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吉田直哉『思い出し半笑い』(文藝春秋)

思い出し再読

「養老さんから聞いたなかで、いままで一番笑えたのは、あれですね」と南伸坊さんが言いました。東南アジアの、とあるホテルでの出来事です。ともかく暑くて寝苦しい夜を、なす術もなく、養老孟司さんは部屋で耐えていました。その時、ドアをトントンと叩く音がします。開けると、ボーイが立っています。「ガール? ガール?」。暑くて眠れない時に「うるさいヤツだ」と思い、「ノー・サンキュー」と邪険にドアを閉めたところ、しばらくしてまたノックがします。開けると「ボーイ?」と、さっきの男がずるそうな眼をして笑っています。そっちの趣味だと思われたのか。カッとなり、「警察を呼ぶぞ!」と怒鳴ってドアを閉めました。すると、やがてまたノック。さっきのボーイがまた現われて、「ポリスマン・イズ・ベリ・エクスペンシブ・サー」と悲しげに言いました……。

 実はこの話、養老さん自身の体験ではなく、NHKの名ディレクターだった吉田直哉さんの持ちネタでした。私もうっすらと、その記憶がありました。自宅に戻るとさっそくに、本棚の奥から探し出したのが本書です。場所はシアヌーク殿下全盛時代のカンボジア。ポルポトが登場して、突然、社会主義国になる前の、フランス植民地の爛熟した空気の名残りが、社会に瀰漫していた頃のお話です。ややニュアンスが異なっているのは、「警察を呼ぶぞ!」と頭にきた吉田さんの「ポリース」という単語を耳にした男が、ドアを閉められる前に、「一瞬あきれたような顔をし、それから考えこみ、やがて悲しげに首をふりながら」、「旦那、警官はえらく高い」と答えたところ。

 ともあれ、よくできたコントのような傑作です。本の帯には「軽躁・晴朗・抱腹絶倒のテレビ屋騒動記!」とありますが、その冒頭の章「ガマ油売りに追い廻された話」のオチとして出てくるのがいまの話です。

 ヤクザの大親分が自慢の背中の彫りものを見せようと、やおらもろ肌ぬぎになった瞬間、上がりがまちの土間から黒い大きなドーベルマンが、いきなり吉田さんめがけて突進してきた、というエピソードやら、「とろーり、とろりと煮つめたるがこのガマの油」というのが、実はヒマシ油にゴマ油で、「ガマの油なんぞ一滴だってはいってる訳はねえ」という“秘伝”を新聞記者に洩らしたばかりに、それがデカデカと新聞にのって、「野郎! ネタばらししやがって!」と、ガマの油売りに追いかけまわされる話やら、粒だった失敗談が次々と、スピーディーに展開していきます。実に切れ味のいい一篇です。

 本は1984年8月1日の刊行でした。藤沢周平、開高健、谷沢永一、古山高麗雄、江藤淳、といった人たちの著作を手がけた職人肌の編集者Mさんの仕事だとすぐ分かる、小ぶりで瀟洒な体裁です。安野光雅さんの装幀にもひねりがあって愉快です。吉田さん、Mさんともにすでになく、「思い出し半笑い」といいながら、少し寂しい思いがしてきます。そういえば、雑誌連載時の発表舞台も、いまはなき『諸君!』でした。

 ちなみに、他の章のタイトルを並べると――「LSD服用記」、「平家の女官に蹴られた話」、「カンニング元首の恩返し」、「入れ歯に噛まれた話」、「スペース・シャトルと錦ヘビ」、「コレクターに狙われた吉永小百合」、「たずね人騒動記」、「あわてものの史料的価値」、「百足殺せし女と寝る?」、「わが家を走り抜けた泥棒」、「脅迫状を羨ましがった芥川比呂志さん」。いずれも、著者がテレビ番組制作中に出会った珍事のあれこれを軽妙に綴った滑稽譚です。

 吉田さんはいわずと知れたテレビマンの代表。1953年にNHKに入局し、テレビ草創期から成長期、そして成熟期までの現場の第一線に立ちあってきました。「日本の素顔」「明治百年」「未来への遺産」「21世紀は警告する」「太郎の国の物語」などの大型ドキュメンタリー・シリーズを作り、「太閤記」「源義経」「樅ノ木は残った」などの大河ドラマを演出しました。1990年、NHKを退局後は、創設された武蔵野美術大学映像学科の主任教授を務め、かたわら名エッセイストとしてもますます健筆をふるいました。

 テレビが若々しいメディアであった頃の、バイタリティー溢れるディレクターの奮戦記ですから、ネタの鮮度、面白さは折り紙つきです。しかも、それを惜しげもなく、ふんだんに振る舞っているところが豪気です。さらに、素材の捌き方、料理の仕方が、名演出家とはかくやと思わせる、まことに鮮やかな手際です。たとえば「入れ歯に噛まれた話」にしても、意外な展開のオムニバスです。

 まず、オランダのチューリップ畑で迷子になる吉田さんが出てきます。なぜそんなことになったのかというと、長崎で過ごした小学校4年生の時の思い出につながります。同級生の美少女Aさんが、むかしオランダ商館のあった出島の入口の道ばたで、チューリップの花を見て感動していました。話しかけられた吉田少年は、思わず、これは出島に来ていたオランダ人がもたらした花だ、と断言します。そのひと言が、20数年後に著者をこのチューリップ畑へと導いてくるのです。迷子になるのは、その思い出を死なせてはいけない、と長く心に温めていたからです。

 次に、作家の今東光さんがパリで絶世の美少女に恋をした話が続きます。何度も手痛い仕打ちにあい、もう相手にするのはやめようと心に決めたその相手が、ある晩、今さんのベッドに入ってきます。「もうだまされるか」と、今さんが身を固くして拒否しようとすると、女が身を寄せてきます。そうこうするうちに、なんと女が背中に噛みつきました。「痛い!」。声を出したその途端、目が覚めて、夢だったと気づきます。見ると、寝る前に外した入歯が、背中の下敷きになっていた。

 それからまた、吉田さん自身が体験した渋谷・松濤の小さな旅館での出来事です。ドラマの台本づくりのためにこもっていた時でした。ふと見ると、中庭の小さな池のほとりにびっくりするほど美しい若い女が立っていました。その宿には品のいいおかみさんと年配の女中がいるだけで、他に客はいないはず……。食事を運んできた女中に、「池のそばにすごい美人がいた、あれは誰か」と聞くと、はっきりしない謎めいた返事。夜になって、しんしんと冷えこみ、コタツで仕事を続けていたら、床の間の電話が鳴りました……。

 かと思うと、またパリの話。吉田さんが泊まっていたホテルの部屋の、半開きにしていたドアの隙間から、誰かが覗いたような気がしました。しかも、覗いたのが美人だったように思えて仕方がありません。そのまま、しばらく様子をうかがっていると、ドアの外でささやき合うような気配がします。思い切って大きくドアを開けてみると、若い金髪の美女が「はじかれたように飛びのいた」……。

 どれもが短編映画のような鮮やかさです。上質のユーモアにつつまれた、後味の良さが残ります。さらにチューリップ畑で迷子になった話は、本書から17年の時を経て、読者は改めて詳しい背景を知らされます。吉田さんの最晩年のエッセイ集『敗戦野菊をわたる風』(筑摩書房)の「出島のチューリップ」の中で――。同級生Aさんとの会話を劇仕立てにしてみましょう。

「ね、こげんところにチューリップの咲いとる!」
「そりゃそうさ、ここはオランダ人がいたところだもの」
「え、オランダ人の花て?……むかし持ってきたとが、まだ咲いとっと?」
「オランダはチューリップの国じゃないか。たくさん持ってきて、自分の住むまわりに植えたとよ」
「そうねェ?……すごかねェ。私(うち)は、なあんも知らんけん……。そうねェ?……」
 そして、
「チューリップの国て、どげん景色かなあ……。国じゅうに咲いとるんかなあ……」
「そら、国じゅうさ、きまっとる」

 並んでしゃがんで、チューリップの花を見ながら交わしたこの会話と、「風もないのに揺れていた薄赤いチューリップの姿」は、その後も脳裏を去ることがありませんでした。Aさんとはそれきり口をきく機会もないままに、4年後、父親の転勤にともなって、吉田さんは長崎から仙台に転校します。
 
〈原爆の一年前に長崎、しかも爆心地となった浦上を去ったのだから、悪運の強い話である。そのかわり一年後遠い仙台で、原爆で死んだ幼友達の名を次々に五月雨式に耳にする破目になり、そのたびに胸をかきむしられる思いを味わうことになった。そして、その昭和二十年も暮れに近く、仙台に雪が降った日、友人から届いた手紙についでのように一行が書き添えてあったのである。「前に知らせたかどうか忘れたが、原爆ではAさんも死んだ」と〉(『思い出し半笑い』)
 
 彼女は、自分の「知ったかぶりの出まかせ」を信じたままに死んだ、という思いが、オランダのチューリップ畑に吉田さんを連れてきました。そして、かつて見た花と同じ種類のものがないかと探しまわっているうちに迷子になったというわけです。吉田さんの書くものにはいつも詩情とユーモアが溢れています。加えて、意外な展開と構成力の巧みさがたまらない魅力でした。

「そそっかしいのは放送局に向かないなどと言われたが、はいってみたら、その向かないのばっかりがいるのである」という粗忽者づくしの「あわてものの史料的価値」。「バカとホコリは、高いところへあがりたがるという」に始まり、ヘリコプターからの空撮、絵巻物のアングル、漱石と鴎外の違いなど、俯瞰の視角について考察をめぐらす「わが家を走り抜けた泥棒」など、冴えた技には舌を巻くばかりです。

 養老さんと吉田さんには対談集が1冊ありますが(『目から脳に抜ける話』筑摩書房)、それにしても思いがけないなりゆきから、本書の記憶を呼び覚まされました。そして、「人生とは思い出の集積であり、思い出を集めたものがひとりの人間の人生だ」と言い、だからこそ、私事にすぎない思い出の集積も、なるべく大勢の人が書きとめるべきだ、と語っていた吉田さんの言葉も蘇りました。
 
〈人がひとり死ぬということは、単にひとつの命が消えるというだけではない……私が消えるだけならたいしたことはないが、私が死ぬと、私のなかで私と共に生きてきた何人もの、すでに死んでいる人びとがもういちど死ぬ。今度こそ、ほんとうに死んでしまうのではないか? 
 死者ばかりではない。たくさんの、すでに失われた風景も永遠に消えてしまうのだ〉(『敗戦野菊をわたる風』)
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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