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D.ラピエール&L.コリンズ『さもなくば喪服を』(ハヤカワ文庫)

生の輝く時

 必要があって、30数年ぶりに古い文庫本を探し出しました。「天地小口の経年ヤケ」がさすがに歳月を感じさせますが、作品の圧倒的な面白さにはいささかも変わりがありません。あらためて比類のない傑作だと脱帽するばかりです。

 1936年、スペイン市民戦争が勃発した年に、アンダルシア地方の寒村パルマ・デル・リオにマヌエル・ベニテスという名の男児が誕生します。相好を崩して喜ぶ父親とは対照的に、母親は「また一人食わせなきゃならないのが生まれたよ」と、12歳の娘を前に涙を隠しません。やがて第二次世界大戦の前哨戦の様相を呈したスペイン内乱が、この貧しい小作人一家の運命を大きく揺さぶります。戦争の混乱の中で母を、そして父をあいついで喪った子どもたちは、家族離散のやむなきにいたり、餓死すれすれの生活を余儀なくされます。そうした苦悩のどん底を這いつくばりながら、数知れぬ挫折にも夢と希望を見失うことなく、マヌエルは「富と名声」の約束された明日の闘牛士をめざすのです。

 ほとんど可能性が閉ざされているかのように思われた狭き門でしたが、やがて天才闘牛士エル・コルドベスとして次第に頭角をあらわし、ついにスペイン中の注目を集める存在となります。そこにいたるまでの苦難の半生を、激動する同時代史、あるいは闘牛に関わるさまざまな人々の個性、この国の精神性と重ね合わせながら、透徹した目で生き生きと描ききった壮大なノンフィクションです。ひとたび目にすれば決して忘れられないタイトルは、本書の冒頭に掲げられた「マヌエル・ベニテス“エル・コルドベス”が姉に語ったことば」から取られています。

 その日は、主人公がスペインの勇敢な牡牛と最初に闘った乾坤一擲の勝負のときでした。「もしこの闘牛に失敗したら、またの機会はない。もし負傷したとしても、立ち上がって、気絶するまでやるんだ」。興行師はきびしく彼に言い渡します。「もちろんですとも……牛を殺さなきゃならないとなれば、自分のはらわたを踏みしめてでも殺してみせますよ」――大声で笑いながら、闘牛士は衣服を身に着けます。そして寝室を出ると姉の前に現れ、身の上を案じて涙を流す彼女に言うのです。
 
「泣かないでおくれ、アンヘリータ、今夜は家を買ってあげるよ、さもなければ喪服をね」
 
 作中に、この場面が実際に現われるのは全体の3分の2を過ぎたあたり。現在と過去とをフラッシュバックしつつ展開されていく構成で、緊張をはらみながら進展してきた物語は、ここに至ってもなお先の様相が予測不可能です。それだけに、この言葉が重く、象徴的に響きます。

 今回、再読してふと思い出したのは、この「最初のページの一文を校正しただけで胴震いがして、赤鉛筆が止まってしまった」と語った人のことでした。「なんて文章だ。なんという抽象力だ」と、このハードボイルドなひと言に打ちのめされ、「ゲラの上に顔を俯かせて仕事をすすめているふりを取り繕った」というのです。文庫化されるこの世界的ベストセラー(私が持っている初版本はまさにこの時の産物)の校正の仕事を最後に、いまの会社を辞めようとしていた(そして実際に退社し、その後ノンフィクション作家となり、44歳の若さで亡くなるまでこの作品を偏愛し続けた)その人は、「いくらなんでも、校正をしながら泣く人間がこの世に存在することを悟られたくなかった」と書きました。
 
〈“喪”という言葉を、こんなにも優しく、しかし乾いた語感で、また正確に“生”と鮮やかに対比して使った例を、私はそれまでに見なかった。家を買う行為は、すなわち生きることである。しかし、それに失敗したときでさえ、人間には喪服を購う儀式が残されている。生と死は、その間に“喪”という時間を挟み込んだとき、初めて、人間にとって親しげでどこか哀しい風景として立ち上がってくるのだ。
 喪の儀式に送られることなく死んだ人も、喪の時間を何より恐れる人も、そして死について何も考えない人も、いつか心に喪をまとうときをむかえる〉(井田真木子『かくしてバンドは鳴りやまず』リトル・モア)
 
 天才闘牛士エル・コルドベスの武器は、人並みはずれた勇気でした。無謀ともいえる「死にもの狂い」の勇気。極貧生活から脱して、いつか“太い葉巻をくわえてパナマ帽をかぶった”ひとかどの人物になりたいと渇望していた青年には、闘牛士の技術以上の何ものかが備わっていました。それは闘牛場で観衆の髪の毛を総毛立たせる何か――観衆をはらはらさせ、ふるえあがらせ、それゆえに人々を闘牛場へとかりたてる、狂気と背中合わせの勇気でした。人々を熱狂させ、鳥肌たたせる彼の勇気がどこから湧いてくるものなのか。おそらくは彼の心の中に深くまといついていた、底なし沼のような“喪”の風景だったように思われます。

 だからこそ姉は、後年、取材者にこう語っています。弟が家を買うか、さもなくば喪服を着せてあげようと誓った日の、あの予言の残りの部分が、いつの日か太陽の照りつけるある午後に、名も知れぬ町の、どこか遠くの闘牛場で現実のものになるかもしれないと片時も忘れることはなかった、と。

 作中には、夥しい死が登場しています。主人公の身のまわりだけを取り上げても、内乱に駆り出された父が不在の間、一家を必死で支えようとして力尽き、1941年、36歳で逝った母。善良な働き者として人々に愛されながら、巻き込まれた市民戦争の罪に問われ、わずか48時間の再会の後に逮捕され、1947年に獄死していった父。内乱の犠牲となって虐殺された近隣の人々。戦後の飢えと困窮の中で倒れていった多くの人たち。あるいは、主人公と同じように、闘牛士をめざしながら道半ばで落命した若者たち。

 何度も地の底に突き落とされるような屈辱を味わいながら、それでも不屈の精神で日陰(ソンブラ)から日向(ソル)への野心の旅をあきらめなかった青年は、ついに首都マドリードの大闘牛場ラス・ベンタスのひのき舞台に立つ日を迎えます。1964年5月20日、この日、満28歳となった青年は、闘牛の伝統と格式を重んじる保守的な闘牛支持者からは冷たい視線を浴びますが、闘牛場を埋め尽くす大観衆は、彼の「すらりとした挑戦的な姿」に新生スペインの息吹を感じるのです。

 栄光と挫折、富と貧困、支配と隷属、生と死――闘牛場における日向と日陰の激しいコントラストをそのままに、「ただの飢えた顔の汚れた少年」は、乱れた髪と天使のような微笑と、ほとんど横柄なまでの勇気を武器に、新しい時代のヒーローとして、衰退の一途をたどっていた闘牛界に躍り出るのです。熱狂する観衆であふれた場内は興奮の坩堝と化します。さらにスペイン国民総数の約半分を占める2000万人もの視聴者が、その頃普及し始めたテレビの前に釘付けとなります。町からは人の姿が消え、学校も工場も商店街も、闘牛を見ることができるように“早仕舞い”して備えます。「今日の午後は、男になるか担架に乗って病室のドアをくぐるか、どっちかだ」
 
〈これこそ、エル・コルドベスが成就したいと願っていたことすべてが成就された瞬間だった。これまでうけた打擲の数々、飢えの苦しみを、慰め、いやしてくれる瞬間だった。リング中央に立った彼は、まさに“ひとかどの人間”の真髄そのものだった。二〇〇〇万の人々が彼の名を呼んでいた。しかも彼は――ただ一人、自分の世界で、自分の身のまわりに牛をぐるぐる回転させていた。
 その瞬間、エル・コルドベスは幸福に酔い痴れていた。彼は、自分が生きているという信じられない感情以外には、世に価値のあるものはないのだという、「雲に乗ったような」気持だった。またもや彼は牛を引き寄せると、自分のからだを軸にして……ぐるぐるひきまわした。濡れた砂の上で滑ったりころびそうになったりしながらも、彼は牛を引き寄せ、熱い、波打つ脇腹がからだをこするままにさせて、しまいにはこの野生の輪舞に目もくらみ、やや吐気がするまで続けるのだった。彼は、なにもかも……すべてを忘れ去った。彼にわかっているのは、ただ自分がやっている痛快な、狂おしいほどのよろこびだけだった〉
 
 ここにあるのは、自らの野心をかなえた男の頂点を切り取った描写だけではありません。もとより、闘牛を“野蛮極まりない見世物”とするステレオタイプの認識でもありません。それ以上のことが、鮮やかに、雄弁に物語られています。

 闘牛における牛の宿命は、最後の避けられない死にあります。闘牛士は牛をいけにえとして屠る人です。しかし、闘牛のユニークな点は、これから死ぬ運命にある牛に、自分を屠ろうとする人間を値踏みする「高貴な特権」を与えた点です。すなわち、自分を殺そうとしている人間を角の一突きで「不具にするか、殺す機会を与えられる」という、人間の側から見れば逆襲を受ける危険の要素を持ち込んだことです。勇気と名誉心を重んじるスペインの国民性にふさわしい形式だと言えるでしょう。

 しかしそれ以上に興味深いのは、ここでエル・コルドベスが無意識にまとっている逆説的な謙虚さです。生き物の世界は、殺すものと殺されるものとのつながりの中で成立しています。この闘牛士は牛に対して、単なる残忍な殺戮者でもなければ、支配者でもありません。牛とともに自然の秩序の中に生きる者として、おそらくは無自覚にせよ、自ら進んでより大きな存在の前にひれ伏しているかのように見えます。この「狂おしいほどのよろこび」の祝祭性は、それを余すところなく伝えています。この描写ほど輝かしい一節はありません。
 
〈これこそが、闘牛というものを単なるスポーツや見世物以上のものにし、闘牛場を劇場以上のものにし、牛を人間の虚栄心の単なるアクセサリー以上のものにするのである〉
 
 やはりスペインの生んだ哲学者オルテガ・イ・ガセーの「狩猟論」にあったと思いますが、獲物から生命を奪う血なまぐさい(言葉の本来の意味における)狩猟家こそが、人間の卓越性の過信、傲慢な所有欲、征服者の無意味な殺戮を相対化する――という省察を思い起こさせます。スペイン内乱のたどった現代史の悲劇が、このエル・コルドベスの闘牛の演技から、逆照射されて鮮やかに浮かび上がってくるようです。

 これを共同執筆で成し遂げたということが、それだけに奇蹟のように思われます。「スペイン語を流暢に話すラピエールが闘牛士について歩きまわる一方、コリンズは毎日……闘牛士の生れ故郷パルマ・デル・リオに赴いて、家族や友人、知人から市民戦争時代の町の生活について訊き出した」といいますが、こうして1年余りの取材をした末に、二人は「ラピエールの別荘にひきこもり、一年間毎朝六時から午後二時頃まで、著作に没頭した」そうです。
 
〈まず六週間くらいでアウトラインを一〇〇ページくらいにまとめたあと、それぞれの部屋にひきこもって、英語とフランス語で書き進め、たがいに熟読し加筆して、議論を重ねたあげくに決定稿を練りあげた。テキストが出来上ったのは『パリは燃えているか?』と同じく、英語版が五分ほど早かったという〉(訳者解説)
 
『第五の騎手』(早川書房)を最後にコラボレーションを解消した二人ですが、そのあたりから英語版とフランス語版のテキストの内容自体にも違いが歴然としてきたと聞いています。2人のコンビの“喪”の時が、このあたりで訪れたのかもしれません。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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