Kangaeruhito HTML Mail Magazine 411
 
 「ボン・ヴォワイヤージュ!」

 毎日、新潮社へ通うようになってから丸3ヶ月が経過しました。仕事についてもさることながら、当初少し心配したことがあります。それは、これまで30数年間通勤していたコースとまったく逆方向にJRを利用するようになったことです。これまでは山手線を東京湾沿いに品川、新橋などを経由しながら勤め先に向かっていました。それが正反対になりました。東京湾側をヒトの体のお腹に見立てるならば、今までとは逆に、背中側を少しずつ上っていくような感じで、目黒、渋谷、新宿を通って高田馬場へ向かうようになりました。

 心配したというのは、うっかり乗り間違えてしまうのではないかということでした。私の利用する駅は、たまたま山手線の内回りと外回りのホームが別になっているため、階段を降りかけたところでマチガイに気がついたことが数回。いまのところ、辛うじて難を逃れています。同じホームの反対側に逆回りの電車が入る駅ならば、きっと決定的な失敗をやらかしていたに違いありません。けさも「あわや」というところでした。ちょっとした考えごとをしていて(たとえばある本のことを考えていて)、その想念がかつての仕事につながるような内容であると、ついつい習慣的に足がそちらへ向いてしまうといった感じです。3ヶ月たったから大丈夫というより、むしろ慣れてきた最近のほうが、危なくなってきた気がします。慣れてきたぶん、行動を無意識にゆだねる部分が増えてきたせいだと思います。冷戦当時、東西対立の厳しい時期よりも、緊張緩和が進んでいる時こそ、衝突の火ダネが生れやすいといった話をよく聞きましたが、ふとそれを思い出します(あまり関係ないのですが)。

 ともかく長年の習慣というのは恐ろしいものだと思います。タクシーに乗って行き先を告げても、道順がうまくイメージを結びません。これまでのコースの風景がまず頭に浮かんできて、それにどうしても引きずられてしまうからです。東京の象徴空間である皇居を思い描く時も、いままでは丸の内側からの眺望でした。日比谷通りからもっぱら見ていたからです。ところが、これも逆転しました。ポジとネガの関係というと語弊がありますが、靖国神社のほうから皇居を見るような具合になりました。勝手が違うといった程度の話ですが、こうやって「ものの見方」には知らず知らずのうちに偏りが生れてくるというのがよく分かります。

 ただ、こうした変化は決して嫌いではありません。目の前の風景を変えることは時々必要だと思うからです。毎日が「小さな旅」のような感じというか、ささやかな新鮮さがあります。駅名のひとつひとつが粒立って感じられますし、駅ごとに流れている空気の違いに触れるのも悪くありません。そこで降りる人の行く先、そこから乗り込んでくる人の背景などを考えていると、退屈しないものです。渋谷という街は、東京に住み始めた当初はよく通ったところです。いまはなくなりましたが、「本のデパート」大盛堂や渋谷全線座という名画座などはお決まりのコースでした。ところが、次第にバブルの頃から「若者の街」となり、あまりの人出の多さに閉口するようになって縁遠くなりました。新宿も苦手意識の強い場所で、とっつきの悪い街として敬遠気味の時代が長く続いてきました。

 こうしたよそよそしい関係の尺度を見直すにも、いい機会だと思います。しかし、それ以上に予期しない面白い風景にぶつからないかな、というひそかな楽しみがあります。これまでの東京湾沿いコースでは、ところどころに好きな眺めがありました。打ち捨てられた日本家屋が次第に朽ちていきながら、それでも崩れきらないで持ちこたえている光景。遮るものが何ひとつなく、ビルとビルの合間から、切り取られたように空が遠くまで見通せるポイント。大崎から品川に近づくにつれて、京浜東北線、横須賀線、東海道線、新幹線の上り電車が山手線に徐々に接近してきて、やがて並走し始めるあたりの感じ。あそこに近づくと、「いいなあ」と思っていつも見とれてしまいます。今度も、そういうお気に入りスポットが何かの拍子に見つからないかと心待ちにしています。不意に目に入ってくる瞬間というのが楽しみです。

 ヘンリー・ミラーの小説「ディエップ=ニューヘイヴン経由」(『愛と笑いの夜』所収)は、主人公の私(ミラーという名)が、「僅かの間でいいから、もう一度英語を話す人たちのあいだに身を置きたい」と思って、パリからロンドンへと衝動的な旅に出る話です。主人公はディエップから船に乗って英仏海峡を渡るのですが、ニューヘイヴンで上陸を拒否されます。イギリスに出稼ぎに来た人間と見なされたからです。そこで不愉快きわまりない尋問をされた挙句、彼は翌朝に強制送還されることになります。そして、この短編小説の最後のあたり、ディエップで主人公を待ち構えていたフランス人の役人が、別れ際に手を振り、声をかけます。「オー ルヴォワール ムシュー ミラー、エ ボン ヴォワイヤージュ!」。すると主人公は、わけもなく感動してしまいます。「大粒の涙が二滴、頬を伝って手の上に落ちてきた」のを感じます。そこから作者独特の考察が始まります。
 
〈不意に、馬鹿みたいに幸福な気分になって、立ち上って大声を出したり歌ったりしたくなった。しかし、思いつくことといえば「ボン ヴォワイヤージュ!」だけだった。なんて文句だろ! 一生涯、フランス人が与えてくれたこの文句をあちこちで呟きながら、私たちは動きまわっている。しかし、これまでに良い旅(ボン・ヴォワイヤージュ)などをしたことがあるだろうか? 私たちが飲み屋や角の八百屋まで歩いて行くときでさえ、それが、二度と戻って来ないことになるかもしれない旅だということに気が付いているだろうか? そのことを鋭く感じ、家から一歩外へ出る度に航海に出たという気になれば、それで人生が少しは変るのではないだろうか? そこの街角までとか、ディエップなりニューヘイヴンなり、どんなところへでも、小さな旅をするあいだに、地球のほうも、天文学者でさえも知らないところへ小旅行をしているのだ……いずれにしても、とにかくボン・ヴォワイヤージュだ!〉(吉行淳之介訳)
 
 山手線の背中側コースは、地図で見ると大まかに言って「北北西に進路を取れ」になります。同名のヒッチコック映画は、何度も繰り返し見たものです。ふとしたことから事件に巻き込まれてしまった主人公が、各地を転々としながら真犯人を追っていくという設定は、ヒッチコックのお得意パターンで、その集大成ともいえる作品でした。あれほどのサスペンスに遭遇するのは願い下げですが、「北北西に進路を取れ」というのは悪くありません。少し期待感をもって、このコースの旅を楽しみたいと思います。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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