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北杜夫『白きたおやかな峰』(新潮文庫)

カラコルム茫々

 突然の訃報でした。どくとるマンボウ・シリーズをはじめとして、『楡家の人びと』、『幽霊』、『夜と霧の隅で』など、多くの作品に親しんできた北杜夫さんが亡くなりました。84歳。「心の中にぽっかりと穴があいたような感じです」と語った人がいましたが、本当にたくさんの、幅広いファンが北さんの作品を心の糧としていました。あたたかなユーモアとアイロニー、みずみずしい叙情性、そして明確な意思と怜悧な知性によって構築された小説世界。北さんを語ろうとすればいろいろな入口があると思いますが、たまたま最近になって読み返そうと思い、書棚の奥から探し出していたのが、この『白きたおやかな峰』でした。

 1966年11月、「純文学書下ろし特別作品」として刊行されたこの作品は、その前年に北さんが京都府山岳連盟カラコルム・ヒマラヤ登山隊のドクターとして、ディラン峰(7273m)初登頂の遠征に参加した経験がもとになっています。飛行機で近づいていくカラコルムの高山の圧倒的な描写が、いきなり心臓を鷲づかみにしてしまうような書き出しです。写真や映像でヒマラヤの風景はずいぶんお馴染みになりましたが、作家の刻む一語一語の力によって、荘厳な峰々が立ち現れてくるプロセスは、読書の醍醐味以外の何ものでもありません。
 
〈山であった。日本には決してない山であった。起伏し、のしあがり、突っこみ、重畳と連なる岩の殿堂であった。太古の地球の思いがままの傲然たる隆起であった。そして前方に、白く輝くものが見えてきた。架空の、お伽の世界のような雪山の連なり。すぐ下方の荒んだ岩山にも白いものが点在し、それが次第に殖え、やがて視野は、より白く、その上にも又より白くなっていった〉
 
 物語はやがて、緑に月と星のパキスタン国旗と日章旗が立てられたベース・キャンプへと舞台を移します。遥か右前方には、めざすディラン峰の神秘的な山影があります。「濃藍(のうらん)の空が、その白さをいやがうえにも強調し、ディランはお伽の国の魅惑にみちた特別製の砂糖菓子のように眩ゆく光り輝いた。裸身をむきだしにして一同をさし招く純白のあえかな美女」――。その純白の極みの山肌が、天候に応じて、太陽の光によって、微妙に表情をうつろわせていくのを見ながら、作中人物たちの心象風景も変化を遂げていきます。
 
〈ディランは今日も全身を見せて眩ゆく白く輝いていた。こうして何日かその山影を見つづけていると、はじめの幻想的なそれよりもっと現実的な実体のあるものとして目に映じてくる。そしてなお見慣れるにつれふしぎな親しみが湧いてきて、あれこそ自分たちの山だという思いを久能ははっきりと感じた〉
 
 この白銀きらめく処女峰に挑む男たちの姿が、さまざまな視点――作者の分身とおぼしきドクター、遠征隊を統括する隊長、そして個性豊かな隊員たちの目を通じて、淡々と描かれていきます。まるで一歩一歩、我慢強く山を登っていく隊の動きに合わせるかのような、周到で着実な展開です。登山隊がどのようなシステムで動き、最後のアタックに至るまでどのような段取りで計画が進められるのか。読者はいつの間にかその流れに同化しながら、次第に緊迫した面持ちで読み進めていることに気がつきます。

 とりわけ魅力的な人物は、この登山隊を指揮する小滝隊長です。旧制松本高校出身でドクターの先輩にあたり、山の世界では大ベテランです。一方、実生活では企業経営者としてなかなかの辣腕家でもあります。しかし、隊長としては温厚な人柄で、人心掌握にたけ、冷静な判断力と、ここという場面での決断力を備えたリーダーとして描かれています。松高山岳部時代に遭難事故で二人の友人を失い、自らも九死に一生を得たという体験が彼のゆるぎない「安全登山」の哲学を形成していますが、その内面はロマンチックな心情の持ち主であり、スマートな物腰、態度とともに、隊全体の空気をやわらかく包んでいます。

 それに対して、ひとり“山の素人”として参加したドクターの心理には複雑なものがあります。専門は精神科である上に、「医者は副業で小説を書くのが本業」という立場。不眠症と日頃の夜型生活のために、隊員たちが寝入った暗闇の中で、「山男って奴は、気っぷはいいかも知れんが、どうもおれは好かん」、「みんな健康なのだ。おれだけが不健康なのだ」などと呟きます。

 一方、巨大な自然の中に、日常の「麻痺した精神を刺激し覚醒させる何者かがある」と感知し、作家として自分はディラン峰をいかに文字に刻みつけることができるか、と自問します。「あの雪と岩の織りなす微妙な陰影、あの複雑な隆起と陥没、あの肌理こまやかな優雅さと峻厳な重量感、自然が太古から一鑿(ひとのみ)々々彫り刻んできたこの壮麗な記念碑を、一体どう表わしたらよいのか」――と。「おれには書けない」という思いもこみ上げます。

 それとともに、気持ちは次第に初登頂をめざす隊員たちの心にぴたりと寄り添います。悪天候や体調不良に苦しめられ、険しい峰をあえぎながら登攀していく「かぼそい人間たちの、しかしそれゆえにこそ価値ある苦闘」は、「作家たちが荒涼たる深夜の机の上で、絶望的な模索の果に一語を選ぼうとする努力にも似た作業でもあるにちがいない」と考えます。

 とはいえ、山に対するドクターの思いはアンビヴァレントなものです。「かぼそい人間たち」の情熱に引き込まれそうになる一方で、それが死の淵に立った危険な「賭」の様相を帯びてくるにしたがって、凝縮された不安は堪えきれないほどの恐怖に変わります。そして悪天候の中、2度目の絶望的なアタックが開始されると、「今のうちに早く降りてくれ。……頼むから早く降りてくれ」と苛立ちながら念じます。「なんであんな山に登りたがるのだ。たかが雪と氷のちょっとしたでっぱりじゃないか。なんでそんな危険な真似をするのだ。もうみんなやめてくれ」とほとんど憤りを覚えながら――。純白の妖精と見えたディラン峰も、いまや「おぞましい白い妖怪がうずくまっている」ように思えてきます。

 このように、物語はドクターの山に対するアンビヴァレントな感情がモチーフとなって生まれています。そして、この葛藤がまさに頂点に達した瞬間の、劇的な結末。その鮮やかな幕切れによって、高まった感情は宙吊りにされたまま、読者の心に深い余韻となって残ります。

 ところでこの終幕では、上方で死力を尽くす隊員たちに対して、ベース・キャンプで何のなすすべもなく、ひたすら祈りながら待つほかなかった者として、ドクターの傍らにもう一人の男がいました。メルバーンという、現地で採用したコックです。小柄で、年齢はほぼ40歳前後。整った顔立ちをしていますが、どこか「もの悲しそうで、そのくせふしぎな滑稽感をもたらす風貌」の持ち主です。同じように雇ったポーターたちよりも年長で、しかも2度の外国遠征隊に加わり、もっとも高所に行ったという実績があることから、仲間うちでも一目置かれる存在でした。パキスタンの公用語であるウルドウ語のほか、この地域のいくつかの方言にも通じ、またかなりの数の英語の単語を話しました。そのために時としては日本の遠征隊の味方になって、あまりに不甲斐ないポーターたちに“檄を飛ばす”という場面もありました。

 なかなか愛嬌のある男で、皆から愛されました。何よりも隊の無事を案じ、最後は一晩中地面の上にうずくまって、祈りを捧げるような人物でした。「あいつはほんとにいい奴だった」。作者はそんな思いを胸に刻んで、帰国の途についたのでした。ところが、そのディラン遠征から26年たった1991年のことです。テレビ番組の取材で、作者は再びカラコルムの土を踏む機会を得ます(「カラコルムふたたび」、「新潮」1992年1月号初出、『巴里茫々』新潮社、12月刊所収予定)。

 事前にロケハンに行ったスタッフからは、彼が「まだ生きていて農業をしている」という確認が取れました。それからは、「ただただメルバーンに会いたいという一心で、他の仕事を放擲してまで」カラコルムに向かったのでした。思い出が次々に蘇り、彼の顔立ちが浮かんでくると、目に涙があふれてきました。ようやくメルバーンの住む村を訪ねることができたのは、帰国予定の前日でした。彼の自宅の前に立ち、大きな声で名前を呼ぶと、すぐ木の戸口が開いて、メルバーンの姿が現れます。「小柄な姿、黒い髭、その悲しげな目、それは私の記憶にある彼と完全に一致してい」ました。
 
〈私たちは歩み寄った。そして、抱きあった。かなり長いあいだ。
 さすがに嬉しかったが、幸い、みっともない激情は起らなかった。私は涙も流さなかった〉
 
 メルバーンはいつの間にか簡単な英語も忘れたようでした。突然の再会にどことなくちぐはぐなやりとりが続きます。もの悲しい気持ちが湧いてきます。加えて、村の顔役から撮影の中止を求められ、とんだ横槍までが入ります。メルバーンの声にも顔にも、「かつての剽軽な、おどけた影は少しも現われ」ません。それでも今夜はここに泊っていってくれ、と繰り返すメルバーンに、北さんは「ベリ、ソリー。アイ、ハブ、ノータイム」としか答えられません。ところが、彼の健康状態を尋ねたところから、話は意外な方向に転じます。メルバーンが「実は男の子が欲しい、ドクター、良い薬をくれ」と言い出すのです。推定年齢70歳弱の人間からの思いがけない頼みです。帰国後、北さんは知り合いの医者に相談して、カロリーメイトを送ることにします。それに添えられた北さんの手紙です。
 
〈通訳に、あなたは六十歳だと言ったそうですが、どう考えても六十五歳から七十歳の間でしょう。男性の機能もおとろえます。
 また精力剤は一時的なもので、かえって体全体をわるくします。そこで最近日本で作られた薬――これにはさまざまな栄養剤、ビタミン、その他の良い成分が含まれています。一日に三分の一くらいを食べて下さい。すぐには効きませんが、段々とあなたの健康と精力を高めるはずです。私が専門家と相談してこれがいちばんだと思います。
 メルバーン、元気で長生きをして下さい。我々はみんなそう祈っています〉
 
 いまであれば、北さんの長女の斎藤由香さんが、カロリーメイトではなく、サントリーのマカこそ「いちばんだ」と進言しただろうと思います。いつもユーモアを忘れなかった北杜夫さんのご冥福をお祈りいたします。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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