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山折哲雄『17歳からの死生観』(毎日新聞社)

リーダーの覚悟

 10月4日発売の「考える人」秋号は、本年度の小林秀雄賞の決定発表号になります。今回は東京大学大学院人文社会系研究科教授(日本近現代史専攻)の加藤陽子さんの著作『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』に決まりました。選評、受賞者インタビュー、受賞作抄録も併せて掲載されますが、この本は神奈川県の私立・栄光学園の歴史研究部に所属する中高生17名を相手に行なった5日間、のべ20時間の講義をもとに作られたことでも話題になりました。NHKで放映されて人気を博した政治哲学者マイケル・サンデルの講義「ハーバード白熱教室」にみるように、熱のこもった授業のライブ感、具体的な話題から説き起こす明快な語り口、対話形式で進められる劇場性などが改めて注目されています。ウェブ時代の双方向性、スピード感にわれわれがなじんできたことの影響も大きいと思います。

 この本も高校生との対話がベースになっています。2004年7月に開塾した「日本の次世代リーダー養成塾」(塾長は日本経団連会長)という2週間のサマースクールがあります。福岡県にある青少年育成施設グローバルアリーナを使って、全国各地から集まってきた160名の高校生を対象に行なわれているもので、将来、日本を背負って立つリーダーを「積極的に育てる必要性」から開塾されました。初年度、マレーシアのマハティール元首相が講師として来日したことでも注目されました。私もその様子を特集したテレビ番組をたまたま目にして興味を持ちました(マハティールさんはその後も「友情出演」を続けているそうです)。そこに毎年、レギュラー講師として参加しているのが宗教学者・山折哲雄さんです。「日本人の宗教観、そこから生まれた死生観、自然の中で息づく日本人の心。学校では教わらない日本人の倫理観を山折先生のフィルターを通して教えていただきたい」というのが塾側のリクエストだったようです。高校生は普通高校の生徒だけでなく、農業高校、工業高校で学んでいる子もいます。78歳の山折さんが17歳の聞き手に向かって自分の考えを語り、それに対して高校生が疑問や意見を投げかける。その質疑応答の様子までが盛り込まれた面白い本になっています。

 6年分の講義から4章構成にまとめられていますが、各章のタイトルが「~から考える」となっていて、「~」の部分には「宮沢賢治」「日本人」「無常観」「非暴力思想」といった言葉が入ります。語り口がうまく活字化されている上、事例が意外性に富んでおり、山折さんの着眼点の鋭さが興味を引きます。高校生ならずとも引き込まれる内容です。加藤陽子さんもおっしゃっていましたが、大学で専門領域を学んでいる学生相手に講義するのではなく、多様な関心をもった若者集団を前に話をすることは、語り手をリフレッシュさせます。この本でも、自分の問題意識を何とか伝えようとする「真剣勝負」の気合が山折さんからは伝わってきました。

 宮沢賢治の詩にユニークな解釈を加えながら、死の2年前に書かれた「雨ニモマケズ」に「賢治の苦しみ、祈り、救われたいという気持ち」を読み解き、彼の最後の場面を胸に刻んで、挫けそうになったらそれを思い出せ、と説くくだり。あるいは金閣寺の後ろの山を登ると、「鬱蒼と茂る樹林の間」に三層の金閣がすっぽりと消え失せる場所が必ずあるに違いない、と睨んでいたら、案の定そうだった――。つまり、万葉以来の日本人の自然観に従えば、足利義満という時の権力者の意志に反逆してでも、庭師は建物を大自然の中に消し去る造園をしたに違いない、という仮説の提示、等々。次世代のリーダーを養成する塾であればこそ、少なくともこういう日本人の宗教観、自然観はしっかり胸に収めておいてほしい、という思いが伝わってきます。

 リーダーの孤独さを物語る際の李登輝氏のエピソードなど、面白い事例には事欠きません。しかし圧巻は、「人間が生きるということは残酷なことです。つらいことです。どれだけのものの犠牲の上に立って私たちの命が支えられているか」と述べるくだりだと思いました。仏教の三大戒律だった「殺すな」「嘘を言うな」「ものを盗むな」がいつの間にか「命を大切にしよう」「真実を述べよ」「人にものを与えよ」という誰でも無責任に口にできる便利な言い回しに換えられたことで、現代人の倫理的な感覚はすっかり麻痺してしまったのではないか、という指摘です。それに対する回答が用意されているわけではありません。生徒は次々と重い問題を投げかけられ、あとは「自分自身で考えてみてほしい」と突き放されます。
 
〈諸君は「無常」という言葉を知っているか。一言で言えば、「常が無い」と書く言葉ですね、「無常」というのは。この世の中で永遠なるものは一つもない。いいですか。形あるものは必ず滅する。人は生きてやがて死んでいく。
 この三つの原理によって生み出された考え方が、「無常」というものだと私は思っております。この三つの考え方、すなわちこの世の中で永遠なるものは一つもない。形あるものは必ず壊れる。生きている人間はやがて死を迎える。この三つの原理を否定することのできる人間がいますか? おそらくどこにもいないと思いますよ。……
 ただ問題は、この無常観を受け入れる文明と、受け入れない文明があるということです。たとえばヨーロッパの方々はおそらくこの無常という考え方を受け入れないでしょう。ユダヤ・キリスト教文明、あるいはヨーロッパ文明、そういうものはおそらくこの考え方を積極的には受け入れないと思います。
 ところが、不思議なことにアジアの文明、仏教の文明、道教の文明というのはこの無常という考え方を受け入れてきました〉
 
 さあ、そこからどういう違いが生れてくるか。どういう哲学や生き方の相違が生じてくるか。大災害や「ノアの箱舟」、タイタニック号事件のような状況を前にした時、「生き残り」を賭けた命の選別を迫られた局面で、君ならどうするか、君たちは「そういう困難な課題に耐えることができるか」と。そして意識させられます。「それに顔をそむけることなく直面するのがリーダーというものだ。どちらを選択するか、非常に困難な状況がいつでも眼前に押し寄せてくる。それに耐えて、選択しなければならないのがリーダーという人間の運命ですよ」「いったいどんなリーダーになるつもりなんだ。人類の先頭に立つリーダーか。人類のために犠牲になろうとするリーダーなのか。いろんなリーダーの在り方があるわけですよ」と。

 一昨日、民主党の代表選が終わりました。20年間で14人の首相が交代した、こんなにも一国の代表の顔がクルクルと変わるような事態は早く改めなければならない、という議論があります。ひとりも異論を唱える人はいないでしょう。誰もが何とかしたいと思っているに違いありません。書店へ行けば「リーダー本」が山積みになっています。リーダー待望論は巷に溢れています。しかし、山折さんが突きつけるようなリーダーの資格要件はどうすれば備わるのか。暗澹とした気分はいっこうに晴れませんね。

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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