Kangaeruhito HTML Mail Magazine 487
 
 木は生き物や
 
 あと半月余りもすれば桜前線が東北地方まで北上してきます。日本気象協会が発表している今年の「桜の開花予想」によると、「ほとんどの地域で平年より遅く、1週間近く遅い所もある」という見通しです。仙台で4月20日、盛岡で4月28日が予想満開日となっています。

 それにつけても、一年前のこの時期は、日本全体が重苦しいまでの自粛ムードに包まれていました。「桜が咲いたからって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない。少なくとも夜間、明かりをつけての花見なんて自粛すべきだと思いますよ」という石原慎太郎東京都知事の発言に象徴されるように、東京の上野公園では「宴会の自粛のお願い」の看板が立てられ、臨時のゴミ箱や仮設トイレの設置、夜間の点灯などが見送られました。靖国神社でも「東日本大震災に鑑み 花見の宴はご遠慮願います」と掲示され、大阪市の造幣局では、1951年から60年続いてきた「桜の通り抜け」の夜桜のライトアップが初めて中止になりました。

 ところが、4月半ばを過ぎ、被災地に桜の花がほころび始めると、人々の受け止め方は変わってきました。津波によってなぎ倒され傷ついた桜の枝の先に、花が咲きました。いつもの年のように、春の訪れを祝福するかのように――。そんな木の姿を見て、幹をいとおしそうに撫でる人。「よく咲いてくれた。立派だよねぇ」と涙ぐむ人たち。瓦礫の中でもたくましく、けなげに咲く花に向かって「おれたちも負げねぇぞー」と語りかける人。色の失われてしまった被災地の風景の中で、桜には人の悲しみを吸収する不思議な力があることを初めて実感した瞬間でした。

 3・11という日付の前と後を鋭く切り裂く大きな出来事があったにもかかわらず、春の到来を忘れなかった桜の強い生命力。そして、その華やかな色がもたらす慰藉の力に、心を揺さぶられたのは私たちも同じでした。桜だけではありません。津波に洗われた自宅跡に咲いた黄色い水仙の花も、人々に安堵と勇気をもたらしたのでした。

 深草(ふかくさ)の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け

 友人の死を嘆き悲しんだ平安の世の歌人の思いが、これほど胸に迫ったこともありませんでした。華やかであるからこそ、春の喜びがひときわ喚起され、それゆえにこそ、生きる希望と平安であることのありがたさがしみじみと感じられました。3月11日のその夜から、俳人の長谷川櫂さんの中に「荒々しいリズムで短歌が次々に湧きあがってきた」というのも興味深い話です。「なぜ俳句ではなく短歌だったのか、理由はまだよくわからない」と述べていますが、「やむにやまれぬ思い」に駆られて、それから12日間で詠んだ119首の歌を、『震災歌集』(中央公論新社)としてまとめました。そこには桜にちなんだ歌もありました。

 みちのくの廃墟に咲ける山桜いかに詠むらん西行法師

 こよなく桜を愛した西行をはじめ、古来、和歌に数多く詠まれてきた桜は、近現代の文学者たちをも魅了しました。「あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ」で親しまれる三好達治の「甃(いし)のうへ」、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と描いた梶井基次郎の「桜の樹の下には」、あるいは坂口安吾の傑作「桜の森の満開の下」など、爛漫と咲く桜は、美しさとともに、憂愁、哀しみ、はかなさ、死や無常のシンボルとして語り継がれてきました。

 そうした日本人の精神史における桜の意味を知り尽くしているからこそ、過剰なまでの花見の自粛ムードが広まりかけていた一年前にも、強い信念をもって次のように言い切っていた人がいたことを最近知りました。

「春は必ずめぐってきて、桜の花を咲かせてくれますわ。……日本人が愛でてきた桜は、ちゃんとわしらを見守っております。きれいに咲いて、被災地はもとより、すべての国民を勇気づけてくれますわ」

「被災した東北地方の人たちは、大切な家族や家を失ったショックと避難生活で大変やろうが、桜が咲いたら少しずつ立ち直れるはずや。……東北地方の名桜の多くは内陸部に点在しておりますわ。何百年もの間には過酷な時期もあったはずやのに、それに耐えて、生き残っておりますんや。東北地方で見る桜は格別やろうな。雪に覆われて、長く厳しい冬がようやく去り、春の訪れを告げるわけやからね。東北には桜の古木が多いんですわ。それらの根元にはたいてい祠があるように、地元の人が素朴な信仰の対象として大事にしてきたんやね」

 いずれも、『桜守三代 佐野藤右衛門口伝』(鈴木嘉一、平凡社新書)に紹介されている佐野藤右衛門さんの言葉です。佐野さんは、全国に散らばる名桜、老桜の保護・育成活動を続けてきた「桜守」の3代目として知られ、東北各所の桜とも深い縁に結ばれています。陸奥国一の宮として名高い塩竃神社の八重桜は、戦後枯死したために国の天然記念物から指定解除されていましたが、佐野園で育てた接ぎ木を植樹し、若木から“後継ぎ”を育てあげた一例です。1987(昭和62)年に天然記念物に再び指定された「塩竃桜」は、神社が高台にあったために大津波の被災を免れ、昨年も淡紅色の大輪を見事に咲かせました。

 佐野家は、東映の京都撮影所がある太秦(うずまさ)にも近い右京区山越中町にあり、現当主の佐野藤右衛門氏は16代目にあたります。一帯はかつて皇室とも縁の深い仁和寺(にんなじ・『徒然草』で「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり」とここの法師が皮肉られていますが)の寺領だったところです。あたりには植木・造園業者が多く、いまも15軒を数えるといいます。その中にあって、佐野家の16代目は、専業の植木職としては5代目、そして桜守としては3代目にあたります。もっとも、3代ともに自分から「桜守」という言葉を用いたことはないそうで、水上勉さんの小説『櫻守』(新潮社、1969年)から徐々にこの呼称が広まったのではないかと語っています。自分では「大好きな桜につき合っているだけ」の「桜狂い」、「桜道楽」と言いながら、こう記しています。
 
〈桜が咲き、人々がそれを賞(め)でるのは、わずか五日ばかりのことである。……しかし、たった五日の美しい花を咲かせるためには、残りの三百六十日を、誰も見向きもしない桜を気をかけ世話をする人間が要るのである。何処にあろうとかまわず出かけて行って、手入れし、貴重な種は絶えず保存していかねばならない。阿呆でなくては出来ぬことだと、つくづく思う〉(「阿呆の相続――桜三代」)
 
 こうして樹齢を重ねた各地の名木は、氏らの桜に寄せる無償の愛と、日頃からの地道な活動によって、ようやく命脈が保たれてきたというわけです。そこで強調されるのが、「三代周期というもの」です。すなわち、「三代が一サイクルで一本に繋(つなが)って、はじめてものごとが受け継がれていく」という伝承のあり方です。

「わしはおじいやおやじが全国の桜を集め、残してくれたから、それを受け継いできましたのや。『一からやれ』と言われても、今からではとうていできまへん。継承することがいかに大切かと、つくづく思いますな」

 こう言って、いまなお全国を駆け回る氏は、4月1日で84歳の誕生日を迎えます。家業の植木や造園の仕事は長男に任せて、自らは「どこでも寝られる」キャンピングカーを駆って、桜行脚に精を出します。携えるのは、桜の芽を調べるためのルーペや高度計、スコップや剪定ばさみなどの七つ道具と、各地の桜の様子を詳しくメモした「桜日記」と題する大学ノートです。「桜の便りを聞くと、何やら桜が呼んでいるような気がして、ふらっと行きたくなるんです。わしがまだ見たことのない品種もきっとあるはずや。この歳になってもまだまだわからんことがあるさけ、追いかけ続けるんですわ」。

『桜守三代』に紹介されている佐野さんの言葉には、「自然と対話をしながら歩いてきた」人ならではの「長年の経験と体からにじみ出たような」滋味があります。

「桜は守りをせな、手入れではあきませんのや。子守りと同じでな、じっと見守ってやればええんです。ほっといてええのか、手入れが必要なのか、時々“体調”を見てやればよろしいのや。子供だってやたらに手をかけすぎたら、かえって逆効果でっせ。桜も子供も本来、自分で育つ力を持っとるんですわ。手入れをするにしたって、いつも同じではあきまへん。その時々で状態が違いますやろ。人間と同じに考えたらどうでっしゃろ」

「自然を相手にするわしらの仕事はマニュアルではうまくいきませんのや。木は一本ごとに形状も寸法も違うし、植える場所の土も違いまっしゃろ。自分の経験をもとに、一つ一つの“木の顔色”を見て、どうしたらええかを判断するんです」

 そして口癖のように語る言葉は「木は生き物や。話しかけてやれば、木も喜ぶ」であり、その魂の交流には、まるで童話の世界に引き込まれたような温かさを感じます。
 

「桜の木にとって、花を咲かせるのは一年の仕上げなんです。そやから、春が来ると、『今年もうまいこと咲けよ』と見守っておりますのや。……
 わしが大好きな姥桜(うばざくら)は、ヒガンザクラの一種です。風雪に耐え、何百年も生きているうち、しわくちゃの幹には風格すら出ます。わずかに残る枝に咲く花は、色気を通り越して、ものすごい色香を漂わせるんですわ。姥桜は自分で体を調節し、どこかを枯らしながら、どこかに花をつけるんや。これが自然の知恵ですわ。
 そやから、『ようここまで大きゅうなったな。そうそうは来られんけど、来年も気張って咲いてや』と話しかけると、桜もうれしがりますんや。ほんまでっせ。いとしい女性に触れるように、幹を優しくなでてやるのもええわ。講演を頼まれて、こういう話をすると、おばはんたちから『女性蔑視やないか』と文句をつけられますけど、姥桜にはなかなかなれまへん。そうなる前に、大半が朽ちてしまいますのや。そやさけ、女性たちには『姥桜をめざして下さい』と言っとるんですわ。もっとも、今の若い人には、色気と色香の違いはわからしませんやろな」

 こういう佐野さんからすると、昨今の花見には苦言を呈したくなるというものです。ゴザ代わりにするブルーシートはデリケートな桜の根の呼吸を止める拷問のようなものだし、カラオケはアンプから出る振動で花びらが微かにこすれて茶色く変色するもととなり、バーベキューの焼肉から出る脂っぽい煙も、桜にとっては「ほんまに迷惑」なだけ。酒を飲んで騒ぐ「花見」は日ごろの憂さ晴らしであって、「その相手をさせられる桜の木がかわいそうですわ」ということになります。

 ところで昨年から、とても気がかりな桜の名所がひとつあります。福島県富岡町の「夜の森(よのもり)」の桜並木です。樹齢100年に近い1000本あまりのソメイヨシノがありました。満開の花のトンネルは、ライトアップされると壮観な夜桜となり、夜のニュース番組でここを中継するのが恒例化していると聞いていました。そう説明してくれたのは、町内にまたがる福島第二原発の当時の所長さんでした。

「警戒区域」に指定され、町をあげての避難が実施された後も、例年のように、桜並木には見事な花が咲き誇っていたと聞きました。人通りのまったく途絶えた、寂しい限りの通り抜けではあったけれども、と。しかし、こうして誰からも話しかけられない桜は、この先どうなっていくのでしょうか。

 地震、津波、原発事故という「複合災害」があったにもかかわらず、自然の摂理とともに生きていた桜の花は、人々に喜びと勇気を与えました。けれども、今年は咲く花を見て、人は何を感じるのでしょうか。もしこれまでと何か違いがあるとすれば、おそらくそれは、一年が経ったにもかかわらず、人の世の立て直しにはなかなか先が見えてこない、という思いなのではないでしょうか。花を見る目にうつろな思いが忍び込んでしまうのか、それとも桜の華やかさに改めて力を与えられるのか――。

 北国の春は、もう間近です。
 
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
写真提供・鈴木嘉一
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