Kangaeruhito HTML Mail Magazine 428
 
 いのち短し恋せよ少女(おとめ)

〈図書館があくと、中に入って新聞を読んだ。自分の記事がもう載っているかどうか知りたかった。
 まだ載っていない〉
〈無人島では飲料水を確保できないと思い直して、無人島ではなく、島民が少し住む島を探すことにした。井戸があるだろうし、水道も通っているかもしれない。「離島」をキーワードに本を探した結果、二つの島を見つけた。どちらも沖縄の離島だ。沖縄はどんな所なのだろう。
 本州の女性が沖縄のコザ(沖縄市)に行って実際に働いた経験を書いた『コザに抱かれて眠りたい』という本を暗くなるまで図書館で読んだ。沖縄に興味がわいた〉
 
 4年前、イギリス人の女性英会話講師を殺害し、2年7ヶ月におよぶ逃亡生活の末、2009年11月に逮捕された犯人の手記が出版されました(市橋達也『逮捕されるまで』幻冬舎)。公判前にこうした本が刊行されるというのも異例ですが、それを読んで、何とも複雑な気分になりました。まずは図書館がこういうふうに使われていたのか、と分かったからです。

 この数年、ニューヨーク公共図書館の活動をレポートした菅谷明子さんの『未来をつくる図書館』(岩波新書)を筆頭に、日本の図書館の将来像がいろいろな形で議論されてきました。ひとつには、新刊ベストセラーの「無料貸本屋」と批判されている現状が背景にありましたが、それ以上に従来型の図書の貸し出し業務にとどまらず、日本の図書館も米国のようにより公共的な情報空間として、長期的な視点に基づきながら情報を体系的に蓄積し、デジタル時代にふさわしい情報の水先案内人として、自立をこころざす人たちの潜在能力を最大限に引き出し、新しい可能性を芽吹かせるための「知のインフラ」となるべきだという提唱がクローズアップされてきたからです。個人の情報活用能力を強化し、情報と情報、情報と人、人と人をつなぐ「ハブ」として機能する図書館の姿が魅力的に語られてきたわけです。そんな矢先に、こういう形で図書館が逃亡犯の“お役に立っていた”(これも一種の“自立支援”ですかね)というのは、なんだかカックンとなります。

 彼は指名手配中、どこかの町に辿りつくと、まず図書館の場所を確認します。そして、そこで新聞をまとめて読んだり、「ドヤ」「無人島」「離島」などのキーワ-ドを手がかりに情報検索し、逃亡先のリサーチを始めています。そして離島に潜み、またしばらくしてお金を稼ぐために町に戻ると図書館へ行き、「島で捕った魚や植物の種類や特性」を調べて、次のサバイバル生活に備えた学習をしています。一方で、マンガ喫茶のパソコンを利用して、顔を整形するための病院探しもしていたようです。情報化時代の逃亡者ですから、これくらいのメディア・リテラシーを備えているのは当たり前かもしれません。

 試しに「離島」をグーグルで検索してみました。すると「離島ドットコム 沖縄離島情報館」というのが最初に出てきました。これを丹念に見ていくと、彼が逃亡先に選んだ離島について、かなり詳細な情報が得られます。さらに日本離島センターの「しましまネット」を見れば、「離島Q&A」があり、「島のことを調べるにはどうしたらよいのでしょうか?」というQに対しては、「日本離島センターから出版している、島の辞典『SHIMADAS』、島のデータを掲載した『離島統計年報』、島の地域づくりを応援する季刊『しま』などをご覧になってはいかがでしょうか」という案内が出てきます。

 手記に詳しいことは書いてありませんが、おそらく目的地を絞り込む上で、これらの資料を参考にしたことは、ほぼ間違いないと思います。沖縄本島から約100キロ西に位置する久米島と、その僅か先の奥武島(おうじま)とは道路で結ばれています。犯人は、奥武島のさらに先にある小さなオーハ島を目指しました。オーハ島ならば隣の奥武島から電気と水道が来ていることも分かったはずです。ちなみに『SHIMADAS』は1993年に創刊された島の総合案内書で、2004年に大改訂版が出ていて、私自身も時々パラパラ読みする“愛読書”です。それだけに、これも「そういう活用術があったのか!」は第二のカックンでした。

 ただもっと驚いた人たちがいるだろうな、と思うのは、15年前にこのオーハ島を訪れ、その白砂の浜で3泊4日のキャンプ生活を送った紀行エッセイを読んでいたからです。彼らはわざわざ東京からオーハ島をめざし、「何もしないこと」をテーマに、夜は浜辺で焚火を囲みながら、心地よい風に吹かれ、いいお酒を飲む、という目的に集中しました。到着した翌日の午後はサンゴ礁の海でシュノーケリングを楽しみ、やがて夕食の時間を迎えます。
 
〈オニダルマオコゼの刺身。同じくそのカラアゲ、サザエのキモスペシャルで夕方のビールになった。この一瞬がフルエルほどうれしい。……沖縄のトーフはにがりがきいてうまい。かつおぶしをかけて醤油をたらしてこれもいい肴になる。島らっきょうが泡盛にロコツに合う。……大量に獲れたサザエはツボ焼きにすると大変なので船長におしえてもらってそっくりゆでてしまう。そうすると身ばなれがよくてキモまでくるりと引き抜けてしまう〉(椎名誠『春夏秋冬いやはや隊が行く』講談社)
 
 椎名さんもさすがにビックリしたに違いありません。その当時、島の住人は5人だったそうですが、いまや一組の老夫婦――現在、88歳の又吉清善さん、マメさん――だけになったようです。椎名さんたちを歓待して、最後に島を去る時は、「離れていく船にしきりに手をふり、そうして何度もおじぎをし、涙をふいていた」マメさんですが、今回の一件で「不審者がいたことに気づいていたかどうか」と清善さんが警察や取材陣から事情を尋ねられています。手記本の中にも島で出会った老人として登場しています。犯人が椎名さんの本を図書館で読んで、「あそこなら楽しいロビンソン・クルーソー的生活が送れそうだ」と思った可能性はまずないと思いますが、もしそうだとすれば、ヘビやヤドカリを食べ、トリカブトを恐れながら島に自生する植物で飢えをしのいでいた間、きっと椎名さんを恨んだに違いありません。

 また彼は、最近の“若者”としては読書家の部類に属するようです。離島への逃亡を決めたときに『ライ麦畑でつかまえて』の原書「The Catcher in the Rye」のペーパーバック、英語の辞書、フランス語の辞書を買っています。
 
〈『ライ麦畑でつかまえて』は昔から大好きだった。皮肉屋で孤独な少年がニューヨークに行って、したり顔で街や人を批判する話が面白かった。この本は何度も読んでいたけれど、読んでいて気持ちがよくて手元に置いておきたい本だった。島に何を持っていくか考えた時、すぐにこの本のことを思った〉
 
『ハリー・ポッター』の英語の原書何冊か、タイトルに惹かれて『半落ち』(横山秀夫)、『殺人の門』(東野圭吾)、『悼む人』(天童荒太)、島へ逃れる前に四国遍路するきっかけとなった『死国』(坂東眞砂子)なども読んでいます。また『罪と罰』文庫本上下巻を買って、「金貸しの老婆を殺した青年は牢獄に入るが、最後まで付き添う女性がいた。読んでいる間、この青年は最後は地獄に落ちるのかと思っていただけに、これでいいんだろうかとも思った。この青年と自分を重ねて読んだ」と述べています。あるいは夏目漱石の『坑夫』や村上春樹の本も読んだとあり、「話題になっていた『1Q84』や他の本も読んだけど、『海辺のカフカ』という小説が面白かった。小説の主人公の少年の『頭がかっとすると……考えるより先に身体が動いていってしまう』というせりふを読んだ時、自分と重なった」という感想を記しています。

 しかし一番驚いたのは、図書館で「印象に残る詩」を見つけたと書いている箇所です。「いのち短し恋せよ少女(おとめ)/紅き唇あせぬ間に」の詩を読んで、殺害したイギリス人女性のことを思ったとあります。「ポケットサイズのメモ帳に詩全部を書き写した」と。

 ここを読んで、頭から血の気が引くようでした。これまで彼の人物像について特に強い関心があったわけではないのですが、考えが変わりました。どういう男なのか。今後の公判で彼の口から出てくる言葉に注視したいと思いました。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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