Kangaeruhito HTML Mail Magazine 450
 
 それでも朝は来る
 
「去年、『傷だらけの店長』という本が話題になりましたが、あれを書いたのは、かつての自分の同僚でした」――あるパネリストの発言に、いきなり注意を呼び覚まされました。その本は、昨年8月にPARCO出版から刊行され、筆者名は伊達雅彦となっていました。中規模チェーン店と思われる書店の店長を9年間務めていた筆者が、最後は近隣に大手ナショナルチェーン店が進出したことによって、本部から「閉店」を命じられ、やがては「書店員」の仕事を断念していく――という経緯をリアルに綴ったドキュメンタリーです。ただし、具体的な会社名などはいっさい伏せられていましたので、いまもって私の知るところではありません。

「彼の書店員としての能力は抜群でした。本に対する愛情の深さは圧倒的で、“本に奉仕する”といってもいいほどの思いを注いでいました。それに比べると、自分は“そこそこ”の書店員でしかありませんでした。つまり、彼に明らかに負けたことで、自分の存在価値は何だろうか、と考えるようになりました」

 これは先週の土曜日(7月9日)に開かれた「本の学校・出版産業シンポジウム2011」でのひとこまです。東京国際ブックフェアが開かれていた東京ビッグサイト会議棟で行われたこの催しは、午前中に「いま改めて書店について考える――本屋の機能を問い直す」というシンポジウムを行い、午後からは4つの分科会でそれを受けた各種のテーマによるパネルディスカッションが進められました。その中のひとつ「書店に求められる人材とは」というセッションで、この“同僚”発言が飛び出したのです。

 そこでハッとしたのは、ちょうど1年前のことが頭をよぎったからでした。というのも同じ「本の学校・出版産業シンポジウム2010」の場で、出版業界専門紙「新文化」の元編集長である石橋毅史さんに、近くこういう本が出ますから、と勧められて手にしたのが『傷だらけの店長』だったからです。ほぼ同時期には、早期優遇退職に応じた大手出版社社員のブログをまとめた綿貫智人『リストラなう!』(新潮社)も出て、話題を集めていました。“電子書籍元年”が喧伝され、やれ本が売れない、広告収入が激減している、などと、かつてなかったような荒波に揉まれている出版界の現状を、当事者たちが生々しく綴ったという点では共通するものがありました。

 ただ、個人的には同じ出版社の話よりも、書店というやや立場を異にする業界人の本音のほうに関心がありました。実際に読んでみると、内部告発的な調子とはまったく違って、「ただひたすら本が好きで好きで」、学生時代にアルバイトをしていた書店にそのまま就職し、やがてその同じ店の店長となって戻ってきたという著者のまっすぐな生き方に親しみを覚えました。同時に、そういう匂いを放つ書店人だけに、「天職だ」とまで思った(最後までその気持ちに変りはありませんでした)「本屋」の仕事に次第に耐えられなくなっていく過程も理解できる気がしました。中学生の甥が「僕も将来、本屋になりたい。楽しそうだもん。叔父さん、どうやったら本屋になれるの?」と問いかけてきたのに対して、即座に「やめとけ、本屋になんかなるな」と答えてしまう著者の自問自答が本の導入部にあります。
 
〈台車に積み上げた本の山を見て、うんざりする。本なんかもう見たくない、と思う。
 本が好きで書店員になった。本が好きな気持ちはいまも変わらない。しかし本が本当に好きなら、書店員になるべきではなかったのかもしれない、と思い始めている〉

〈どうして私はここにいるのだろう。
 どうして私は書店員であり続けるのだろうか〉

〈何回も辞めようと思った。
「こんな賽の河原みたいな仕事いつまでも続けてられねえ」と実際に辞表を書いたこともある。それでも結局、その辞表を叩きつける度胸もなく、二〇年近くもこの仕事を続けてきた。
 たんなる惰性、ではないようなのだ。いったい何が、辞めようとする私の心を引き留めてきたのだろう〉
 
 会社から与えられた業務時間はあまりに短く、ごく日常的な仕事をこなすだけでも朝早くから終電ギリギリまでかかってしまいます。給与は低く、土日祝日もなく出勤です。その上、本部からは的外れな指示が送りつけられ、スタッフには勝手な要求を突きつけられ、あいつぐ来店客や出版社の営業担当の応対もままならないところに、万引きは後を絶ちません……。どんなに頑張っても、この悪循環は一向に改善される気配もなく、心の底には徒労感がしだいに澱のように溜まっていきます。その様子が、少し突き放したような、抑えた筆致で語られています。

 それでも、仕事への情熱、書店人としての矜持は失いません。探していた本を見つけたときのお客の表情や、意外な本にめぐり合った時の楽しさを人に感じてもらう喜びを最後の拠り所としながら、なんとか踏みとどまろうとします。実際、著者が信じてきた「書店の存在意義」がすっかり消えてしまったわけではありません。

 しかし、そうした個人の夢や願望を情け容赦なく押し流していく負のスパイラルの勢いは強大です。章を追うほどに、業界の構造的な問題と過酷な現場との間で、板ばさみになって苦しむ著者の姿が痛々しく感じられます。店の棚作りに彼がまぎれもなく心血を注ぎ、「どれも、私がじっくり選んで仕入れた本だ。『なくていい』ものなど、一冊たりともこの棚にはささっていない」と自負するほどに懸命であるからこそ、その孤独な姿に胸をふさがれるような思いがしてきます。

 さて、先のパネルディスカッションでは、「彼のような優れた人材が燃え尽きるようなことがないように」、書店をめぐる環境整備をすることがその後の自分の役割だと思ったと、件の発言者は続けました。そうした業界の制度的な見直しが始まっているとともに、別の分科会では、地域に根ざした店舗づくりを地道に続けている地方書店の意欲的な声も耳にしました。職能としての書店人は何をすべきなのか、というまさに「書店の存在意義」の明確化を求める動きが起きていることも事実です。書店の未来像を描くための道のりは容易ではありませんが、困難であればこそ、もう腹を括ってやるしかないという反転の兆しが今年のシンポジウムには感じられました。

 それにしても気になるのは、書店への「未練」を捨て、それを完全に断ち切って、前に進むことを選んだ「店長」のその後です。
 
〈多くの書店で、私と同じ思いを持ち、志を捨てずにいる数少ない書店員たちが、そうでもない者たちに囲まれながら、この朝もまた、店を開けるだろう。そして、多くの妥協を強いられ、悩み、苦しみながら、働くだろう。ある者は己の志を貫こうと努力して周囲と衝突し、またある者は、どうにもならない状況に屈し、あきらめてしまうかもしれない。私と同じように、辞めようと考える者もいるだろう。
 でもそれらの誰ひとりにも、「本」に対しての熱い思いだけは失ってほしくない、と私は願う。売上の減少に頭を悩ませ、理不尽な客のクレームにうんざりし、データ本位で構成された棚を前に奥歯を噛みしめ、本が思うように入荷しないことにため息をつきながらも、本を愛する気持ちだけは失くさずにいてほしい〉
 
 そして、その情熱だけが「本」と「書店」を守る武器となり得るはずだ、と店長は書きました。「その気持ちさえ失うことがなければ、『書店員』というかたちでなくとも、これからも積極的に『本』と関わって生きていくことができる。その方法はまだわからないけれど、私は、多くの『傷だらけの書店員』とともに、『本』に対していつまでも能動者であり続けようと思う。そうでいられるはずだ」と締めくくっていました。

 パネルディスカッションでのやりとりを聞きながら、ここにはいない「店長」、あるいは同じように書店を去っていった彼や彼女の姿を、ふと思い浮かべてしまいました。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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