Kangaeruhito HTML Mail Magazine 448
 
 言葉にかんなをかける
 
 ようやく次号が校了になりました。7月4日発売号の特集テーマは、以前にもお伝えしたように、「梅棹忠夫 『文明』を探検したひと」です。民族学、比較文明学の泰斗であった梅棹さんが90歳で亡くなられたのは、ちょうど1年前の7月3日でした。私が「考える人」の編集長になり、このメールマガジンを引き継いだ3回目の原稿が梅棹さんの追悼文でした。もう1年になるのかと思います。

 さて、その梅棹さんが初代館長を務めた国立民族学博物館で、「ウメサオタダオ展」が3月10日から6月14日まで開催されました。3月9日の内覧会に出席して、東京に戻った翌々日に大震災が起こりました。展覧会の出足にも、やはり大きな影響が出たようです。「これほど興味深い展示が、震災の影響でより多くの人の目に触れないまま閉じるのは残念なことだ」とメールしてきたのは、4月になってようやく見に行くことができた人でした。今回ご覧になれなかった方々には、是非「考える人」誌上で“擬似体験”をしていただければと思います。

 ところで、その「ウメサオタダオ展」に糸井重里さんらをご案内したのは、4月30日のことでした。「ほぼ日刊イトイ新聞」では新しく入ったスタッフに、梅棹さんの『情報の文明学』(中公文庫)を課題図書として配ったこともあるくらいで、「『情報の文明学』は『ほぼ日』の父だ!」という言い方が“ほぼ定着”していると聞いています。「40年前に書かれた『知の大予言』」というのは、文庫本の帯にある糸井さんの言葉です。

 そういうわけですから、糸井さんが展覧会にどんな興味を示すかは楽しみでした。すると、「なるほど!」と思うところでさっそく反応して下さいました。1970年の大阪万博で、梅棹さんや小松左京さんたちが実質的な演出を担ったことは周知の通りですが、開会式における内閣総理大臣・佐藤栄作氏の演説と、万国博会長であった経団連会長・石坂泰三氏のあいさつ文も梅棹さんの起草でした。「このふたつを、まったく調子のちがうものに書きわけた」(『行為と妄想』)というスピーチで、今回、その草稿が展示されていたのです。冒頭部分、聴衆への呼びかけを、梅棹さんがいく通りにも推敲していました。それを見た瞬間、糸井さんの足が止まりました。

「世界のみなさん」、「みなさん、世界のみなさん」、「こんにちは、みなさん」――梅棹さんはその台詞を何度も書き直していました。おそらく万博の開幕という晴れやかな舞台を思い浮かべ、会場を埋め尽くした聴衆の顔、顔を想像しながら、そのひと言に悩んだのだと思います。語り手の立場や個性やたたずまいなどを頭の中でイメージしながら、どうやって聴衆とスピーカーとの心理的な距離感を縮めることができるか。その最も効果的なことばを模索したのだと思います。それがクリエイティブを業とする糸井さんを刺激したのは当然です。私たち編集者にとっても無関心ではいられません。そういう1次資料がきちんと残されている(展示されている)ところが、この展覧会の面白さでした。

 さて、以上のこととはまったく対照的な意味で、先週末、目に付いた記事がありました。立命館大学の東照二教授の「菅首相の言葉の力は残念ながら並以下だ」という新聞記事です(読売新聞6月25日)。なぜ「並以下」なのかという理由に挙げられていたのが「聞き手不在」ということでした。聞き手に対する想像力が欠如している、自分と相手との心理的な垣根を取り除こうという配慮がまるで感じられないという指摘です。

 事例として、(1)23日の沖縄全戦没者追悼式終了後、記者団に東日本大震災の復興について問われると、「私自身、燃え尽きる覚悟で、この事に取り組んでいきたい」と自分の決意しか語らなかった、(2)5月6日の記者会見で浜岡原子力発電所のすべての原子炉の運転停止要請を行うと表明した際も、「私が判断しました」と自分がいかにリーダーシップを取ったかを述べただけだった――というように、いずれも話し手中心で、聞き手である国民の心に届けようという言葉がありませんでした。ですから、たまに「ともに危機を乗り越えていこう」などという台詞が出てきても、とってつけたような感じがして、それ以上に発展しないという診断です。

 東教授は以前、『言語学者が政治家を丸裸にする』(文藝春秋)という著書で、「ことばには、情報中心のリポート・トークと、情緒中心のラポート・トークという二つの働きがある」ということを強調していました(ラポートは「共感」のrapportです)。一般的には、情報主体で無味乾燥な話し方をするのを“官僚的”と称します。政策や現状分析を、奇を衒わず、まじめに理路整然と報告する(したがって、とかく観念的で堅苦しく、融通がきかない)というのがリポート・トークです。それに対して、相手との共感、親しさを重視し、同じ政策を語るのでもより具体的に、分かりやすく、相手の心情に訴えかけるのがラポート・トークです。本来、こういう技に長けているのが政治家というものです。左脳だけでなく、右脳にも訴えかけ、人を惹きつける言葉の使い手が雄弁家と言われてきました。

 近年の例でいえば、「リポート・トークをラポート・トークにまで高めた」典型として小泉純一郎総理がいます。言葉で政治を大きく動かした稀有な例として、東教授も小泉総理のスピーチには着目していました。ただ、あまりに彼の言葉が磁力を持ったために、「ワイドショー政治」「ポピュリズム政治」とネガティブな面が強調され、功罪の「罪」の部分にむしろ焦点が当てられていますが、スピーチのつかみのうまさは、いま冷静に読んでも大したものだと思います。2005年8月8日の郵政解散記者会見の時の、気迫のみなぎった鮮烈なスピーチはその白眉と言ってもいいでしょう。それ以外にも2001年の大相撲夏場所千秋楽に、膝の怪我をおしてみごと優勝した貴乃花に対して、土俵で表彰状を読み上げたあと、「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」と絶叫した時のように、個人的な感情や思いをストレートにさらけ出す語りが、小泉流話芸の真骨頂でした。

 時にはあきれるほどにどうでもいい話を、身振り手振りを交えながらざっくばらんな調子でやりました。「私は芸能人じゃないんですよ、政治家なんですよ! なんでこんなに皆さんが集まってくれるんですか!」という台詞に対する答えは、小泉流のラポート・トークが聴衆を魅了し、引き付けたということに尽きるでしょう。だからこそ、こういう魔力のある言葉には踊らされないように気をつけよう、というのが劇場型政治に対するリテラシー(民主主義教育のイロハ)になるわけです。

「小泉劇場」の下世話な調子と打って変わって、梅棹さんの講演は、よく準備されていて、論理的な構成でした。話しぶりは堅苦しくなく、親しみやすく、下駄ばきの気楽さがありながら、自然科学者らしい正確を旨とする厳しさがありました。政治家と学者という立ち位置の違いが根本的にはあるにせよ、「ウケるということ。それがいやだった。だから芸能人とちがう」(『梅棹忠夫 語る』日本経済新聞出版社)とあえて発言しています。「批判をおそれるというより、評判をひじょうに気にする」という意味で、「芸能人的になって」きた最近の知識人のマナーについても批判的に見ていました。

 言うまでもなくリポート・トークとラポート・トークはバランスの問題です。伝えたい中身をしっかり把握し、聞き手の立場になって分かりやすく、説得力のある、魅力的な言葉で伝えること。それが基本的なモラルです。そこからいかなる線引きをし、どういうスタイルを選び取るかは職業的倫理や個性の問題です。

 梅棹さんは若い時分に「人生と学問の師」である今西錦司さんから「フィールドワーカーは必ず報告書を書かなくてはいけない、ただし一般には難しく書くのがえらいという思い込みがあるけれども、『読んでわかるように書かなあかん』」(「時代の証言者 文明学」)と厳しく指導されたと語っています。そして一方では、日本の人文科学の論文の欠陥を、実に辛辣に指摘しています。
 
〈たとえば、問題がはっきりしない。方法の記述がじゅうぶんでない。事実と解釈との区別が明確でない。他の研究者の説と自己のオリジナルな主張との区別があいまいである。表題が不適切である。文献のとりあつかいが粗雑である。文章が難解である。用語・用字にあやまりがおおい。そのほか、あげだしたらきりがない〉(『情報管理論』岩波書店)
 
「ウメサオタダオ展」の面白かったところは、そういう梅棹さんの脳内神経の働きを外在化する素材がゴロゴロしていたことでした。糸井さんのクリエイティブな意識にも、読者とのコミュニケーションをいかに図るかを考えている私たちにも、刺さってくるヒントがいろいろありました。

 連日、リポート・トークにすら達していない記者会見や、ラポート・トークに無自覚な「並以下」の話を聞かされ、さらには「食言」がまかり通るような言説空間に身を置いていると、梅棹特集が多少とも覚醒作用をもたらしてくれないものかと、つい期待したくなってしまいます。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
Copyright 2011 SHINCHOSHA (C) All Rights Reserved