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ランス・アームストロング
『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』(講談社文庫)

癌が僕に教えてくれたこと

 先週は、人類初の月面着陸をなし遂げたアポロ11号のニール・アームストロング船長のことを書きました。8月25日、82歳で彼の魂がふたたび地球を離れて、天に召されていったからです。

 今回は、もうひとりのアームストロングについて書きたいと思います。ランス・アームストロング、40歳。初めて月を歩いた英雄の死が伝えられる前日に、こちらのアメリカン・ヒーローに科された「厳罰」のニュース――「全タイトル剥奪、自転車競技からの永久追放」もまた、計り知れない衝撃がありました。

 史上最年少の21歳という若さで世界自転車選手権に優勝。その後も着実にトップレーサーの道を突き進んでいたアームストロングが、睾丸がんを発病。それが脳と肺にも転移していると判明したのは、1996年、25歳の時でした。「生存率3パーセント」という最悪の状態にもかかわらず、3度の手術、3ヵ月にわたる化学療法による壮絶な闘病生活を乗り越え、やがて第一線への復帰をめざします。そして3年後の1999年、自転車競技の最高峰であるツール・ド・フランスを初制覇すると、そこから前人未到のツール7連覇を達成、まさに奇跡をなし遂げます。一方で、がんコミュニティの一員として「ランス・アームストロング基金」を設立し、がん撲滅のための活動にも力を尽くします。2004年に発売した黄色いリストバンドが世界的な反響を巻き起こしたことは、よく知られている通りです。

 その彼が、米国反ドーピング機関(USADA)から、ドーピング(禁止薬物使用)違反に問われ、ツール・ド・フランス7連覇を含む98年8月1日からの全タイトル抹消と自転車競技からの永久追放処分を言い渡されたのです。これまで容疑に対して一貫して潔白を主張してきたアームストロングでしたが、8月23日、USADAの告発に対して異議申し立てを放棄するとの声明を発表しました。それによると、「過去数年におよぶ魔女狩りにあい、家族や基金の仕事に支障がもたらされた。もう十分だ。これ以上、無実を主張して争う代わりに、この馬鹿げた騒動から手を引くことにした」という判断です。

 真相は分かりません。アームストロングには、これまで元チームメイトや関係者などの証言でドーピング疑惑がつきまとっていたことは確かですが、彼自身は「いままで500回以上検査を受けたが、一度も陽性反応が出ていない」と反論。物的証拠はなく、違反は認められないままでした。ところが、調査を続けていたUSADAが今年6月に、アームストロングとチーム関係者を告発。アームストロングは米連邦地裁に告発の取り下げを申し立てますが、7月に棄却。そこで、裁判で争ってもムダだと結論を下し、上記の声明となった模様です。USADAは「反論を止めたことは告発を認めたということだ」との見解を発表し、異例とも思われる過酷な処分を決定したという次第です。今後は、USADAの上部団体である世界反ドーピング機関(WADA)や国際自転車連合(UCI)がどういう判断を示すかが気になるところです。スポーツ仲裁裁判所(CAS)に是非が委ねられるという可能性も大きいと思われます。

 ともあれ、自転車の世界に限らず、陸上競技、あるいは米大リーグ野球(MLB)などでこの種のスキャンダルが出る度に、何ともやりきれない思いがこみ上げます。「アームストロングよ、お前もか」と叫びたくなるほどです。本当に潔白であるならば、なぜ無実を勝ち取るまで闘わないのか。どんな苦境にあっても「決してあきらめないこと、外見は気にせずただ歯を食いしばってゴールまで突き進んでいく」のがアームストロング流ではなかったか、という無念さが先立つからです。

 しかしその一方で、この“処分”に割り切れなさがつきまとうのも事実です。ツール・ド・フランス初優勝の時点から、いやそのレースの最中から、アームストロングに対しては明らかに敵対的な“疑惑”の眼差しが注がれていたからです。カムバック不可能と思われていた選手が、あまりに早くがんのダメージから立ち直り、なおかつ無敵の強さを示したがゆえに、でした。2000年に刊行されたこの自伝の中でも、そのことがさんざん書かれているのです。

 周知のように、ツール・ド・フランスで最も過酷なステージは、レース中盤に組まれているアルプス越えです。1999年の大会11日目、第9ステージはフランス、イタリア国境の山を走る215キロの上りコースでした。ここまで総合タイムのトップを走ってきたアームストロングですが、山岳は苦手という定評があり、おそらくここでつぶれるだろうと誰もが予想していました。ところが、そのアームストロングが驚異の快走を見せ、ステージ優勝を果たすのです。そこから、場外のバトルが始まりました。折りしも、前回大会でかつてないドーピング問題が噴出し、その余波が尾を引いているタイミングでした。
 
〈アルプスに入って、僕に新たな敵ができた。僕の上りでのこれまでより格段に良くなった技術が、いまだに昨年夏以来、薬物スキャンダルの血の臭いをかぎまわっている、フランス・マスコミの疑惑を招いたのだ。ひそやかなうわさ話が始まった。「アームストロングは何かやってるに違いない」。レキップ紙やルモンド紙にも、正面切ってではないが、僕のカムバックは少々奇跡的すぎる、とあてこする記事が出た〉
 
 がんの化学療法がアームストロングの快走に何らかの役割を及ぼしているのではないか。治療中に「何か能力を増強させる秘薬を与えられたのではないか」という疑惑が向けられたのです。
 
〈理解できなかった。癌治療が僕のレースにプラスになったなどと、なぜたとえ一瞬でも考えられるのだろう。おそらく治療の過酷さは、癌患者にしかわからないのだろう。三ヵ月というもの、その強い有毒性で知られる物質は、毎日僕を痛めつけた。僕は治療から三年たった今でも、体内に毒を感じており、完全に排出されていないという気がする。
 僕には隠しだてすることは何もなかったし、薬物検査はそれを証明してくれた。ツール主催者が薬物検査をする選手をランダムに選ぶとき、僕のチームからはいつも僕が選ばれるのは偶然とは思えなかった。……だが今回は、薬物検査は僕の味方となった。なぜなら僕が汚染されていないことを証明してくれたからだ。僕は検査を受け、陰性とされ、また検査された〉
 
 その後もマスコミの絶え間ない攻撃にさらされ、アームストロングはレースへの集中を妨げられます。「一所懸命努力し、再び自転車に乗るために大きな犠牲を払った」というのに、その苦労は報われないのか、と彼は怒ります。

 そして気づきます。薬物疑惑を持ち出してきた連中は、自分が病気の時に、「彼はもう終わった。二度とレースに出ることはないだろう」と喧伝していた人たちであり、カムバックしようとした際には、「彼にチャンスはやらない。どうせ大したものにはならない」と言っていた人たちだ、ということに。いま自分がツール・ド・フランスをリードし、総合優勝に近づきつつある姿を目の当たりにして、またしても「おかしいぞ。何か裏がありそうだ」と、否定論者の本音をむき出しにしてきたのだ、と。

 こうして自転車の上の戦いだけでなく、自転車を降りてもマスコミの集中砲火に満身創痍となりながらも、彼はついに総合タイム1位の選手が身にまとう栄誉あるマイヨ・ジョーヌ(黄色いジャージ)を他の誰に手渡すこともなく、大会最終日、パリのシャンゼリゼに凱旋してきます。7月3日にスタートして25日までの約3週間。総距離約4000キロの過酷なレースを走り抜け、ついにフィニッシュラインを1位で通過するのです。

 ツール・ド・フランスがいかにタフな試練であるかを多少とも知っていれば、病を克服してこの勝利を手にすることがどれほどの価値であるか、想像がつくというものです。それまで自転車競技にさほどの期待も注目もしてこなかったアメリカ本土でも、アームストロングの快挙は大々的なニュースとなりました。

 しかし、何といっても本書を感動的にしているのは、アームストロングが病気と真正面から向き合い、肉体的にも精神的にも劇的な回復を遂げていく過程です。「僕は哲学的にならざるを得なかった。この病気は僕に、人間としての自己を問い、これまでとは違った価値観を見いだすことをしいたのだ」。

 競技人生だけでなく、命を失うかもしれない病を得たことによって、彼は人間的に大きな成長を遂げます。そして病を克服することによって、彼は競技の外の世界にも、個人を超えた大きな目的の存在にも目を開かれていくのです。同様に、自転車選手としても新たな境地に達します。それまでワンデー・レーサーとしては抜きん出ていたアームストロングですが、3週間のステージ・レースで優勝を争える選手になりました。それは単なるカムバックではありません。選手として明らかに、異次元への進化を遂げたことを意味しているのです。
 
〈本当の話、ツール・ド・フランスでの優勝と癌のどちらを選ぶか、と訊かれたら、僕は癌を選ぶ。奇妙に聞こえるかも知れないが、僕はツール・ド・フランス優勝者といわれるよりは、癌生還者の肩書きの方を選ぶ。それは癌が、人間として、男として、夫として、息子として、父親としての僕に、かけがえのないものを与えてくれたからだ。
 パリでフィニッシュラインを越えてから数日というもの、僕は注目の嵐に巻き込まれた。その中で、なぜ僕の勝利がこれほど人々に大きな影響を与えるのかを、客観的に考えてみようとした。たぶん、病気が普遍的なものだからだろう。僕たちはみんな病気になったことがあるし、病気から逃れられる人はいない。だから僕のツールでの勝利は、一種の象徴なのだ。癌を乗り越えることができるだけでなく、そのあとでもっとより良い実を結ぶことができるという証拠なのだ。おそらく、友人のフィル・ナイトが言ったように、僕は「希望」なのだ〉
 
 USADAによる「厳罰処分決定」というショッキングなニュースを知らされた後に、本書を久々に手に取りました。しかし、以前と少しも変わることなく、言葉は力強く、胸を打ちました。彼の周りには、闘病中も絶えず病床を見舞い、励まし続けた監督やチームメイト、友人、医師や看護婦がいました。彼を絶えず支えてきた母がいて、カムバックへの道のりには妻が“伴走者”として付き添っていました。ツール優勝の感想を求められた母親は述べています。「ランスの人生はいつも、勝ち目のない戦いを戦うことでした」。

 そしてアームストロング自身もこう語っています。
 
〈病気が僕に教えてくれたことの中で、確信をもって言えることがある。それは、僕たちは自分が思っているより、ずっとすばらしい人間だということだ。危機に陥らなければ現れないような、自分でも意識していないような能力があるのだ。それは僕の運動選手としての経験でも得られなかったものだ。
 だからもし、癌のような苦痛に満ちた体験に目的があるとしたら、こういうことだと思う。それは僕たちを向上させるためのものなのだ〉
 
 本書の言葉が、今後も輝きを失わないでいてほしいと願わずにはいられません。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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