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杉田成道『願わくは、鳩のごとくに』(扶桑社)

ここよりほかに、生きる道なし

 表紙に筆者の家系図が描かれています。長友啓典さんのイラストによるものです。なるほど、こういう「つかみ」で1冊の本をシンボリックに語る手法もあるのか、と感心しながら読み始め、読了後にまた、しみじみ眺めてしまいました。

〈57歳で第一子、60歳で第二子、63歳で第三子! 「北の国から」演出家の子育て家族物語〉と本の帯に謳われています。国民的テレビドラマ「北の国から」の演出家として名高い筆者は、現在67歳。つまり、還暦を過ぎたいまが“子育て真っ最中”というわけです。50歳の時にがんで先妻を喪い、その7年後に“衝撃的な”再婚をすることになったのはどういう成り行きなのか、その顛末を語るところから物語は始まります。

 冒頭は、新郎57歳、花嫁27歳の結婚披露宴の場面です。新郎の「師匠」にあたる作家の倉本聰さんが、30歳という年齢差のふたりを脇において、「これは、犯罪ではないですか、犯罪ですよ、そうでしょう」と“お祝い”のスピーチを述べます。優に60歳を超えた新郎側の出席者のほとんどが「なにやらいわくありげな、複雑な笑い顔」を浮かべているのに対し、20歳そこそこで屈託なく笑う新婦の友人たちは、「さながら老人ホームに慰問に来た女子大生グループ」といった好対照ぶりです。

 この面白すぎるシーンから始まり、さっそく驚かされるのはこの新婦の逞しさです。少し時間はさかのぼるですが、30歳という年齢差をものともせず、筆者との結婚を決意したところで、彼女は銀行員の仕事を辞め、25歳にして医師をめざします。ほどなく定年を迎える夫の将来を考えた上での判断です。そして女子医大に合格すると、ほどなく長男を出産。3日後にはもう「当たり前という顔をして」授業に戻ります。筆者から見ると「どう見てもエイリアンだ」というバイタリティーの持ち主は、その後も第二子、第三子と出産。筆者は途方に暮れる暇もなく、押し寄せる子育ての嵐に翻弄されることになります。

 その一方で、仕事の上では22年続いた「北の国から」のフィナーレが近づいてきます。「テレビという枠を遙かに超えた存在」となったこの番組は、役者もスタッフもそれぞれが実人生をそこに交差させていました。出会い、別れ、結婚、離婚、出産、そして死。いつしか本当の家族のようになり、それが逆に番組の継続を困難にすることになりました。年を重ねるにつれ、誰かが一人でも欠けると、その欠落感に耐えられなくなってきたからです。

 そして、いよいよ最後の本作りが始まります。地井武男さんの演じる中畑和夫役は、がんで最愛の妻を喪うという設定に決まります。ところがその時、実は地井さん自身の奥さんが余命3ヶ月を宣告され、まさにがんと格闘していることが判明します。出演をためらう地井さんと、その事実を知ってしまった関係者たちの苦悶の日々が続きます。そして決断のタイムリミットも過ぎたある日、局に現れた地井さんは、かすれる声で夫人の死を告げます。そして、ややあって出た言葉は、「やります。やらせてください」という決意でした――。亡き妻への「鎮魂歌」だと自らに言い聞かせ、退路を断って富良野でのロケに臨みます。
 
〈現場のリハーサルはできる雰囲気ではなかった。地井さんはすでにこみ上げる感情と闘っている。一刻も早く撮るしかない。直ちに、本番になった。……が、もはや芝居と呼べるものではなかった。それは、ドキュメントであった。地井さんは奥さんとの時間を追体験していた。抑えよう、抑えようとしても、それは溢れ出た。最後に、帽子を投げ捨てて、顔を覆った。もう無理だ、という合図のように見えた。
 カット。
 芝居は終わった。周りは息を呑み、水を打ったように静まりかえった。圧巻だった〉
 
 ところがその時、筆者の口をついて出た言葉は、「もう、一回」でした。現場の空気が揺れ、全員の意識が演出家に向かいました。「もう一度やることが、地井さんにとってどれだけ辛いか、苦しいか、手に取るように判る。が、致し方ない」「できるわけないことを要求するのが演出家」の仕事だ――。

 妥協を許さないプロの演出家の業のようなものが噴き出します。演技に対して何度もしつこく注文を出し続ける杉田さんを、「笑う悪魔」と名づけたのは、螢役を演じた中嶋朋子さんだそうです。ある時、あまりに続くダメ出しに、とうとう彼女がキレます。「あれほど怖い形相の螢を見たことはなかった」というほどの怒り。「それでもやった。ラストのテイクは、怒り心頭に発した感情の高ぶりが、そのまま画面に出た。ヤケクソとも言える心境は、別れの切なさに通じていた。見ていて、喉の奥から突き上げてくるものがあった」――げに非情なる者、汝の名は、演出家。

 実は、この本の読みどころは、ユーモラスに語られる子育ての日常とおそらく表裏一体の関係にある、こうした筆者の過激さを含めた心象風景や人生観です。そこには長い自らの家族の物語と、47歳で逝った連れ合いの思い出、あるいは明治生まれで、血のつながらない子を8人も育てた先妻の養母“バアバ”の人生、天才的な喜劇役者でありながら、性格的には意固地で皮肉屋で意地悪だった、先妻の義父三木のり平さんのこと、また自ら断食を選んだ父の死、50歳で死んだ4つ違いの兄、所持金40円で孤独死をとげた母方の従兄妹のこと、等々、いくつもの「死」の記憶が交錯します。筆者はそれらの記憶を手繰り寄せながら、死者への鎮魂歌を奏でるとともに、新たな「生」の物語に向き合おうとします。情愛と哀歓に充ちた、この筆者ならではのまなざしの所以です。

「お父さんはこんな人だったのよ――って、私から伝えることできないから――そんなつもりで、書き遺して」と奥さんに言われたのが執筆のきっかけだったといいます。年をとってからの子どもなので、子どもたちが成人する時に自分はもうこの世にいないかもしれない、だから親から子への「バトンリレー」をするためには、自分がどういう人たちの恩恵を受けて生きてきたのか、そして彼らから受け継いだ何を大切と考えているのか、それを遺書代わりに書きたいと思った――とも。
 
〈人間は遺伝子を継承するだけではない。その人生も、生き方も、ある意味で継承する。親の人生が潜在的にすり込まれる。そのことに、いつか気づくときがある。だから、親がどう生きようとしたか、どう世界に対したか、どう愛したか、知る必要がある。それが、自分を知ることに繋がるからだ〉
 
 最後に、変わったタイトルの由来ですが、これにも筆者の心象風景が色濃く投影されています。人生は「ジタバタしても仕方ない。水は流れるようにしか、流れない。流れのままに身を任せ、在るがままに在れ」というのが、どうやら筆者の根底にある心模様のようです。そうした一種の諦念があるからこそ、自分に残された時間をカウントしつつ、割り振られた役割をあるがままに受け入れ、それをしっかり背負って生きたい、という決意が生まれるのでしょう。
 
〈幽霊カトリック信者なので、神仏どちらでもよいのだが、(結婚式には)離婚の許されないカトリック教会を選んだ。鶴は連れ合いが死ぬと、一生孤高を保つという。中学生のころ飼っていた鳩は、再婚はするが、つがいの間は決して離れない。
 願わくは、鳩程度にはなんとかしたい、と思う〉
 
“犯罪者”呼ばわりされても、人から憫笑されようとも、この家族の絆は大切にしたい。「ここよりほかに、生きる道なし」と思い定めた覚悟のほどが伝わってきます。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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