Kangaeruhito HTML Mail Magazine 452
 
 ひとりひとりが生き生きと
 
 7月21日、雑誌「ぴあ」の最終号が発売になりました。「39年間ありがとう! 懐かしい企画盛りだくさんの永久保存版です。」と背文字にある通り、及川正通さんのイラスト表紙に登場した人たちからのメッセージあり、約1300点におよぶ表紙の一挙掲載あり、「懐かしさ」の引出しがいたるところに用意されています。

 私自身、雑誌が創刊された1972年に大学に入ったこともあり、「『ぴあ』は都市生活のナビゲーター、“感性の道しるべ”だった」(布袋寅泰)という思いを共有しています。「ぴあ」のページを繰りながら、どこでどの映画を見ようか、いまどんな芝居がかかっているのか、をチェックするのが習慣でした。インターネットのない時代ですから、どんなに助けられたことでしょう。

 また「ぴあ」の「表紙の顔」は、「ビッグコミック」とともにエンタメ界のひとつの指標でした。及川さんは1975年9月号からこの表紙を描き続け、2007年8月、ついにギネス・ワールド・レコーズから「同一雑誌の表紙イラスト制作者として世界一長いキャリア」に認定されました。そしてこの最終号まで通算35年11ヵ月! 驚異の“鉄人記録”です。そもそもなぜ彼が「ぴあ」の表紙を引き受けたのか――その経緯をこの号のロング・インタビューで初めて知って、「ぴあ」草創期にみなぎっていた“神がかり”的な熱気にあらためて触れた気がしました。

 一方で、徐々に洗練されていった映画紹介ページのフォーマットや、ヨコ組み情報誌のデザイン追求の面でも、「ぴあ」の果たした役割は小さくありません。編集部の価値判断をにじませながらも、基本的にはフラットに、幅広く、網羅的に情報を集める編集スタイル。同時に、読者の知りたいツボを心得ながら簡潔にコメントをまとめる技術にも、人を惹きつける新しさがありました。「ただの“情報の寄せ集め”ではないか」と皮肉を言う人もいましたが、「シティロード」(1971年創刊、1994年休刊)とともに、あの時代の空気を体現した「いけてる雑誌」であったことは間違いありません。

 今回の最終号で嬉しかったのは、創刊号の復刻版が付いていることでした。定価100円。裏表紙にカトリーヌ・ドヌーブとマルチェロ・マストロヤンニ主演の映画「ひきしお」の広告が入っています。何かと思えば、この特別試写会に読者の方100名様をご招待しますという告知がありました。「ぴあらしく、楽しもう」という発想の原点が、荒けずりながらあちこちに感じられます。大学4年生の矢内廣さんが、アルバイト仲間たちと下宿で始めた雑誌だというのはよく知られていますが、その最初の編集後記を、少し長くなりますが引用してみます。
 
〈半年以上の準備期間を経て、やっと創刊にこぎつけました。
 これまで、映画、演劇、音楽に関する専門誌・評論誌等は数多くありましたが、情報に関しては、皆一様に巻末に追いやられているのが現状です。そこで「ぴあ」は情報だけを独立させ、映画・演劇・音楽の総合ガイド誌として位置することを目指します。範囲は広げようと思えばいくらでも広げることはできますが、当面は標的を私達若者にしぼり、私達に必要な情報のみを確実に、そして濃密に取り上げていくつもりです。
 私達は見たいものは見たいのです。聞きたいものは聞きたいのです。それはジャンルにこだわらない自らの欲求によるものです。「ぴあ」が映画・演劇・音楽と幅広く取り上げるのもそのためです。しかも取り上げるものについては、学生サークル団体、愛好会等のものまで、もらさず掲載していきます。それは何よりも、平均年令23・5歳の若さを誇る我ら編集スタッフ自らの必要性を満足させるガイド誌を作ることが、読者の皆様の期待に応えるガイド誌に結びつくことだと考えるからです〉
 
 この号は、1万部刷って結局8000部が売れ残る、という結果でした。計89店の書店に直販方式で置いてもらっただけで、宣伝はいっさいなし。それで2000部の実売ですから、1店平均で約22.5部の販売実績です。見方によっては“大健闘”だったとも言えます。この89店舗の逸話は、矢内さん自身が折に触れて語っていますが、どうしても素通りしたくないことなので、この大恩人である教文館書店の中村義治社長の葬儀(2004年12月27日)での、矢内さんの弔辞からご紹介します。
 
〈大学四年の時に仲間と「ぴあ」を創刊した私は、出版業界のことなど何もわからず、本を作れば書店に置いていただけるものと思っていました。しかし、お願いした書店にはことごとく断られ途方に暮れていた時、いくつもの偶然が重なって、紀伊國屋書店の故・田辺茂一社長から中村さんをご紹介いただいたのです。
 サンプルを見せながらたどたどしく説明する私の話を中村さんは黙って聞き、やがて「やめたほうがいい。素人の学生には無理だよ。」と仰いました。それでも必死に説得する私に、最後には「どこの書店に置きたいのか、リストを出しなさい。」と言ってくださいました。すぐに仲間の待っている下宿に戻り、徹夜で約百店の書店をリストアップして持っていくと、「明日来なさい。」と言われました。翌日また訪ねると、デスクの上に封筒を山積みにして待っていてくださいました。「これを持って回り直しなさい。」と言われ中を見ると、手書きの署名と実印が押された書店への紹介状が入っていました。感激のあまり、お礼の言葉もちゃんと言えたのかどうかわかりません。翌日から一度断られた書店にその紹介状を持って回り直すと、「しょうがないな、中村さんか…。」と言いながらも、八十九店ものお店が「ぴあ」を置いてくださったのです。まさに、中村さんの紹介状があって初めて「ぴあ」は世に出ることができたのです〉
 
 いまでも紹介状の入った茶封筒の束を小脇に抱えて、飯田橋にあった日本キリスト教書販売の中村さんの専務室から出てくる自分の姿を不意に思い出すことがある、と矢内さんは言います。膝ががくがくするような感触。木造の階段の軋む音。窓から夕陽が斜めに差し込んでいて、キナくさいような臭いがしたこと……。22歳の矢内さんと、当時46歳の中村さん。この話はいつ聞いても、何回読んでも感慨を誘われます。

 この大切な89店舗が、やがて4年後には1600店に達します。そしてほどなく取次会社との窓口が開かれると、1600店は一気に5000店近くにまで跳ね上がり、雑誌「ぴあ」の最盛期が始まります。そこへ至るまでの道のりは、思わず笑ってしまうような汗と涙の青春ドラマです。お金もなければ、栄養失調になるくらいの食生活(食べられないから安酒ばかりを飲んでいた)だったにもかかわらず、少しも暗い影を感じません。「このまま大学を卒業してサラリーマンになって、レールに乗せられた人生を送るのは癪だ。オレたちの生き方をやってみないか」というあの当時の気分に、彼らは素直に従っていたように思えます。

 ところで、休刊を決めた矢内さんは、少なくとも傍目には淡々としているように見えました。「苦渋の決断」には違いありませんが、雑誌としての役割が終わったことを、おそらく誰よりもよく知っていたのは創業者自身だったような気がします。休刊を惜しむ声があいつぎ、大きな反響があったことには「感慨ひとしおでした」といいますが、経営者にとって感傷にひたっている時間はありません。

 すでに2002年の創業30周年のときに、雑誌「ぴあ」が創刊された1972年を第一の創業、「チケットぴあ」のサービスが始まった1984年を第二の創業、そして東証二部上場を果たした2002年を第三の創業と位置づけていました。その上で、これから自分たちは“心”の時代と言われる21世紀において、その心の豊かさをサポートする「感動のライフライン」事業に取り組んでいくという青写真を示していました。その年に編集からデジタル部門に異動した社員は、「ぴあという雑誌がなくなるようなサイトを作れ」と、担当役員に言われたと聞きます。休刊を惜しむのではなく、“ぴあらしさ”を新たに展開していくためには何を拠りどころにしたらいいのか――この自らへの問いかけこそが大切なのでしょう。

「そもそも、ぴあは何もないところから始まったんです。敷かれたレール、明確なビジネスモデルがあったわけじゃない。とにかく自分の足で立って前に進もうという気概、そしてそれを形にするために、必ずしもお金やモノじゃなくて、クリエイティビティで周囲を巻き込み動かして、いろんなものを創り出してきた。それがぴあの歴史なんです」。

 東日本大震災で実家が被災したということもあり、改めて「生きている意味」を考えたという矢内社長は、被災者支援をいま自分たちは口にしているけれども、ひるがえってわれわれ自身は、本当に「両の足で立って」いるのだろうか、と問います。「ともすれば、淡々と過ぎ去る日常、仕事や生活の忙しさにかまけて、実は人間が生きていく根源にあるはずの、『他人の手を借りず、自分の足で立つ』という意識が後景に退いているのではないだろうか」と。

 ぴあの創業記念日は7月10日。社長室からのメッセージは、「ひとりひとりが生き生きと」の「ぴあのスピリッツ」を問い直そう、ということでした。そこで、ぴあの誕生月「蟹座(6.22―7.22)」の運勢を、最終号巻末の星占いで見てみました。「チャレンジ精神が求められる時期。先を考えて行動を控えているようでは成功は望めません。強い意思を持って行動を起こせば、すぐに良い結果が得られるハズ。あなたがブレなければ、協力者も現れるでしょう」

 新たな“ぴあ人”の出現は、いつの時代であっても待ち望まれているはずです。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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