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『人と出会う』岡崎満義(岩波書店)

石榴とレンコン

「マスコミで仕事をしていれば、いろんな人に会うはずだから、取材余話のようなものを連載したらどうか」と高校時代の恩師に勧められ、出版社に入ってまだ4年目の若手編集者が、師の主宰する短歌結社の月刊誌に短い「人間印象記」を書き始めました。昭和39年のことですから、かなり時代はさかのぼります。以後6年間、「仕事が忙しくなって、余裕がなくな」るまで、71回の連載が書き継がれます。そのかつての原稿に手を加え、また新たな文章を書き足して出来上がったのが、この本です。

 筆者は元文藝春秋の名編集者。1980年に創刊されたスポーツ雑誌「ナンバー」の初代編集長を務めた後、月刊「文藝春秋」編集長等を歴任し、99年に退職した出版界の重鎮です。文藝春秋OBのメモワールが岩波書店から刊行されるのも珍しいことですが、読み始めてすぐに気づいたのは、これらの一篇一篇がきわめて上質な人物素描だということでした。派手な「とっておきの話」が披露されるわけでもなく、いわゆるゴシップの類もありません。有名な人ばかりが取り上げられているわけでもありません。編集者の「文壇回顧」などに時として見受けられる、仕事上の「赫々たる戦果」を声高に語るといった要素もあらかじめ注意深く排除されています。

 なにしろ「取れなかった原稿」というのが最初の章のタイトルです。丸山真男、川端康成、林達夫、古在由重、石垣りん、清水幾太郎、大島浩(陸軍軍人・日独伊三国同盟当時の駐独大使)という7人に原稿を依頼しながら、結局、書いてもらえなかったという「失敗談」を集めたものです。皮肉なことに、そのいずれもが面白い話です。具体的な面談の場面(とくに細部)にリアリティがあるのと、抑制の効いた描写ながら人物デッサンの筆触が鮮やかなので、相手の人間像が生き生きと立ち上がってきます。人と人とがまっとうに向き合っている、その様子がすがすがしく、爽やかです。
 
〈「人と出会う」というタイトルにしたのだが、これは人間論とか人物論ではない。ひと筆書きの印象記である。取材で会った人の忘れがたい印象を、掌にすくいあげただけのものであるから、その人のまるごとの全体像などとはかかわりないものである。素描以前、印象のほんのひとしずく、である。私にとっては大事な印象であるが、読者にはさて、どんな価値があるだろうか、と少々心配だ〉
 
 筆者は「あとがき」でそう語っていますが、第II章以降で取り上げられる31人のいずれの人物についても、それがなぜ「かけがえのない」印象としてあるのかという思いが素直に伝わってきます。簡単なことのようであって、実は難しい作業です。

 筆者は編集者として接した多くの人の中で、座談の名人を三人あげるとすれば、小林秀雄、宮本常一、司馬遼太郎だろうと述べています。「三人に共通するのは、話の中身が石榴の実のようにぎっしり詰まっているのはもちろんだが、その語り口、声に、何ともいえないあたたかさと、ときに凜とした鋭いものがあることだ。面白いエピソードの中に、鋭い人間通の眼がピカリと光っている」という指摘です。「石榴の実」というたとえがユニークだと思います。

 ひるがえって、筆者自身についてはどう語っているかといえば、「中学時代、国語の時間に、クラスの女子生徒が『春の海ひねもすのたりのたりかな』の意味は、ひねもすという動物が春の海をのたりのたりと泳いでいる情景をうたったものだ、と言ったことがある」として、自分はその「波間に浮かぶ怪獣ひねもす」ではないかと自嘲気味に表現しています。さらに「私はいつの頃からか、私の『自我』はレンコンのようなものだ、と思うようになった」とも。
 
〈レンコンの本質は、肉質部に何本か管が貫通していることである。管がなければゴボウか大根である。では、本質を求めて肉質部分を削っていけばどうなるか。本質部分に届いたと思った瞬間、管はパッと消えてしまう。その管の中を、断片的な「印象」が吹き抜けているのが、私の自我だと思える。確固とした石榴的自我ではない。レンコン的な自我が私だ、という気がするのだ。管の中を通り抜ける他の人たちの無数の「印象」こそが、私の本質的な部分を構成しているのだ、と思う。何度もそれらの「印象」を反芻しながら、私になっていく。自我ができ上がっていく、というふうに思うのである〉
 
 哲学的なことをユーモラスに表現していますが、このように「私」に執着することからできるだけ自由であろうとする書き手だからこそ、他の人たちのかけがえのない「印象」が生き生きとした姿や情景となって再現されているのだと思います。編集者という仕事は、ある意味で非人称の、匿名への情熱に支えられています。岡崎さんの印象記は、まさにそうした「レンコン的な自我」によって貫かれています。それだから面白いし、それゆえにまた、逆説的ながら「書く」ことを通して「私」なるものの未知の像が探求され、発見されていく――つまり「私になっていく」「自我ができ上がっていく」ことにつながるのだと思います。

 そんなことを考えたのも、つい先だってある本の中で、似たような趣旨の文章に出くわしたばかりだったからです。自分探しなんてするな、そんなヒマがあったら自分が出会った他者やモノに徹底してこだわれ、という挑発的な呼びかけに始まる、上野俊哉氏の『思想家の自伝を読む』(平凡社新書)という書物です。
 
〈自分を探したかったら、徹底して他者の言葉に身をさらし、ときに他人のテクストに沈みこんでみよう。自己の内面への旅をしたかったら、むしろ外国(日本語環境の外)へ出て、いろんな他人に出会い、異なる文化に身をさらし、ボロボロにされてしまおう。
 自分を知りたかったら、自分のことを考えるのではなく、自分なんて言葉が吹っ飛んでしまうような瞬間、自分のことがどうでもよくなる瞬間を、楽しみや仕事のなかに探してみよう。自分なんてものがどうでもいいちっぽけなものと思えるまで本を読み、知らない土地を歩くのもいい〉(同書)
 
「他者の生を生きる」という意味では、編集者という仕事はいろいろな人に会い、強い印象を受ける機会をふんだんに与えられます。しかし、職業的惰性に身をまかせればその貴重な機会をみすみす取り逃がしてしまいますし、仮に「出会い」があったとしても、あらかたは忙しさにかまけていつしか記憶があやふやになったり、楽しい酒席のざわめきの中にかき消されていくものです。私自身がそうなのですが、なんでもっと大切にメモを取っておかなかったのだろう、という後悔ばかりが残ります。その意味では若い時に71回、「人間印象記」を書き続けていたことの値打ちを、筆者はいましみじみと感じているはずです。

 それにしても、ついこの間までの編集者はこうだったなあという記述が目に付きました。これはと思った筆者に、原稿依頼の手紙をまず書く。返事がなければ2通目を書く。やがて筆者のもとへ通うようになる。短い原稿依頼であっても、何度も足を運ぶ。空振りは覚悟の上。最初の挨拶に始まり、冷や汗をかいたりしながら、会う回数を重ねていく。そのうちにいつの間にか気持が通うようになり、仕事の機会が生れていく……。こういう時間をかけた、余裕のある仕事の進め方が、次第に難しくなってきました。すっかりなくなったわけではありませんが、「懐かしい」と思えるくらいに現状は変わってしまいました。

 編集者の財産は人との出会いだとよく言われますが、巻末に登場する人たちの話は格別の感銘があります。京都大学時代のゼミの先生である哲学者の田中美知太郎さん、「大きい耳と強い脚」をもった民俗学者の宮本常一さん、そして入社当時の文藝春秋社長であった佐佐木茂索さんです。そしてこの3人が筆者の結婚に際してそれぞれに祝辞を贈っているのですが、その言葉に三者三様の個性が感じられると同時に、どこか共通するあたたかみや滋味があるのも面白い点です。

 佐佐木社長からは、「男はいつ何があるかわからない。何かのはずみで会社をクビになるかもしれない。反対に、会社の方針や上司の意見とどうしても合わなくて、自分から辞めていく場合もあるだろう。そんなとき、年収分の貯金があれば、余裕をもって新しい道を探すことができる。自分を安売りしないですむ。二人で協力して、できるだけ早く、年収分を貯金することだ」と生活アドバイスを受けます。日ごろは「容赦ないきびしい言葉で、発破をかける怖い人だったが、「それでも佐佐木さんの何事についても飛び出してくる辛口の言葉には、どこか苦労人の塩味のようなものがあって、働けば働くほど、汗をかけばかくほど、その塩味がほしくなるような気がした」と懐かしさが吐露されます。
 
〈たくさん人に会う編集者という仕事につけたのは、ありがたいことであった。我を忘れて人に会い、いい話を聞けた幸福を、今つくづく実感している。自分探しをするくらいなら、よき他人を探して会い、話を聞くことの方が大事だ、とずっと思ってきた〉
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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