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田村隆一『インド酔夢行』(講談社文芸文庫)

音にみちている沈黙

 いまでこそインドのことを知るための手引き書はいろいろありますが、ある時期までは本当に限られていました。岩波新書の堀田善衛『インドで考えたこと』(1957年刊)、石田保昭『インドで暮らす』(63年刊)の2冊くらい。小説では、後にディヴィッド・リーン監督が映画化したE.M.フォスターの『インドへの道』といったくらいしか思い浮かびません(知らなかっただけかもしれませんが)。ビートルズが68年にインドへ旅をし、リシケシのマハリシ・マヘシュ・ヨーギの道場でメディテーションをしているというニュースが世界中に伝わった途端、「まるで脳天をハンマーで一発食わされたほどの衝撃を受けた」(横尾忠則)という若者たちが、カウンター・カルチャーの流れに乗って、ひとりふたりとインドへ向けて旅立って行ったにもかかわらず、なかなか定番と言えるようなインド本には出会えませんでした。上記の横尾さんや藤原新也さん、そして沢木耕太郎さんといった人たちの旅の報告がまとめられていく70年代後半から80年代までは、少なくとも一般書の世界に目立った動きはなかったような気がします。その長い空白期間を埋めてくれる1冊として、少なくとも私にとってこの『インド酔夢行』は貴重なものでした。

 昨晩、ふと思い出して久々に手にしました。以前読んだのは、日本交通公社出版事業局(現JTBパブリッシング)から76年に刊行された版です。その頃、なぜかちょっとした現代詩ブームが訪れて、田村さんは『詩と批評』というシリーズを刊行している最中でした。

「一篇の詩が生れるためには、われわれは殺さなければならない 多くのものを殺さなければならない 多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ」に始まり、「記憶せよ、われわれの眼に見えざるものを見、われわれの耳に聴えざるものを聴く 一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を われわれは毒殺した」と続く「四千の日と夜」の詩人と、インドという土地がどういう化学反応を起こすのか、非常に興味深く思えたものでした。

 1973年10月4日。「午後12時45分発デリー経由ボンベイ行。エア・インディア。ボーイング707」。この時代は、まだ羽田発の時代です。当時50歳の田村さんは小学生用のナップ・ザックひとつを片手に空港に現れます。その「黄色い袋の中には、アンダーシャツ一枚。タオル。ハナ紙。歯ブラシ。河に落ちたときの用意に灰色のズボン一本。鎌倉八幡宮のお守り。財布には百円玉が五枚」。そしてデリー到着まで13時間のフライトの間、機内で同行者の青年とスコッチの小瓶18本を空にして、初めてインドの地に降り立ちます。「国際的酔っ払い」として“令名”を轟かせていた田村さんらしい「酔夢行」の始まりだ(どうなることか)と期待した記憶がよみがえります。

 ところが、作中の詩人は少しも酔っていません。ワイン、ウイスキーをたえず飲んではいますが、感覚は冴え冴えとして、インドとの出会いに醒めた視線を注ぎ続けます。むしろ、ここから酩酊していくのはわれわれ読者の側です。詩人の巧みな言葉の魔術によって、普通ではあり得ないような世界へとトリップさせられることになります。まったく趣の異なるスタイルの記述が不思議な緩急で展開していきます。同行者を狂言回しにしながら軽やかに戯作調で書き進めている部分と、明らかに「にわか勉強」の成果に頼って書いている(いまでいえばコピペのような)部分との間、まさに「ここぞ」という肝心要のところで詩人の言葉が旅の真髄を浮かび上がらせます。ほとんど詩作品そのものだと言ってもいいような密度の高い言語表現がその時々の心象風景を正確に伝えてくれます。旅の2日目、オールド・デリーの繁華街を、群集にもまれながら歩く場面。あるいは旅の3日目、午前6時のデリー中央駅の描写(少し長い引用になりますが)。
 
〈ぼくは駅の構内に入って、はじめて「インド」をこの目で見る。……このインド連邦共和国の首都の中央駅の構内の、人と動物の分泌物でヌラヌラしているコンクリートの上に、乞食、難民、家族ぐるみの旅行者の群れが、うずくまり、わめき、また死んだように不動の姿勢で眠っているのだ。四つの原カースト、そして「神の子」とマハトマ・ガンジーによって認知されたアウト・カースト、七百から二千あるといわれている職種別のサブ・カースト、無数の方言、多様な宗教――ヒンドゥー、モスリム、カトリック、プロテスタント諸派、シク教、拝火教、ラマ、ほんのひと握りの仏教、そして、文化、風俗、経済、政治、父系、母系の大家族制度から近代的な核家族まで、とにかく、百科事典のインドの項目を、無差別、無作為に、任意にひきずりだして、デリーの中央駅構内とプラットフォーム、そして、白い蒸気を吐きながら、黒煙を空いっぱいに吹きあげて突入してくる短、長距離の赤褐色の汽車、木の箱の中にベンチがある三等車、すこしましな二等車、コンパートメントではあるが、まるで動物の檻のような一等車、エア・コンつきの特別車の中に、一切合財、ぶちまければいいのである。渦動、内乱状態、氾濫、いや、ちがう、木綿のサリーの原色から特権階級、ブルジョア、大地主、「タタ」のような大財閥系一族のデリケートなシルクのサリーの淡くて深味のある中間色、駅のオフィサーの麻服の白、巡礼のさらされたフンドシの白、乞食、難民の色のない色、そして、それにもまして皮膚の色、黒、ブラウン、ライト・ブラウン、白、蒼白、赤、黄、チョコレート、灰色、南国の強烈な花、香水、唾液、汗、顔料、精液、サモサ、カレー粉、チャイ、高級葉巻から安もののビディの匂い、犬、猫、豚、牛、頭の灰色なカラス、トンビの糞の匂い、絶叫、哄笑、金切声、音にみちている沈黙、ささやき、どよめき、Rの強い英語、クイーンズ・イングリッシュ、ヒンドゥー語、ベンガリー語、南部インドのタミル語などの十四種類の公用語、一六五二種類の方言、それらが沸騰し、しかも、「他者」に対してのまったくの無関心、無関係……いったい、どうなっているんだ? 匂い、音、色彩の大混乱、そして、どんなに混乱し、雑踏していようと、かれらは、絶対にぼくの「からだ」に触れない。からだのたくみなかわし方、避け方、その素早さは驚嘆に価する〉
 
「インドの匂い」を初めて嗅ぎ、「インド」の生々しい現実をこの眼で見て、耳で聴いた瞬間に詩人を襲った鋭いファースト・インプレッション、混乱と感動が、このリズミカルな言葉の連射となって、たたみかけるようにして迫ってきます。書き写しながら、あまりのリアリティに圧倒されるばかりです。そうした表現が各所に散りばめられていて、その都度田村さんに美酒をふるまわれているような気分を味わいます。あるところでは、紀行文の描写がやがて現実の詩作品となって昇華されていく過程に立ち会うことにもなります。実際の光景との具体的な照合などはおそらくどうでも良くて、詩人の幻視の力によって獲得されたもうひとつのリアリティ(夢のリアリティ)の世界へと読者が拉致されていく快楽なのだと思います。今回、惹きつけられたのは聖地ベナレスでガンジス河の光景を前にしたシーンでした。
 
〈東の空はすでに白み、鮮烈な光りのプリズムが乱反射しつつある。東紅を映す雲一つない快晴。ぼくらの周囲から、読経と祈りの叫びとどよめきが起り、裸体の信者たちは褐色のガンジスのなかに入って、沐浴する。
 草原の地平線から、太陽が姿をあらわす。そして飛び交う無数の鳥。烏の群れ、そして禿鷹。
 ぼくは厳粛な宗教的感情を経験するよりも、巨大な吐息に似たものが、胸底から、ぼくの胃の腑のあたりを揺さぶり、暗い咽喉部をじわじわと這いのぼってくるのを感じるのだ。人類全体が、巨大な徒労と吐息のなかで、車輪状に抛物線を描きながら、無限定の空間に散乱していくような幻覚に襲われる。ここには、すくなくとも、宗教的な求心力はない。ぼくの皮膚が感覚するのは、巨大な遠心力だ。なんともいえない、古代から未来をつらぬく倦怠のあらあらしいタッチ。倦怠というものが、かくもザラザラしたマテリアルな触覚で、ぼくを襲おうとは、夢にも思わなかった〉
 
 以前に読んだときに立ち止まった箇所は、やはり今回も確実に目を引きつけられました。「酔夢行」で田村さんはいったい何を見続けていたのだろう。以前、藤原新也×宮内勝典氏の対談を行った時に、宮内さんがおっしゃっていたことをふと思い出しました。正確な引用ではありませんが、大意としてはこんなことでした。「インドには独特の奥行きがあるので、訪ねた人の意識のレベルに応じた世界が向こうから立ち現れてくる。だからインドは夢に似ている。インドを訪れた時点から、人は自分の夢の世界へと入っていく。だから、インドの旅を語るとき、人は自分の夢の中を歩いてきた記憶を語るのだ」と。

『インド酔夢行』が出てからしばらくして、インド紀行が大衆消費財のように出回りました。「ガンジスの悠久の流れ」が繰り返し語られ、「インドを『通過する』ことで自分の中にどういう変化が生じたか」という紋切り型の話に何度も付き合いました。一方、最近はIT大国化や11億人の消費パワーによって大きく「変わりつつある」インドの衝撃を伝えるレポートをしばしば目にします。経済成長著しいインド。新しいインドが生まれ始めていることは紛れもない事実だと思います。ただ、そういう一面だけで推し量れないのもインドという国だと想像しています。

 そんな中で、言葉と想像力で生の意味を問いかけている『インド酔夢行』は一本の木のように立っていると感じました。「音にみちている沈黙」の紀行。

 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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