の時代と同様に、名だたる詩人や作家が出入りし、朗読会が頻繁に開かれるパリの名物書店になります。

 同時に、このジョージ・ホイットマンという「はみだし者のアメリカ人」で「放浪の夢想家にして物書き」である店主は、「泊まる場所のない友人たちのために店の奥にベッドをしつらえ、腹をすかせた客のためにスープをぐつぐつ煮込み、本を買う余裕のない人々のために無料の図書館も運営」するという店を作り上げていきました。資産家の慈善事業ではありません。「与えられるものは与え、必要なものは取れ」というマルクス主義の信条に基づき、「筋金入りのコミュニストにしてロマンティックな理想主義者」であるホイットマンが、「書店を装った社会主義的ユートピア」をめざした、一種の「文学的コミューン」を構築していったのです。

 前置きが長くなりましたが、その「無料宿泊所」にひとりのカナダ人青年が転がり込んできたのは、2000年1月末の日曜日のことでした。カナダの新聞社で犯罪記者をしていた時に危険なトラブルに巻き込まれ、パリへ逃げ出した彼ですが、やがて所持金は尽き始めます。国に戻るわけにもいかず、にっちもさっちも行かなくなった状態で、噂に聞いた書店を訪ねたのです。この青年が現れるまでに、「すでに四万人を店に泊めた」と言うジョージ・ホイットマンはすでに86歳になっていました。それから数ヶ月。青年は書店に住み込み、無給で仕事を手伝いながら、世界中からここへ集まってきた奇妙で個性的な仲間(主として書き手志願者たち)と「まともなものなどひとつもない」共同生活を送ります。その間のいきさつ、そこで遭遇した出来事を「語りうるかぎり」の真実としてまとめたのが、今回の本です。

 いまや観光ガイドにもしっかり紹介されていて、「ウィリアム・シェイクスピアは本当にここに住んでいたんですか?」「オーナーは詩人のウォルト・ホイットマンの息子なのよ」といったとんちんかんな観光客も押しかけるパリ名所なのですが、老朽化した建物とおよそ衛生的とは言えない雑然とした店内の混乱、人間模様の混沌は、内部に入り込んだ筆者でなければ知り得ないリアルな迫力に満ちています。

 奇妙な住人たちをひとりひとり紹介する余裕はありませんが、誰よりも傑出した大物はホイットマンその人です。「ロマンティックな理想に生きる寛容なすばらしい人かと思えば、まわりの人々に理不尽な癇癪をぶつけるやっかいな気分屋でもあり、八十六歳になって二十歳の女の子に本気で恋する少年のような一面ももっている――そんな複雑怪奇なホイットマンの人柄とその生涯が、美点も欠点もひっくるめて、愛情をこめて見事に描き出されて」いるとありますが(訳者あとがき)、まったく同感です。

 心の奥ふかく、誰にも知られたくない「過去の秘密」を抱えながら生きているはぐれ者たちが、つかの間出会い、交流し、そこからまた新たな旅立ちをしていく群像劇ですが、自分自身がまさに「自己回復」を遂げようとするプロセスにあった筆者の目がそれらをヴィヴィッドにとらえています。犯罪の世界には「ハード・タイム(つらい刑期)」と「ソフト・タイム(楽な刑期)」という言い方があるそうです。警備体制が厳重な施設で、苦しい懲役期間を過ごすのが前者で、それとは対照的に、緩い警備体制の下で犯罪者の更生を目的とした「楽しみとなる刑期」が後者だといいます。筆者にとってシェイクスピア・アンド・カンパニーで過ごした日々は、「この上なくソフトな、優しい日々」だったというところから、書名“TIME WAS SOFT THERE”は採られています。

 ノンフィクションでありながら、起伏に富んだ物語性があり、クライマックスに近づくにつれて、読み終えるのが切ないような思いがこみ上げてきます。
 
冷たい雨の夜に
パリの街にやってきて
シェイクスピア書店を見つけたら
ほっとするかもしれません

そこにはたいそう親切で賢明な
モットーがあるのです
見知らぬ人に冷たくするな
変装した天使かもしれないから
 
 シェイクスピア・アンド・カンパニーの「公式ソング」だそうです。ちょっと、井上ひさしさんの劇中歌を思い出しませんか?

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
Copyright 2010 SHINCHOSHA (C) All Rights Reserved