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石橋毅史『「本屋」は死なない』(新潮社)

宇宙の微塵となりて

 著者は現在、41歳。このロードムービーのように展開するノンフィクション作品を「教養小説(ビルドゥングスロマン)仕立て」というには、やや年を取り過ぎているかもしれません。ただ、主人公(著者)はまさにそういう謙虚な気構えで、あえてナイーブな、愚直な聞き手役に徹しながら、「本」と「本屋」のこれからのあり方を問い、自らも新たな一歩を進めようとしています。

 出版業界紙「新文化」の編集長を務め、2009年いっぱいで退職した著者が、初めて書き下ろしたのが本書です。タイトルが『「本屋」は死なない』となれば、おそらく誰しもが、これまでの蓄積を活かした“卒業論文”的な業界本を想像すると思います。ところが、実際は大いに違っています。長年親しんだ書店の世界をテーマにしながら、むしろ業界本にしなかったところがこの本の面白さです。状況論のような大上段に構えた議論を意識的に避け、著者の素朴で個人的な、だからこそ真剣な問いかけが繰り返されます。

 昔であれば、武術の達人や学問上の師を求めて、諸国を遊歴するような物語です。自ら車のハンドルを握り、あえて目的を限定しないまま、これはと思う人のもとを訪ねます。ジュンク堂書店(大阪)の福嶋聡さん、イハラ・ハートショップ(和歌山)の井原万見子さん、元さわや書店(岩手)の伊藤清彦さん、定有堂書店(鳥取)の奈良敏行さん、ちくさ正文館(愛知)の古田一晴さんなど、書店業界ではいずれも名前の知れた人たちです。著者にとって旧知の人もいれば、そうでない人もいます。会いに行く唯一の理由は、彼らが「本屋」だからです。ここでいう「本屋」とはいわゆる書店ではありません。客観的に見れば将来性は乏しいと言うしかないこの業界にあって、少しでも良い形で「本」を読者に届けられないかと「未来」を模索している書店人のことです。

 著者はためらいがちに電話をかけてアポを取り、車を走らせます。途中、気がつけばあちこちの書店を覗き、呼吸を整えながら目的地へと向かいます。お目当ての人と会えば、その空間に身を溶け込ませるようにしながら、気の済むまで、事情の許すかぎり留まります。1泊の予定が2泊になることも辞しません。迎える側がそれを快く(?)受け入れている様子も興味深いかぎりです。著者の真摯な問いかけに響きあう何かを感じるからこそだと思います。

 延泊の効用は思いがけない形でも現れます。翌日、訪ねてみると本屋の表情が変わっていることに気がつくからです。背表紙を見せて並んでいる本が、昨日とは違っている。「飽きられてはいけない……情熱ある本屋の棚は、日々流れている」――それを目の当たりにするのです。また、客が多い日もあれば、少ない日もある。そうした店頭での体感こそが、業界紙の記者時代には得られなかった収穫として受け止められています。

 ストーリーの主軸となっているのは、大手書店の店員を辞め、東京・雑司が谷に売場面積5坪の本屋「ひぐらし文庫」を開業した原田真弓さんの話です。2010年1月ですから、著者がフリーになったのと、たまたま時を同じくしたスタートです。有能で熱心な“カリスマ書店員”と見なされていた彼女が、約16年間勤めた会社を退職し、その後再就職した出版社も1年足らずで辞め、あえて自分の本屋を開業したのは「なぜ?」――こう問われた原田さんが、少し沈黙した後に、答えます。
 
〈ささやかな退職金ではじめられる本屋があったっていいんじゃないかなって思ったんですよ。……ずっと本屋をやっていきたい人っているし、そういう人が始める本屋がもし全国に千店できたら、世の中変わる、けっこう面白いじゃん、と思って。私がそんなネットワークを作れるわけじゃないけど、でも自分がやってみないと始まらないから〉
 
「そんな本屋が全国に千店できたら」――この言葉が著者を打ちます。後ろ向きの懐古趣味ではなく、未来につながることを予感しながら、行動を起こした原田さん。状況の厳しさなど百も承知の上です。いったい何が彼女を駆り立てたのか? 驚かされた著者でしたが、実はこれまで「ある種の書店員や書店主と接するたびに感じてきたこと」でもありました。いったい何が彼らを「本屋」にしているのか? なぜ彼らは自分の思うかたちで「本」を人に手渡す役割を担いたいと考えているのか? もしかすると本人すら意識しない何かに衝き動かされているのではないか? とすれば、その根源的な欲望とは何なのだろうか? 

 それをより明確に意識化したい、という旅が、こうして始まります。それはまた、なぜ自分はそういう人たちに肩入れせずにはいられないのかを確認する旅でもあります。行く先々で会う人たちからは、表情に富んだ、生き生きとした言葉が返ってきます。
 
〈せっかく千四百坪という大きな店を任せていただいてるんで、そのなかのごくごく一部を使って、月に一冊でいいから、自分が読んで面白かった本を薦めたい。「店長本気のイチ押し」という常設コーナーを作ったんですが、これがなかなか売れない(笑)。もう、ホントに売れないです。痛感しました。でも、続けないといけない。……自分はこれがいいと思うと言い続け、いつか誰かに伝わることもある。書店というのはそういう場でありたい、といつも感じています〉(ジュンク堂書店・福嶋聡さん)
 
 食料品店もなくなってしまった和歌山県の過疎の地域で、「読み聞かせ」をこつこつと続けながら本屋を維持している井原万見子さん。盛岡市の「さわや」の名を天下に轟かせた伊藤清彦さん。28歳で東京の山下書店に勤め始めた時、「通勤時間の往復で一日二冊読もうと決意し、わざわざ遠隔地に居を構え、各駅停車で職場に通った」(佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』)など、数々の伝説に彩られたこの書店人が、2008年10月、突然「両親の介護」を理由にさわや書店を退職した衝撃。かつて新刊書店の「最大のヒーロー」と崇めていたその人を「隠遁生活」の場に訪ねて聞く心境。

 いずれも興味深い対話が続きます。しかし、おそらくこの本のピークをなすと思われるのは、鳥取市で定有堂書店を営む奈良敏行さんとの出会いです。「話を聞かせてほしい」と電話をした時、「あなたの思う本屋の未来って、どういうものですか?」と静かに尋ねられ、うまく答えられないでいると、「つまりそれは、人だ、ということですよね?」と。「本屋の、あるかもしれない未来をもう一度つくるのは、人間ひとりひとり」だということですね、と。

 1996年、鳥取県大山(だいせん)町で出版業界人の勉強会「本の学校――大山緑陰シンポジウム」が開かれた時、奈良さんと恭文堂書店(東京・目黒区)の田中淳一郎さんは、「街の書店は今」という分科会でパネリストを務めます。この時、それを聞くために、休暇をとって東京から参加した若い書店員は、「本屋には青空がある」という奈良さんのひと言に感銘を受けます。次のような言葉でした。

「書店という空間は、現実としては閉鎖的な器である。壁際が書棚に埋め尽くされているので、窓も少ない。しかし、一冊の書物に出会った瞬間、読者の意識や観念は拡大し、精神は大空へと飛翔する。人生観や心の希求するものが限りなく浮遊していく。本屋という仕事も、日ごろは地を這うような地道な作業の繰り返しだが、書物を扱っていると、不思議な精神の拡張感がある」(安藤哲也『本屋はサイコー!』新潮OH!文庫)

 その時の若い書店員、安藤哲也さんが新店舗の立ち上げを決意したのは、この言葉が引き金でした。店名も奈良さんの発言をヒントに「往来堂書店」(東京・千駄木)と名づけました。往来堂の、その後の華々しいストーリーはおくとして、今回も奈良さんのひと言ひと言が著者の心には浸透していきます。「奈良の話を、僕は空気を吸うように聞く。優しく平易な言葉に、含意がある。いつまで話しても頭は疲れず、むしろ軽くなってゆくのが不思議だった」。
 
〈本屋というのは、“小さな声”の世界ですよね。そもそも本が、“大きな声”を信用しない世界というのかな〉

〈本屋は外商から始まる、と私は思っていました。まずはあの人がほしいと思っている本、思っていそうな本を、届ける。本屋の役割はそこから始まるんだと解釈していました〉

〈どの本を何冊売ったところで、その一人ひとりが受け取った一冊のほうが、ずっと重いですよね〉
 
 ――本屋をやりたいという欲望?
 
〈私の場合は、コミュニケーションです。人と出会える、ということですね。人と出会えるなんて、そんなのどこでも会えるよという感じですけど、私は、すごく人見知りなんです。ふだん、知らない人を前にするとなかなか口をきけない。でも、今は喋れるんですね。なぜかというと、本屋をしていれば本を間において人と接するから〉

〈やっぱり本屋というのは身の丈の仕事なんだ、ということでしょうか。私の場合は店があって棚があって、そこでお客さんと向き合うくらいのことしかできない。でも、それがいいんですよ。本質は照れ屋、身の丈でやる、というのが私の思う本屋です〉

〈本屋は、もともとはミッションがあった。ミッションを持たざるを得なかったというのかな。お客さんの、本に対する個別の要求に応えていく。頼まれたらどんな本でも手に入れなきゃいけないし、本のことを聞かれてわからないというのは基本的に恥ずかしいことだったから、よく勉強しなくちゃいけなかった。それは、地域に対してミッションを負っているからなんですね〉
 
 とうとう3泊してしまった訪問者に辛抱強く付き合いながら、奈良さんが語りかけた言葉は彼の頭をますます軽くしていきます。同時に「本」を手渡す「本屋」の役割について、より確信を深める導きとなります。

 この旅を続ける著者の中には、おそらくふたりの人物のことがいつも意識されていたはずです。ひとりは、言うまでもなく「ひぐらし文庫」を始めた原田真弓さんです。「情熱を捨てられずに始める小さな本屋が全国に千店できたら」と言っていた彼女が、その後、試行錯誤している様子を間近に見ながら、ともに答えを探し続けます。彼女の話をじっくりと聞き、疑問は疑問としてぶつけながら見守ること。それはいまなお継続中です。

 もうひとりは、ここには直接登場していませんが、著者が編集長時代に連載を企画し、それを直接担当し、さらには単行本化をプロデュースした『傷だらけの店長』(伊達雅彦、パルコ出版)の匿名の店長です。いまの書店での「葛藤、苦悩、鬱屈、ささやかな喜びにまみれた日々と、やがて書店の現場を去ってゆくまでを綴った」その本については、このメールマガジンのNo.450でも紹介したことがあります。おそらく現在の書店のあり方に対して誰よりも悩み、「傷だらけ」になり、いったん退却の道を選ぶしかなかったその彼に対して、自分はどういう答えを用意することができるのか、という思いが著者には常にあったに違いありません。

 現実の書店は厳しい環境下に置かれています。技術革新の波にもまれ、売上の減少と業務の肥大を抱えながら、ストレスの多い毎日が繰り返されています。まさに『傷だらけの店長』の世界です。それでも志を捨てることなく、現場で頑張っている書店員、書店主がいる。そして、この本に登場するのはいずれも「かっこいい本屋」の人たちだけれども、それは決してひと握りの存在ではなくて、まだまだ世の中にはこういう人たちがたくさんいるに違いない――この楽観と信念が、全篇を貫く著者の歌として聞こえてきます。

 低くささやくように歌い始められ、最後まで朗々と歌われることはありませんが、その主旋律はしっかりと伝わってきます。それは広く「本」を愛する人たちに向けられたものですが、もっとも届けたいのは、現実に抗いながら、意思ある手で「本」を人に手渡そうとしている人たち、それぞれの持ち場で頑張っている書店人に対してだと思います。そして、そこにこめられた夢は、元さわや書店の伊藤清彦さんが大切にしている、宮沢賢治の言葉に連なるものかもしれません。
 
〈まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう〉
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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