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井上ひさし『一週間』新潮社

どこまで行っても明日がある

 小説の余韻がひと月以上たっても消えないというのは久々のできごとです。前回のメールマガジンではNHKのドキュメンタリー・ドラマ「望郷」の話を書きましたが、あそこでシベリアの捕虜収容所について書きながらも、ずっと頭を占めていたのは、実はこの小説のことでした。井上ひさしさんの『一週間』です。読み終えたときには、作品の印象がこんなにも持続するとは、正直、想像もしていませんでした。まず作品を簡単に紹介いたします。

〈解説ふうに〉 今年4月9日に亡くなった井上ひさしさんの最後の長編小説(6月30日刊)。「小説新潮」2000年2月号から2006年4月号まで、足かけ7年間、断続的に43回連載された大作で、原稿枚数は925枚におよぶ。連載終了後、著者による加筆、訂正が行われる予定だったが、井上氏逝去のため、残念ながらそれは叶わなかった。テーマは日本兵のシベリア抑留。連載開始前から膨大な資料を収集し、「『吉里吉里人』を超える作品にしたい」という作者自身の強い意欲のもとに構想された。作者年来のテーマを散りばめつつ、これまでの集大成の趣がある。ちなみに、主人公・小松修吉の名前は、「小松」が生まれ故郷の山形県東置賜郡小松町から、「修吉」が父親の名前に因んで名づけられている。この小説にかけた作者の思いが偲ばれる。

〈あらすじ〉 舞台は昭和21年4月初めのハバロフスク。主人公である小松修吉は、山形の小作農に生まれたが、篤志家の支援で東京外国語大と京大に学び、卒業後、左翼の地下活動に入り、党機関紙「赤旗」に関係する。だが、党は弾圧され、修吉も投獄され獄中で転向。その後は満洲に渡り、満洲映画協会(満映)の巡回映写班員として満洲各地を転々とし、その間に満洲語、中国語、ロシア語を少しずつ習得していく。敗戦直前に召集。すぐにソ連軍に逮捕され、シベリアで収容所生活を送ることになる。そこで修吉は極東赤軍総司令部が発行していた、抑留者の思想教育を目的とした「日本新聞」編集部に配属される。彼は、捕虜たちの脱走防止に役立てる目的で、収容所の脱走に失敗した元軍医の聞き書き記録の作成を命じられるが、その過程で次第にシベリア抑留を取り巻く全体状況についての知見を深め、捕虜たちを苦しめている問題の起源を認識していく。そして、この軍医から、若き日のレーニンの知られざる手紙を入手。そこでレーニンは、自分の体にはカルムイク、ユダヤ、ドイツなど「たくさんの少数民族の血が流れている」ことを告白し、さらには「少数民族のしあわせをいつも念頭において政治闘争を行なう活動家になることを誓」っていたのである。これは後に「社会主義の利益は、諸民族の利益にまさる」というテーゼを打ち出したレーニンの「背信」を裏付ける決定的な証拠となるばかりか、「レーニン教」に染め上げられたソ連現体制を根底から突き崩す爆弾を手にしたことになる! 修吉はこれを切り札にしてソ連当局を相手どり、抑留兵たちの待遇改善、帰国促進を求める「大勝負」に打って出ることを決意する。一方、それを知った極東赤軍将校たちは、何とかその手紙を奪おうと、残虐な策略を次々と繰り出し、あの手この手で修吉を攻め立てる。それに対して知恵の限りを尽くして応戦する修吉。ここからの丁々発止のやりとり、タフで機知に富んだ修吉の大冒険の顛末が、1週間のあいだの目まぐるしいドラマとなっている。恋愛あり、スリリングな場面あり、笑いあり、ドンデン返しあり、日本語にたけたロシア人と交わされる日本文化論、日本語論といった脇道あり――ともかく仕掛けと面白さが満載の井上ワールドが展開されている。はたして、修吉はその賭けに勝利することができるのか――。

 それにしても、テーマはシベリア抑留なのです。「毎日新聞」の書評で、沼野充義さんが「読み進めながら、何度も自問させられたほどだった――こんなに面白くていいのだろうか?」と書いていましたが、これにはまったく同感でした。約60万人の日本人が捕虜となり、その約1割が命を落としていったという悲劇です。マイナス30度を超す酷寒の中で、飢餓に苦しめられながら過酷な重労働を強いられた抑留者たち。戦争は終わっているのに、ソ連は旧日本軍の指揮系統を温存し、「上官の命令は天皇陛下の御命令である」という怒号が、収容所の運営管理、生産性の向上に利用されました。横暴な将校たち、その犠牲となる下級兵士。さらには、こうした階級制度の存続に対する不平不満が爆発寸前まで高まっていくのを見透かしたように、旧日本軍の秩序解体を呼びかけ、抑留者の中に親ソ派、社会主義の支持者を増やそうとする動きが出てきます。そこで発行されたのが「日本新聞」でした。ソ連側のこうした思惑に気づきながらも、生き抜いて「早く祖国に帰りたい」と願う兵士たちは、次第に日本人同士で「民主化」を競い合うようになります。それは「階級章撤廃」に始まり、吊るし上げ、大衆裁判といった具体的な行動となって収容所を揺るがし、日本人内部での対立、「仲間を売る」ような分裂、相互監視による疑心暗鬼が生まれていきます。こうした重くて、陰惨な現実がシベリア抑留の問題にはつきまとっているのです。

 そもそもは、太平洋戦争末期に「まさかのときは満洲国を見捨てる」という計画を、大本営と関東軍が立てていたことに端を発します。さらには、中立条約を破って満洲国に侵攻したソ連軍を前に、大半の部隊が激しい戦闘をすることもなく終戦を迎えた関東軍ですが、司令部は戦時国際法についてまったく無知で、それが認める捕虜の正当な権利を主張しませんでした。また、日本本土の荒廃、食糧不足、船舶・石油の不足などの理由から、「受け入れ態勢が整うまで、日本人捕虜を満洲国あるいはソ連邦の極東地方にとどめて」おくことを、停戦会議に出席した関東軍代表団が黙認、いや申し出ていたというのです。これらが抑留問題の背景にはあります。ソ連のやり口を「狡い、汚い、卑怯、最低」と非難する修吉でしたが、こうした全体像を知るにつれて、次第に国家というものの酷薄さ、非情さに怒りを向けざるを得ません。

 それにしても、こんなに救いのない、気の滅入るような1次資料の山を前にしながら、なお小松修吉という人物像を創り上げていった作者の力業には舌を巻くほかありません。兵士シュベイクのようにしたたかで、決してあきらめず、気骨をもって闘う姿勢を修吉は崩しません。「菊池寛を読み抜くことで日本語に堪能になった」という、極東赤軍総司令部切っての美人の法務中尉が、思わず「くたばっちまえ」と「狂犬の叫び」にも似た声を上げたのも由なしとしません。「あんたは、わたしが大学で習った日本人像とまるでちがう」「日本人は、一人では、そんな途方もないことは考えつかないはずよ」「日本人は匿名主義の集団である、なにごとによらず輪郭のはっきりした個性を嫌うと、大学でそう習った」「あんたは、例の〈日本人の風向きの原則〉にも適わない……あんたは、たった一人でその風に逆らおうとしている」「日本人には死の哲学はあっても、生の哲学はない。そうも教わった」「あなたはわたしが教わった日本人のどのタイプにも属していない。いったいあなたは、ほんとうに日本人なの」と言わせます。修吉はまさに日本人一般を逸脱しています。「痩せこけて胸が洗濯板のような、シラミたかりの、ボロ負けに負けた国の貧相な中年男」かもしれませんが、とんだ「英雄」であることを自ら証明していくのです。

 最終章近く、色仕掛けでレーニンの手紙のありかを探ろうとするこの美人法務中尉と対決する修吉は、ことに面目躍如たるものがあります。

「わたしの中でなにかが弾けた。意外にもそれは怒り、体の底の方で怒りの火が燃えだしたのだ。人間の意志を左右するにはちょっと色仕掛けをすればそれで十分、そう考えている目の前の女に対する怒り……しかし、それだけではない。まだ、ことばにならない無数の怒りが体中に渦巻いている」
「日本軍兵士たちの労働による現物賠償を要求したソ連の無法さ、それにやすやすと応じた大日本帝国政府の無責任さ、小便がそのまま凍ってしまうシベリアの寒さ、収容所に旧軍隊の秩序を持ち込んでわたしたち兵士の食料を召し上げた日本軍将校たちの勝手さ、やるせないほどのひもじさ、収容所の藁の布団に巣くうシラミのうるささ、いつまで経っても帰国できない悲しさ、女をあてがえば簡単に口を割るだろうとみくびられたくやしさ……おしまいに『さ』の字のつくものが一挙に噴き出し、気がつくと、わたしはマリア・ワシーリエヴナの巨大な乳房を鷲掴みにして力いっぱい右へ左へと捩じ回しており、彼女はといえば、あの分厚い唇を半開きにして、頬の肉をぶるぶる痙攣させながら悶絶していた」

 井上さんの作品に最初に接したのは、NHK番組「ひょっこりひょうたん島」でした。ご存じの方も多いとは思いますが、1964年4月6日から1969年4月4日まで、約5年間放送された人形劇番組です。私の小学生から中学生にかけての時期にあたります。夕方5時45分から6時が放送時間でしたが、絶大な人気番組だったことは確実で、大学のクラスメートには「5年間、1日も欠かさずテレビの前に座って、『ひょっこりひょうたん島』のすべてをノートに書き取り、その後もひょうたん島の登場人物の一人といってもよいような人生を送っている」(井上ひさし)という仲間がいたほどです。彼の貴重な記録は2冊の本になっていますが、この貢献がなければ「ひょうたん島」をめぐる1次資料はほとんど存在していません。それはさておき、この人気番組の作者が、井上ひさしと山元護久という二人だったことは、当時はまだ意識していませんでしたが、最上の喜劇の持つパワーというものは知らず知らずに吸収していた気がします。なかでも気に入っていたのが、ひょうたん島の大統領ドン・ガバチョの歌う「未来を信ずる歌」でした。
 
〈今日がダメなら、あしたにしまちょ! 
あしたがダメなら、あさってにしまちょ!
あさってぇぇがダメなら、しあさってぇぇにしまちょ!
どこまで行っても、あすがある ホイ!
ちょいちょいちょーいのドンガバチョ! ホイ!〉
 
 このたくましい楽観主義。「死の哲学」ではなく生を賛美する意志。井上さんの喜劇魂は「ひょうたん島」から修吉まで一貫して変わりません……と、ここまで書けば、『一週間』の印象がいつまでも持続しているのは、それが一作品の余韻にとどまらないからだと気がつきます。この感銘は井上さんの作家人生全体に対するものに他ならないからです。それだけに、次作の読めないことがとても残念でなりません。

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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