福澤諭吉、昭和天皇、後藤新平、E・S・モース――ふつうに考えると、「日本の科学者」という枠にはおさまらない人たちです。はじめの三人は「科学者」ではなく、モースはいうまでもなく日本人ではありません。けれど、彼らの業績をみると、日本の科学において、見逃せない功績を残しているのです。この四人に加え、ほかのジャンルと違わず、あるいはそれ以上に男社会だった科学の分野で、新たな道を切り拓いてきた女性科学者の先人たちについて、それぞれエッセイを書いていただきました。少しご紹介しましょう。

「生物学的原理で動いた男 後藤新平」養老孟司
 後藤は台湾総督府で民政局長として、「植民地統治」にあたった。……治めるにあたり、後藤は統治の原則を「生物学的原理でやる」と断言した。では「生物学的原理」とはなにか。……具体的な統治にそれを反映すると、土地から人口までをまず徹底的に調査し、その結果を基に衛生から交通、法律に至るまで整備する。住民構成や現地の気候風土をも考慮に入れることになった。
 日本女性の平均寿命が飛躍的に伸びはじめたのはいつか。乱暴にいえば、後藤が水道水の塩素による消毒を始めたときだという。……

「古き問いは、より新しくなり、戻ってくる E・S・モース」黒川創
 エドワード・S・モースは、大森貝塚を発見(一八七七年=明治一〇)し、東京大学で最初の(つまり近代日本で初の)学術報告書を書いた人である。……一八七七年六月、例によって、ひと夏の採集旅行のつもりで、彼ははるばる日本までやって来る。米国の沿岸に腕足類は少ないが、この極東の列島にはそれが三、四〇種類も生息していると知ったからである。
 船は横浜に着く。汽車で、そこから東京に向かう。その途中、いきなり彼は、線路わきの切り通しに、大規模な貝塚が露出していることに気がついた。のちに言う「大森貝塚」である。……

ほか、昭和天皇をめぐっては竹内久美子さんが、福澤諭吉について山本貴光さんが、女性科学者については中村桂子さんが寄稿してくださっています。どうぞごらんください。