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内田洋子『ジーノの家 イタリア10景』(文藝春秋)

春夏秋冬、まだイタリア

 書店で表紙を目にした瞬間、直感的にひらめくものがありました。淡い落ち着いたブルーの地の上に、書名がそっと置かれたシンプルな装幀。目次に並んでいる各章のさりげないタイトル。明るく派手なイメージばかりが強調されるイタリアという国の、まったく別な側面を伝えようとする静かな意思が感じられました。そして読み始めて、また驚きます。ひとつひとつが完成度の高い短編小説のような、あるいは映画の名場面に触れるような、エッセイともノンフィクションとも呼べる、粒ぞろいの作品集だったからです。

 描かれているのは、これまであまり語られることのなかったイタリア人の普通の暮らしの模様です。登場する人たちは、出身地も、年齢も、境遇も、個性もさまざまです。共通しているのは、表立って注目されることもなく、平凡に静かな生活を送っている人たちだということ。著者は、そうした人々の人生の哀歓、機微を、落ち着いた大人のまなざしで、温かく、柔らかに表現しています。イタリアに住んで30余年という歳月のなかで、自分が出会った人や場所のかけがえない思い出を、至宝のように書きとめた10の断章です。

 ところで、イタリア北部にリグリア州というところがあります。南は地中海に面し、北はアルプス山脈とアペニン山脈の山々が海岸近くまで迫る、東西に細長く伸びた地域です。そこのインペリアという港町。著者によれば「さしたる取り柄もない」地方小都市です。すぐ西のフランス国境の向こう側には、モナコ公国やコートダジュールのような華やかな一帯が続くというのに、「こちらイタリア側はといえば、栄えるでもなし滅びるでもなし。鄙びた田舎の港町のまま」という好対照ぶりです。

 そこにどうしたはずみか、家探しに出かけるというのが表題作「ジーノの家」です。ミラノに比べて気候はいいし、ほどほどに都会の機能も備わっていて、しかも海もあれば山もある、そういう「地方の小ぢんまりした町を試してみようか」というのがきっかけでした。読者はすでに先の章で、この土地には「自分はホクサイ(葛飾北斎)の生まれ変わり」と称する、不思議なイタリア人画家を著者が訪ねたことを知っています。そこにはまた「イタリア語に似た不思議なことば」を話す和服姿の日本の老婦人が出入りしていることも――。それがどう影響したかは不明ですが、著者は新聞の不動産広告を熱心に繰りながら、ここで優良物件を探し始めるのです。

 ところが、勇んで連絡した大家が現れてみると、「うだつのあがらない、という言葉をそのまま形にしたような五十過ぎの男」でした。家を借りようかという人間を前にして、ろくな挨拶も自己紹介もありません。心中むっとしながら、男のあとをついて急な坂道を上り始めます。すると、後ろも振り向かずに、男がぼそっと話し出しました。

「僕は、ジーノ。あなたと同じく、他所者(よそもの)です。五十年前に、生活に困った両親が南部から職を探して北上し、たまたまここへたどり着いた。故郷は南も南、イタリア半島さい果ての地のカラブリアで、名も無い貧村です。僕は一歳だった。弟二人はここで生まれて、以来こうして山にしがみついて暮らしてます」

 訛のないきれいなイタリア語で語られる一家の歴史に、著者は思わず引き込まれます。ジーノの両親が見捨てたカラブリアという土地は、「いつの時代にも世の中から置き去りにされ」、一度も日の当たることがなかったイタリア南部の不遇な場所です。両親はそこを抜け出し、ようやく辿りついたこの土地で、海に向った急斜面に栽培されているオリーブの手入れをしながら、微々たる生活費を得て暮らし始めます。足場の悪い斜面を這い上っては下りして、オリーブの実を丁寧に手で摘むという作業は、「農作業のなかでも過酷なものの筆頭」だと言われています。それを懸命にこなし、「一リラでも多く稼ごう」とするその姿を見て、地主は「こりゃ、ロバより働く」と驚きます。

 この評価が、やがて地主から、山頂の小さな家と僅かな畑を生前贈与されるという一家の幸運をもたらします。そういう苦難の歴史がこめられた家。そして風になびいて揺れる、頼りなげな一本の電線が、外界とこの家とをつなぐ「ただ一つの接点」であるような住みか。著者は不意に、この家を「このまま放っておけないような、いたたまれない気持ち」になって、「私が借ります」と即答していました。冷静になったのは、「坂下まで降りて照れたように礼を言うジーノと別れて」からでした。「急な坂道はどうする。書類や本、家具をここまでどう運ぶのか。果たして、電話はつながるのだろうか。どうする」と。
 
〈しくじった、かな。しかし、いまさら後悔してももう遅い。
 なぜそんな不便な家を借りることを即決したのか。一方的に訥々と続いた独り語りを聞くうちに、ジーノに酔ったとしか思えない〉
 
 そして、話はここからさらに展開し、哀しくほろ苦い余韻を残す結末へと続きます。カラブリアもそうですが、シチリア紀行、ナポリ再訪の章が続くように、著者にはイタリア南部への愛がひときわ強いように思われます。光と影でいえば、影の部分に惹かれてしまう性向は、留学生として最初に住んだのがナポリだった、ということが多分に関係しているかもしれません。ともあれローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノとお決まりのイタリア紹介から、視界が大きく広がるのを感じます。

 それにしても、自分は異国からの移民だから、「ひとつの土地にさしたる思い入れや血縁の義理があるわけでもなし。ならばいっそ、そのときの気分にまかせ、各地を少しずつ巡り住むのも面白いのではないか」という著者は、実に果敢に引っ越しています。たとえば海のリグリアから山のピエモンテへと向う、州境の山の上のポッジという村。教会が山道を塞ぐようにして立つだけの殺風景きわまりない寒村に、選りによって転居します。「あれほどにさみしげな村を見たのはイタリアに住むようになって初めて」だった、という理由からです。
 
〈イタリアの町の特徴は、広場である。町の要所には広場があって、人が集まり情報や商いの流れができて、町は機能し発展する。ところがポッジには、広場がない。一つもない。道沿いの集落に住む人たちは、集まる場所を持たない。集まって話す必要のない暮らしというのは、私がそれまでに住んだイタリアにはない、未知のものだった。ただでさえ住人が少ないというのに、そのわずかな住人の間ですらかける言葉を出し惜しむような、冷えきった空気があった〉
 
 そんなうすら寒い村の生活をミラノから引越しまでして探求しよう、というところが、この著者の真骨頂です。はたして敬虔なイスラム教徒であるトルコ人、フランス、ドイツ、ギリシャ、イギリス、オランダ、アメリカ、スペイン、ブラジル、韓国、アフリカ、ペルーにイタリア。実にさまざまな人種が集うこの村は「いったいここはどこなのだろう」と、著者の好奇心に訴えます。

 かと思えば、海から引き上げられた古式帆船を修繕して、終の棲み家にしようとした定年退職者の話に登場する船の上で、「しばらく生活した」と「あとがき」にあります。しばらくというのが、「板子一枚で海と隔てられた、不安定な暮らしは六年間におよんだ」とも――。この行動力はただものではありません。イタリアという国も底知れぬ深さを秘めていますが、著者の探求心にもまだまだ先がありそうです。
 
〈イタリアで生活するのは、私には難儀なことが多くて、毎年「これでおしまい」と固く心に決めるのに、翌年も相変わらずイタリアにいる。とにかく、歩けば問題に当たるようなところである。……問題の数だけ私は打ちのめされたが、起き上がってみるとその数と同じ分の得難い知人と経験が手元に残った。それらを引き出しにしまい、だんだん引き出しがいっぱいになり、数が増えていくのが嬉しかった。気がついたら、春夏秋冬、まだイタリアにいる〉
 
 著者は長らく、日本のマスコミに向けてイタリアからのニュースを送る仕事をしてきました。政治経済からスポーツ芸能まで、幅広い報道の素材を提供する役割です。その一方で、どこにもニュースとして取り上げられることのない、名も無い人たちの日常生活の見聞録が、次第に引き出しの奥には溜まってきました。甲高く語られる派手なイタリアよりも、陰影や奥行きを感じさせる「乙なイタリア」をこそ紹介したい、という大きな転機をなす1冊です。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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