Kangaeruhito HTML Mail Magazine 472
 
 ぴかぴか光っている人たち
 
「今年はannus horribilis(ラテン語で「ひどい年」)であった」とエリザベス女王が述べたのは、1992年のことでした。次男アンドリュー王子とセーラ夫人の別居、長女アン王女の離婚、週末を過ごすウィンザー城の炎上、長男チャールズ皇太子とダイアナ妃の別居発表など、英国王室にとってスキャンダラスで気鬱なことの続いた一年を回顧しての言葉でした。

 それをふと思い出すのは、言うまでもなく、2011年が日本にとって大地震、津波、原発事故という「複合災害」に見舞われた年だったからです。12日に発表された「今年の漢字」(日本漢字能力検定協会)は「絆」に決まりました。「絆」か「災」かのどちらかだろう、と予想していましたが、「災」は結局第2位で、第3位「震」、以下「波」、「助」など、震災関連の一文字が続きました。また新語・流行語大賞は「なでしこジャパン」になりましたが、こちらも上位10傑の半分を「3・11」、「絆」、「帰宅難民」、「風評被害」、そしてACジャパンの「こだまでしょうか」の震災銘柄が占めました。

 そういう年の瀬であるからこそ、ですが、来年に目を向けるきっかけとして、是非ご紹介しておきたいのが、『できることをしよう。――ぼくらが震災後に考えたこと』(糸井重里 ほぼ日刊イトイ新聞、新潮社)です。糸井重里さんと彼の主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞(以下、ほぼ日)」の編集者たちが、震災後に手がけた6本の話題作を単行本用に仕立て直し、最後に糸井さんの語り下ろしロングインタビューを収めた1冊です。想像を絶する大震災に見舞われた人たちが、その喪失をバネにしながら必死で智恵を絞り、「光の射す方向」に向かって歩み始めている「あの日からの未来」(糸井重里)の物語です。

 記事はほぼ2つの系統に分かれます。ひとつは、被災地の状況に対して瞬発力で反応した人たちの動き――震災直後から現場の自己判断で支援物資を運び始めた「クロネコヤマト」の社員たち、あるいは復興支援の専門家でもない大学院の先生が、日本全体を巻き込む大規模な支援活動を立ち上げていく「すんごいアイディア」の物語などです。もうひとつは、被災地に足を運ぶことで見えてきた現実をヴィヴィッドにとらえた作品――津波ですべてを押し流されたゼロの状態から、いち早く事業を再開した3つの会社の心意気のドラマ、あるいは夏の高校野球福島県大会を戦う高校球児たちを見つめたルポルタージュなどです。どの記事も「ほぼ日」に掲載されると同時に、かつて例を見ないほどの大きな反響と熱い共感の渦を巻き起こしました。リラックスして、気軽に読める体裁なのに、驚きと感動が待ち構えていて、勇気が与えられる作品です。

 そして最後に、「ぼくと『ほぼ日』の『できること』。」という、4時間に及ぶ糸井さんのインタビューがあります。震災直後から糸井さんが何を思い、どのように考え、時々刻々と変わる状況の中で、それをいかなる言葉にして語ったか、という貴重な証言です。本の「まえがき」で、糸井さんは次のように述べています。
 
〈たいていの人は、すばらしく立派な人でもなく、つくづく悪いやつでもなく、
時にはおろおろ歩き、時には毅然とし、
「ふつうの誰かさん」として、好かれたり嫌われたりしながら生きています。
そういう「ふつうの誰かさん」としての人間が、
今回の大震災のような、とんでもない事実に直面したときに、
どういう気持ちになるのか、どういうことをしはじめるのか、
想像することはできませんでした。
例外でなく、ぼく自身も、そうでした〉(「この本のなかにいるのは、あなたかもしれない。」)
 
 地震発生から土日をまたいだ翌週の月曜日に、糸井さんは「ほぼ日」の社員全員を集めたミーティングを開きます。そして、その後に「東日本大震災のこと。」という特設ページを「ほぼ日」上に設けて、こう書きます。「信じがたいようなことが起きて、それが事実なのだと知ってから、ぼくらは、なにをどうすればいいのか、すっかりわからなくなっていました。わかること、たしかなことを、ひとつずつ数えて、なにができるのか、どうしたらいいのか、それについて考えました」と。

 そして、3つの言葉を記しました。
(1)ぼくらは「たいしたことないもの」です。
(2)こころのことは、別にしました。
(3)かっこいいアイディアは、ありません。

 これを初めて読んだ時、震災直後に友人が電話で伝えてきたメッセージが頭をよぎりました。阪神淡路大震災を神戸の中心部で経験した彼は、単刀直入に言ったのです。「いま必要なのはお金と生活物資。金額は大きいほどいいし、物資も量が大事。ありがたいお見舞いの言葉や、尊いお気持ちは後からで結構。カッコつけなくていいから、やれることをすぐにやること。何より迅速さ、スピードが肝心だ」と。

 メディアやネット上でさまざまな言葉が飛び交っていた中で、糸井さんの発言はきわめて異彩を放っていました。自分の立ち位置を「たいしたことない」一人の人間というふうに規定し、「奇手奇策、胸の空くようなアイディア、みごとな表現、さすがと言われるような方法。そういうものは、ないです」と宣言し、そんな「かっこいいアイディア」探しにエネルギーを割くよりも、本当に「実効」あること――つまり「バケツリレー」の一員になることを考えましょう、と呼びかけた意味はとても大きいものがありました。

 その翌日の12時に糸井さんと会いました。たまたま前々からのアポがあり、それをあえて変更しないで訪ねたのです。張り詰めた表情ではありましたが、震災とまったく関係のない仕事をお願いし、快く引き受けていただきました。普段通りでした。ただ、そのやりとりを通して伝わってきたのは、大事を前にして判断停止になるどころか、必死で考えようとしている糸井さんの強い意思、責任感でした。

 そこから始まった「ほぼ日」の歩みを、あますところなく伝えてくれているのが本書です。「ほぼ日」がその後何を考え、どういう人たちと出会い、何を学んでいったかが、そのまま追体験できるのが魅力です。中でも2つの重要な発見が、さりげなく語られているのが印象的でした。ひとつは糸井さんたちが震災後に初めて訪れた、宮城県南端にある海沿いの被災地での出来事です。「もし、『ほぼ日』のみなさんが山元町にいらっしゃることがあれば、亡くなった方のところに行ってもらうことはできませんか」、「いちばんみなさんに忘れてほしくないことは、亡くなった方々のことだから……」という声に導かれて訪ねた先でのことでした。

 津波で亡くなった人があまりにも多かったため、山元町では火葬が追いつかず、被災地の中でも二ヵ所だけ土葬が行われた場所でした。糸井さんはこの時の感想を、地元のラジオ番組で語っています。

「墓地では、お線香を持ったまま、お名前の書いてある所ではお名前を呼んで、お辞儀をして、次の方の所に行って。名前のない方の所では、呼びかけることもできないので、ただ、お辞儀をして……それだけでした。来ました、ということだけしか言えません。言葉の商売のはずだったんですけど、ないです、言葉は。
 ぼくらが生活してる場所って、亡くなった人や先祖とつながっているという感覚が、あるものです。昨日まで同じように生活していた人が、行方不明になってしまったり、急に名前もわからない死者になってしまったりしている。そういうのって、納得がいかないですね。生きている人が、せめてできることとは『○○さんはここにいるよね』ということを、言うってことだけなのかなぁ、と思いました」

 山元町に来て初めて、「死んでいる人のことを考えているのは現地だけだ」ということに気づいたと言います。現地では、「死者」は亡き存在ではありません。幽明境を異にしながらも、「死者」は生者とともにある「生きる存在」です。鎮魂の祈りを捧げる対象です。

 もうひとつは「光」はどこから来るか、ということです。震災直後から、「光の射す方向を向こう」、「明るい方を向いている人を探すことが、ぼくたちの仕事だ」という意識を共有していたのが「ほぼ日」の人たちでした。ところが、実際に被災地に通うにしたがって、あることに気づきます。「光」は悲惨な体験をした人たちから出ているのではないか、ということです。被災者こそが、実は光源であり発光体だという発見です。しかも、当人たちは自分自身が「ぴかぴか輝いている」とは知りません。「光」の存在を言いあてる人の出現によって、光は初めて意味を持ち始めます。出会った人間だからこそ見いだせる価値であり、だからこそ何度も訪ねる意味が生まれてくるのです。それほど、「ふつうの誰かさん」の輝きは胸を打ちます。その彼らに温かく迎えられ、心を震わされ、そして何かを教えられ、「いただきもの」を得ているのは、実はこちら側だと気づくのです。

 こうして、「困っている人に対して何ができるか」という支援のまなざしが、あっさり覆されていくのも読みどころです。「東北の仕事論。」、「山元町と手をつなぐ。」、「福島の特別な夏。」は、そうした幸福な出会いの産物であり、「ほぼ日」が気仙沼に支社を開設するという、その後の流れを決める大切なステップとなっています。

 3月11日がもしなかったら、今年のいまごろはどうなっていたか――を想像することは、もう意味がありません。今年だからこそ出会えた人々、この年だからこそ考え、気づき、知り得たことを糧としながら、震災を初めて“内部化”した東京の会社として、「ほぼ日」が来年以降どう変わっていくのか、そこに興味をかきたてられるのも本書の楽しさです。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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