野口悠紀雄
text by Yukio Noguchi
「野口悠紀雄Online」

 情報の中には、経済的に有用なものがある。しかし、情報は、一般の財やサービスに比べると、きわめて特殊な性質をもっている。それは、複製に要する費用が極めて低いことだ。したがって、いったん生産された情報は、多数の人が利用することができる。他方で、利用者の増加は、社会的に望ましいことだ。それを実現するには、情報は無料で利用できるほうがよい。
 ただし、つぎのことに注意が必要である。第1に、先に述べたのは「生産された情報」に関するものであるが、生産のためには経済的なインセンティブが必要な場合が多い。無料では、情報生産者はコストを回収することすらできない。そのため、情報生産活動が減少してしまうだろう。
 第2に、多数の人が利用すれば、情報の経済的な価値が低下する場合がある。例えば、新製品の製造情報を多くの企業が利用すれば、当該製品の供給が増加し、価格が低下してしまう。したがって、製造情報の価値も低下する。
 問題は、これらの矛盾をどう解決するかである。
 古くから行なわれてきたのは、特許権、著作権などの知的所有権を与えて情報利用を有料とし、これによって情報生産のインセンティブを維持しようというものだ。情報が有料になれば、利用者数も限定される。したがって、利用者の増加に伴う情報の経済価値の低下も防止することができる。
 ただし、知的所有権の実効確保は、簡単でない。最大の理由は、不正利用の摘発がきわめて難しいことだ。アメリカ産業革命時代の発明家エリー・ホイットニー(「綿繰り機」の発明者)は、彼が所有する特許の不正使用の摘発のために、生涯の大部分を費やさざるを得なかったといわれる。著作権についても、海賊版や不正コピーなどの摘発は、簡単ではない。
 また、仮に知的所有権が有効に機能したとしても、利用の効率性には反することになる。すでに述べたように情報の複製コストは低いから、社会的厚生のためには、利用者が多数であるほうがよい。しかし、知的所有権によって情報が有料になると、利用者数は制限される。
 利用における効率性の実現と、生産における効率性の実現とは、原理的に相反する課題であるから、いかなる制度によっても、これらを両立させることはできない。社会全体の立場から両者の妥協を図り、そのための制度を確立するしかない。

ITが提起した新しい問題

 ところで、IT(情報技術)の進歩は、以上に加えていくつかの問題を提起することになった。
 第1は、情報が電子的媒体で処理できるようになったため、複製の費用が著しく低下したことである。これまでの印刷物の場合には、コピーにはコストがかかるし、手間もかかるので、簡単ではなかった。そのことが、無制限の複製を防止していた面がある。しかし、ITによって条件が大きく変わったのである。
 第2に、検索の効率性が著しく高まった。また、編集、通信、保存等にかかわる費用も著しく低下した。
 第3に、インターネットという新しい通信手段が広く利用されるようになり、情報利用の環境が一変した。
 これらの変化によって、著作権の成立条件も大きく変わった。情報に関しては、古いビジネスモデルは崩壊しつつあるのだ。
 問題が最初に顕在化したのは、百科事典だった。世界最高の百科事典『ブリタニカ』に対する需要が急減したのである。検索が重要であることや、印刷物では大部になることなどの条件を考えれば、これは当然のことであった。
 つぎに問題になったのは、新聞だ。最近、「新聞離れ」ということが言われるが、アメリカでは多くの新聞社が深刻な経営危機に直面している。日本では全国紙が存在するという特殊事情もあり、問題はアメリカほど激烈な形では現れていない。しかし、新聞の存立基盤が問われていることは、間違いない。
 雑誌、出版等については、百科事典や新聞に見られるような大変化は、まだ生じていない。しかし、従来型のビジネスモデルが徐々に崩壊してゆくことは十分ありうることなので、新しいビジネスモデルの確立が必要だ。ただし、新しいビジネスモデルは、今のところ、誰も見出していない。新聞については、有料・無料の会員制、登録制などさまざまな試みが行なわれているが、成功していない。
 もっとも、いくつかの成功例は見られる。例えば、検索サービスそのものは無料で提供するが、検索連動広告によって収入が得られるようになった。これは、従来のビジネスモデルとは異なるものと評価できよう。
 これによって、ビジネスモデルの方向付けについて、いくつかの点が分かってきた。
 まず、個別の情報を有料で提供する仕組みは、一般的には、うまく機能していない。なんとか機能しているのは、携帯電話を通じて、コミックを配信するような、ごく特殊な場合だ。キンドルのような電子ペーパー上に書籍に相当する情報を有料で流す仕組みも考えられるが、どの程度普及するかは疑問である。
 もっと可能性があるのは、「利用者の数の増加が、何らかのかたちで情報の生産者に利益を与えるような仕組み」だろう。
 アマゾンが行なっている一部閲覧システムは、一つの可能性として評価できるかもしれない。これは、書籍の一部を無料でウェブ上で閲覧できるようにし、読者の興味を喚起して、印刷物形態の書籍の販売を促進しようとする試みである。
 グーグルが行なおうとしている図書館情報の電子化も、似たような試みである。出版されてから時間が経過した印刷物は、特殊な例外を除いて、存在すら一般には知られなくなってしまう。検索サービスの活用でそれらの発見を可能とし、何らかの形での有料利用に結びつけることはできないだろうか。
 いずれにしても、完全に満足のゆくモデルはいまだに現れていない。情報の生産者と利用者の双方にとって利益になるような、新しいビジネスモデルが登場することを望んでやまない。