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野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』(小学館)

喪失からの回復と再生

「2016年東京五輪招致」の夢は、2年前、不発に終わりました。東京都知事が懸命に旗を振り、「環境にやさしいスポーツの祭典」のキャンペーンを繰り広げましたが、巷にオリンピックを歓迎する空気は希薄でした。この「世論の支持」の低さも一因となって、熱狂的なリオデジャネイロの前にあえなく敗れ去る結果となりました。それに比べると「1964年、東京にオリンピックが来る!」という時は、国民誰しもが自国での開催を喜び、その成功を心から願ったものです。

 ただこの本を読んで、そうだったかと気づいたのですが、オリンピックの東京開催が決まった1959年5月時点では、国民にとってこの朗報はさほど大きな関心事にはなりませんでした。というのも、この時、日本における最大の話題は、何といっても皇太子のご成婚だったからで、「5年後のオリンピックを具体的にイメージ」する人はまずいなかったというのです。敗戦の焦土の中から徐々に復興を遂げていくプロセスにあって、まだそこまでの実感が伴わないというのが現実だったようです。

 それが次第に現実のこととして受け止められるようになったのは、グラフィックデザイナーの亀倉雄策氏によって大会のシンボルマークが作成され、1961年にその公式ポスターが世に出たあたりからです。さらに翌年、陸上競技のスタートダッシュをとらえた第2号ポスターが生まれ、それが日本のありとあらゆる場所に貼り出されました。その時、私は小学3年生でしたが、いまだにあのポスターは当時の記憶のアイコンです。亀倉氏の後輩にあたる永井一正氏は、この第2号ポスターこそが「戦前から現在までを含めて日本のグラフィックデザイン史上、最高の傑作」と太鼓判を押します。
 
〈あのポスターには高度成長に向かう日本人の勢いが表現されている。あの頃、全国民が日本の未来を東京オリンピックに託していました。あのポスターは日本復興の狼煙(のろし)であり、大きな花火であり、東京オリンピックの旗印でした。あれを見て、国民はみんな、よし、頑張って働くぞと思ったんです〉
 
 当時、山口県宇部市に住む15歳の高校1年生だったユニクロの柳井正会長兼社長も、「見た瞬間、強くて美しいデザインに感動しました。これからの日本はとてつもなく素晴らしい国になっていくと感じさせるデザインだった。その後、日本は高度成長の坂道をかけ上がっていきます。ああいった際立ったデザインの作品を作った人々が日本の成長を担っていたのだと思う」と語っています。

 では、なぜいま「TOKYOオリンピック物語」なのでしょう――。著者によれば、「新しい何かへの挑戦」、「がむしゃらに突き進むことの意義」、そして「自ら変わることの大切さ」を、元気のないいまの日本人に改めて訴えたかった、といいます。
 
〈1964年に開催された東京オリンピックは日本の社会システムを変化させ、その結果、経済成長を加速させたイベントだった。当時の人々は確かに高度成長のまっただなかにいた。ただし、生活自体は決して豊かだったわけではない。今に比べればモノもなく、おいしいものを食べていたわけではない。
 しかし、その頃の人々は現状に安住せず、自らの生活が変わることを少しも恐れなかった。生活を変え、挑戦を続けていけば、いつか夢が現実になると信じていたからだ。
 人は夢があれば下を向くことはない。視線を上げて生きていくことができる。
 今、私たちが模範にするべきは新しい何かを求めて大きく変わること、そして、当時の人々が持っていた、変化を恐れない腹のくくり方を学ぶことだ〉
 
 この20年というもの、社会に閉塞感が漂い、停滞から脱出する活路をなかなか見出せないでいる日本人に、いまこそあの時代の「がむしゃらな情熱」を思い出してほしいというわけです。市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」の冒頭場面にあるように、オリンピックを境に東京の町の風景は一変しました。「いちばん変わったのは人だ」という見方もあります。ともかく敗戦ですべてを失い、ゼロからの再出発をした日本が、その19年後に総力を挙げて挑んだ国家プロジェクトが東京オリンピックでした。そして1964年10月10日からの15日間が、戦後日本の大きなターニングポイントとなって、「日本人は敗戦から立ち直る自信を回復」(黛敏郎)したのです。

 さて本書の登場人物は、大会で活躍し、いまなお伝説的に語り継がれるスポーツヒーローでもなければ、「東海道新幹線、首都高速、東京モノレールといった大会のためのインフラを整備した人たち」でもありません。これまであまり取り上げられることのなかった、大会を陰で支えた人たち――「オリンピックの組織や運営システムを作り上げ、ひいては日本社会の変革を進めた人間たち」が主人公です。

 第1章は「赤い太陽のポスター」。東京オリンピックの公式ポスターをデザインした亀倉雄策とその仲間の物語です。第2章は「勝者を速報せよ」で、競技結果をリアルタイムで処理するという、オリンピック史上初の試みを成功に導いた日本IBM社員の奮闘が描かれています。次は「1万人の腹を満たせ」で、選手村の食堂の責任者に任命された帝国ホテルの料理長・村上信夫の挑戦です。「民間警備の誕生」は現在のセコム(当時の日本警備保障)がガードマンという仕事を世に定着させていくまでの秘話です。第5章は、記録映画「東京オリンピック」がどのようにして撮影され編集されたか、という物語ですが、多くの新証言に驚かされます。そして最後に取り上げられるのが、ピクトグラム(絵文字)を制作したデザインチームの話です。

 どの章も面白くて甲乙つけがたいのですが、個人的には第5章以降の記録映画とピクトグラムの制作秘話が本書のハイライトと感じました。亀倉雄策氏は大会のシンボルマークと4種類のポスターをデザインしたことに加えて、ふたつの大きな貢献を果たしました。ひとつは黒澤明氏に断られて難航していた記録映画の監督に市川崑氏を推薦したことで、もうひとつは、大会全般のデザイン計画の責任者として、気鋭のデザイン評論家である勝見勝氏を推したことでした。

 勝見氏は組織委員会の中にデザイン室を設け、80人を超える精鋭を各ジャンルから集めます。田中一光、杉浦康平、粟津潔、磯崎新、福田繁雄、横尾忠則、栄久庵憲司、永井一正、岡本太郎、石津謙介、桑沢洋子、森英恵など、「日本デザイン界の才能を集めたドリームチーム」です。彼らはそれぞれの技術と時間をつぎ込みながら、作業を標準化し、共同作業システムを開発しました。

 デザイン室に持ち込まれた仕事は、ポスター、入場券、メダル、聖火リレーのトーチ、選手・役員のユニフォームから、競技パンフレット、プログラム、車の通行証、荷札、施設の標識や案内板、掲示板にいたるまで実に多岐にわたります。その中でも後世に残るデザインとしてもっとも高く評価されたのが、ピクトグラムの制作です。トイレの入口にある男女の別を示すマーク、人がドアから出て行く姿で「非常口」を示す絵文字などがそれです。実は、これらが標準化されたのは、東京オリンピックが「世界初」だったと本書で初めて知りました。

 それまで世界各国から、これほど大勢の人間を迎える機会のなかった日本にとって、さまざまな国の誰が見ても一目瞭然で分かる標識を用意することは必要不可欠でした。ピクトグラムは「陸上」「水泳」「サッカー」といった競技内容を示すものと、「レストラン」「観客席」「一時預かり所」「ショッピングセンター」といった公共施設を表すものと2種類ありました。問題は後者でした。「更衣室」「劇場」「ナイトクラブ(選手村にあったそうです)」、あるいは「迷子」などをどう表現すればいいか。「なぞなぞを解くような知恵が必要」でした。

「シャワー」というテーマを与えられた時、福田繁雄さんは初めてその言葉を耳にしました。「シャワーってのは何に使うものだ?」と隣にいたデザイナーに尋ねると、彼も知りません。で、注文を出してきた建設省の役人に質問すると、彼も実物を見たことはないと言います。「汗をかいた選手が身体を洗うために上から水を流す装置」とあるから、きっと「花に水をやるジョウロのようなもの」だろうと思って描き上げたといいます。

 これらの仕事は、田中一光氏が率いる総勢12人のグラフィックデザイナーが担当しましたが、最後の1枚が完成した時、全体を統括する勝見氏は全員を呼び集め、書類にサインを求めたそうです。そこには「私が描いた絵文字の著作権は放棄します」と記されていました。勝見氏は「あなたたちのやった仕事はすばらしい。しかし、それは社会に還元するべきものです。誰が描いたとしてもそれは、日本人の仕事なんです」と宣言し、聞いた人に感銘を与えたそうです。

 こんなとっておきの話がどの章にも満載されていて、いずれも興味が尽きません。ともかく人々を駆り立てたのは、金銭的な見返りでもなければ、名誉でもありませんでした。お国のためだと思って全力をつぎ込んだ人もいれば、これを奇貨として自分の仕事(グラフィックデザイナー、シェフ、ガードマン)の社会的認知を広めたいと願った人たちもいます。「算盤よりも速く計算する機械」としか思われていなかったコンピュータの本当の実力を示したいと情熱をたぎらせた人。80人以上の混成チームながら、それぞれがプロとしての矜持を胸に、脚本のないスポーツ競技の撮影に持てる力を振り絞ったニュース映画社のキャメラマンたち。「オリンピックは参加することに意義がある」は彼らにとっても同じでした。

 筆者がこの本に15年の歳月をつぎ込んでいる間に、多くの証言者たちが世を去りました。亀倉雄策、黛敏郎、宮川一夫、村上信夫、市川崑、福田繁雄、早川良雄、高峰秀子……。そしていま、この本は著者の意図を離れて、まったく別の文脈で意味を持ち始めています。2011年3月11日を経験した日本に、また「がむしゃらな元気」がより切実に求められているからです。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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