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千石正一『つながりあういのち』
(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

ミームをできるだけ広めたい

 オーストラリアに行って、いまさらコアラでもないでしょう。それよりもヘンなトカゲがいるから、それを撮影したらどう?――このひと言が、その後の爆発的なブームの火付け役になりました。1983年、世界で初めての動物クイズ番組「わくわく動物ランド」(TBS系列)で衝撃のデビューを果たして、一世を風靡したエリマキトカゲです。

「こいつをびっくりさせて脅かすとね、ガーっと口を開けるわけ。そして、首元から襟巻みたいなのをバーンと立ててね、2本足で走って逃げて行くんだ」、「2本足で走るんだよ。立ってガニまたで走って逃げるんだよ」――それまで「気持ち悪いもの」の代名詞だった爬虫類の面白いところやかわいいところに焦点を当て、彼らの広報担当を買って出た人物。そしてエリマキトカゲを一躍、“爬虫類初”のアイドルにしたのが、この番組の監修を務めた動物学者の千石正一さんです。

 エリマキトカゲは翌年、三菱自動車「ミラージュ」のCMにも登場。キャラクター商品も多数発売されました。またピンク色のかわいいサンショウウオのようなウーパールーパー(「日清焼きそばU.F.O.」のCMに起用されました)や、お腹の上で貝を割るラッコの生態などが次々と紹介され、番組はクイズ形式を借りた野生動物のバラエティ・ドキュメンタリーとして、丸9年も続く長寿番組になりました。千石先生は爬虫類研究者として画面にもしばしば登場し、独特の風貌と分かりやすい解説で、番組の人気にひと役買いました。

 その先生が今年の2月7日、惜しまれつつ世を去りました。62歳の若さでした。がんで余命宣告を受けた先生が、死を間近に見据えながら、自らの足跡をたどり、「自分のいのち、動物たちのいのち、地球のいのち」に思いを寄せた遺作が、本書です。
 
〈俺は5年前に十二指腸ガンの告知を受けた。それまでにも、動物たちとかかわるなかで、いのちの大切さについてはいろいろと考えてきたし、テレビや講演などを通じて、そのことを伝えてきたつもりだ。しかし、いざ、自分のいのちが終わるかもしれないという現実を目の前にして、「いのちとはなんだろう」ということを、より深く考えるようになった〉

〈いのちといのち同士、いのちと自然環境はみんなつながっている。
 独立して生きていける生き物なんていないんだよ。
 地球には、3000万種を超える生き物がいるといわれている。それが、今、ものすごい勢いで消えていっている。ある種の生き物が絶滅したせいで、自然環境が破壊された例があるし、また、自然環境が破壊されたことで、そこに棲む生き物がいなくなってしまった例もある〉

〈俺は、自分がガンで死ぬのはどうってことないと思っている。
 いや、どうってことないことはないな、本当は死ぬのは嫌だ。嫌に決まっている。死ぬのが嫌なのは、生き物としてあたりまえのことだから、ぜんぜん恥ずかしくなんかないよ。ただ、自分がガンで死ぬのは、個体としての死なのだから、「しょうがねぇなぁ」という気がしているんだ。
 でも、他の生き物が意味もなく絶滅――、つまり、個体だけでなく、その種族全体が死んでしまったり、人間のエゴで環境が破壊されたり、地球そのものが死んでしまうような事態には、がまんがならないんだ。もっと、みんな「いのちについて」考えるべきなんだ〉
 本書の冒頭に掲げられたこれらの言葉に、よけいな解説は無用だと思います。生きとし生けるもののいのちを愛おしみ、地球を大切にして、「いのちのつながり」をこれからもずっと続けていってほしい。そういう願いを、最期の最期まで読者に伝えようとしたのがこの1冊です。

 人の心を介して別の人の心に(あたかも遺伝子のように)伝達されていくのが、文化的情報(ミーム)です。親から子へと受け継がれる遺伝情報(ジーン)に比べて、人から人へと次々に伝播されていく文化的情報は、生物学的、時間的な制約から自由です。より早く、より広く伝わるこのミーム(意伝子)に思いを託し、「自然環境を大切にしないといけない!」と訴えてきたのが千石先生です。ミームのリレーがつながっていけば、ヤバイけれどもまだ間に合うんじゃないか。もはや自分の目で確かめることはできないけれども、地球の未来を「俺は信じているよ」と。

 本書と同時並行で進められていた先生の闘病期の記録映像を見る機会がありました(残念ながらテレビ放送は見送られたそうですが)。2010年5月17日、20ヵ月の余命宣告を受けた8ヵ月後に、西表島(いりおもてじま)にやって来た千石先生。50回以上も通ったという島をめぐりながら、さまざまな生き物との“再会”に心躍らせたり、熱帯植物の植生や矮生(わいせい)マングローブの変わらない様子を確かめながら、ここでも「いのちのつながり」について熱く語っています。

「いのちは運動体なの。ひとつひとつのいのちがつながることで動くシステムになっている。そして人間はその仕組みをすべて理解することができるはず。だから、“唯一の責任政党”として、地球に対して大きな責任を負っている」。

 また昨年10月に撮影されたカットでは、東日本大震災で被害にあった子どもたちに、激励のメッセージを述べています。

「学校に行けないと勉強ができないということはない。世の中には本というものがあるんだし、その気になれば自分で勉強ができるはずだ。たとえば私は、日常会話であれば、シンハリ語であれ何であれ、いろんな言葉をしゃべることができる。けれども、これは本を読んで自分で勉強したからだ。大学で習ったわけじゃない。実践を通じて勉強したからだ。チャンスがなければ、自分でチャンスをつくる。そうして頑張っている人には、必ず周りの人が手を差し伸べてくれる。だから、自分で工夫しながら勉強することがとても大切だ」。

 小さい頃は虚弱体質で、体育の授業はいつも「見学」だったといいます。ただ、それを「はいはい」とおとなしく聞いていたわけではありません。かなりのやんちゃだったので、その時間は校庭で植物や虫を探したり、図書室に通う時間に充てていました。「おかげで図書室にある動物関係の本は、ほぼすべて読んじゃったよ。ひとりで生物の授業をやっていたようなもんだね。興味のあることにしか興味がないんだから、困ったガキだったと思うよ」。

 加えて、「バカみたいに正義感が強いところ」があり、「生き物はみんな平等なんだ、いのちの価値に差があってはならない」というのが小さい頃からの信念でした。中学生になったある日、道を歩いていると、全長1.5メートルほどのアオダイショウの首を、鉈(なた)で叩き切っているおっさんと出くわします。
 
〈俺は、あっという間に義憤で頭に血が上った。その光景を見た瞬間、「生き物に、なんてことしてんだ!?」と猛烈に腹が立ったんだ。「いのちを粗末にするやつは許さねえ!」といきり立った。
「なにやってんだ、てめえ! こいつがオマエに何したってんだよ!」と、そのおやじにつかみかかっていった。
「アオダイショウは人家のネズミを食べてくれる有益動物だぞ。毒なんかないんだ。何か害になることをしたのか? たんに気に入らないから殺すってのは、あんたのほうがおかしいぞ、この野郎!」〉
 
 後日、通っていた中学校に怒鳴り込んできたこのおやじを、担任の教師は適当にとりなし、千石少年にはひと言も知らせず、ずっと黙っていたそうです。千石さんは千石さんで、この事件がひとつのきっかけとなって、「誰かが、爬虫類の代弁をしてやらなきゃ。弁護をしてやらなければ」と考えたといいます。学校教育の限界(節度)と役割を同時に考えさせられるエピソードです。

 勉強は、周囲にお膳立てされてするものではありません。人に何か言われたり、ましてや頼まれて勉強するものではありません。誰に何も言われなくても、逆に反対されたり眉をひそめられようとも、好きなことはどんどん勝手に学習するものです。現にヘビを家で飼いたいと言った千石少年は、親の猛反対にあいますが(普通は、まぁそうです)、「息子がヘビと一緒に外で暮らそうとしている」という気配を察知した親が、結局根負けして「玄関までならヘビを入れてもいい」と許したそうです。おそらく、こういう少年たちの好奇心(興味)の妨げをしない、というのが周囲の大切な役割なのだと思います。

 ちょうど出たばかりの、ねじめ正一さんの小説『長嶋少年』(文藝春秋)を読みました。主人公のノブオは、詩人である父親が行方不明で、子育てにも生きることにも投げやりな母とふたりで暮らす小学4年生です。野球が上手なノブオの「神様」は、プロ野球の長嶋茂雄です。団塊世代の少年たちが、いきなり心を鷲づかみにされたスターは、何といっても長嶋です。ノブオは長嶋選手のことが好きだから、どんな悲しい目に遭っても、どんな辛いことにも自分は耐えられる、と信じています。

「僕の中の長嶋はインチキ臭くありません。僕の長嶋は本物です」
「僕は長嶋です。長嶋は闘うときは闘うのです」

 出生の秘密や、親友との別離、不運な怪我、孤独な日々……多感な子どもには重過ぎる悩みを抱えながら、それでも頑張り続けていられるのは、自分の中に長嶋選手がいるからです。

 好きな対象に向かって、まっすぐに駆け抜けようとするノブオの背中に、ふと千石先生の姿が重なります。先生にとっての長嶋茂雄は、すべての「生き物」だったのでしょう。「生き物」が丸ごと心の拠り所であり、勇気やエネルギーの源泉となって、先生をここまで連れてきたのだと思います。
 
〈生き物は、みんな生きるために精一杯だ。……繁殖のさなかに鳥に捕食される昆虫がいる、大人になる前にライオンに捕らえられるガゼルがいる、干ばつでいのち尽きるカエルがいる。みんな生きるのに一生懸命だ。だから、その姿は美しく愛おしい。
 だから、俺も、いつまで生きられるかわからないいのちだけど、精一杯生き抜きたいと思っている〉
 
 病気になって、死を覚悟して、初めて自分は気がついた、とあります。「中途半端で終わるからこそ、『生』は愛おしい」――負け惜しみではなく、本心からそう気づいた、と。

 だから、せめて自分の考えを書き残しておこうと本書の筆をとりました。鳥が木の実をついばんで種子を運ぶように、風が遠くに種子を飛ばすように、自分のいのちが終わった後も、人から人へとミームに託した願いが、より早く、より広く伝わっていくように――。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
写真提供・ディスカヴァー・トゥエンティワン
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