Kangaeruhito HTML Mail Magazine 517
 
 20代の論客たちと
 
 先週末は日本アイ・ビー・エム株式会社が社会貢献として行っている「伊豆会議」という有識者会議に出席していました。伊豆半島の山中にある同社の「天城ホームステッド」という施設に、総勢44名の参加者が集まる大がかりな会議。昨年から世話人を務めている関係で、前夜から先乗りする2泊3日のスケジュールです。
 
 
 もっとも、「前泊して打合せをする」と言っても、たいていの人は「ハハーン」という顔をして、「どうせ大したことはしないんでしょ。温泉につかって、あとは宴会?」とニヤニヤするだけです。ところが、今回は違ったのです。なんと深夜11時半まで、事務局と世話人7名が額を寄せ合い、真剣に翌日の議事進行について意見を交わしたのです。今年に賭ける意気込みが、例年とはやや異なっていたからです。

 それを説明するためには、まずこの伊豆会議について少し述べておく必要があります。第1回が行われたのは、1982年(昭和57年)。政官界、産業界、学界、言論界といった異分野で働く人たちが一堂に会し、日本の針路をめぐるその時々のテーマにそって、立場にとらわれない自由な意見をぶつけ合い、それを各人が持ち帰る、という趣旨で、これまで30回の実績を重ねてきました。

 私はそのジュニア版である「富士会議」(定年が50歳)に1989年から参加し、そちらを“卒業”したところで「伊豆会議」に編入を許されました。地方で活躍している人や外国人のユニークな視点、日頃メディアでは取り上げられない日本のナマの現実や、意外な本音トークなど、毎回、面白い人や発言に触れることのできる場所として、できる限り出席してきたのがこれまででした。ただ、長くお世話になる一方で、何となく感じていた物足りなさもありました。それは「温泉もよかったし、食事もよかった。富士山もきれいだったし、面白い人たちから元気ももらった。言いたいことも言って、ああ、スッキリした」で、山を下りたら、ハイ、それまで。「まぁ、日本も何とかなるでしょう」で日常に復してホントにいいの? という気持ちでした。

 とりわけその思いを強くしたのが、昨年でした。3月11日に東日本大震災が起きました。続いて、福島の原子力発電所の事故がありました。過酷な自然の猛威の前に、多くの犠牲者が生まれました。それにもかかわらず、打ちのめされた被災者たちが身をもって示した沈着な態度、人を思いやる気遣いは、見る者を感動させずにはいませんでした。一方で、震災対応・被災地復興に向けた政治の動きの鈍さ、政府の原発事故対応の拙劣なさまは、私たちの不安、危機感を募らせました。もしこの先、地震に限らず、何か「想定外」の非常事態が起こった場合にも、同じような不手際と混乱、醜態が繰り返されるのではなかろうか――。われわれの心胆を寒からしめる光景でした。

 そこで、昨年の会議のテーマは、「私たちのつくる新しい日本~これからの価値観~」と決めました。少し長くなりますが、「趣意書」の一部を紹介します。
 
〈グローバル化の進展によって、国家の個人に対する規制力が弱まったことは疑いない。人々の国境を超えた動きが高まり、情報や資本が国境と関係なく移動し、日本の法律や制度をどう変えても、日本の社会は外部からの影響を大きく受けざるをえない。しかし、それでも、個人の生命と財産を守ってくれる組織は、今のところ国家しか存在していない。個人は依然として国家によって守られており、同じ国家に属する人々は依然として運命共同体なのだ。
 中枢の機能不全を露わにしたこの運命共同体を、私たちは立て直さなくてはならない。私たち自身の手で、今よりも輝きを放つ新しい日本をつくっていかねばならない。未曾有の困難の時代にめぐり合わせた者の責務として、また、この地に生まれた自分への誇りを失わないために……〉
 
 こうして会議は活発な議論の場となりました。日本の伝統や文化、日本社会のよさを守るためにも、国の枠組みと安全を確保しなければならないのではないか、と。
 ところが、それから1年。「新しい日本」の兆しははたして見えてきたのでしょうか。待望されたリーダーは現れてきたのでしょうか。いや、むしろ3・11の記憶と衝撃が遠のくにつれ、危機感は次第に希釈され、新たな停滞とあきらめ、無関心が世の中に蔓延し始めているのではないでしょうか。未曾有の“複合災害”の圧力を好機ととらえ、これまで手をつけてこなかった国の制度疲労を立て直し、新たな「国産み」の原動力にしなければ、という「復興」「再生」への夢や希望はどうなったのか……これが、私の偽らざる感想でした。

 同様に、他の世話人たちからの強い要望も巻き起こり、今回は基本的に昨年のテーマを踏襲しつつ、かつ過去30回では実現できなかったことをめざそうという運びになりました。それは、議論のための議論に終わらせるのではなく、会議の成果を何らかの表現に集約して、それを今後の実践につなげたい、というものでした。今回の「趣意書」にはこう書きました。
 
〈かつて1990年に、経団連が1%(ワンパーセント)クラブを立ち上げました。
 企業の社会貢献活動という問題が議論され始めたその時に、経常利益や可処分所得の1%以上をそうした活動のために自主的に支出しようという企業や個人を支援する動きでした。それを通じて社会貢献活動に対する国民的な理解と気運を高めようというメッセージでもありました。
 これも、ひとつのヒントになるかと思います。……
 いずれにせよ、今年の伊豆会議では、議論を通じて共有された価値を、できるだけ簡潔な言葉で表現し、それを具体的な行動の指針にできればと考えます。
 それが今回の提案です〉
 
 その試みのひとつとして、会議冒頭の基調講演に20代の若手論客を招くことにしました。彼らが思い描く「これからの日本」とはどんなイメージか。また、それに対して彼らはどういう立ち位置で、どういう生き方を望んでいるのか――。彼らの抱いているこの国への率直な思い(幻滅、あきらめ、期待、夢……)を語ってもらい、それを聞くことによって私たちの何が触発されるのか。その結果、彼らにどういうメッセージを伝えたいと思うのか。そこに次の行動のヒントはないか、と考えました。

 来ていただいたのは、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)の著者である社会学者の古市憲寿さんと、「中国で一番有名な日本人」として注目されている国際コラムニストの加藤嘉一さんの二人です。著作の中で古市さんは、最近の若者の心性を描きながら、あえて論争的な問いかけをしています。
 
〈政府が「戦争始めます」と言っても、みんなで逃げちゃえば戦争にならないと思う。もっと言えば、戦争が起こって、「日本」という国が負けても、かつて「日本」だった国土に生きる人々が生き残るのならば、僕はそれでいいと思っている〉

〈「日本」がなくなっても、かつて「日本」だった国に生きる人々が幸せなのだとしたら、何が問題なのだろう。国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも、大切なのは一人一人がいかに生きられるか、ということのはずである〉
 
〈戻るべき「あの頃」もないし、目の前に問題は山積みだし、未来に「希望」なんてない。だけど、現状にそこまで不満があるわけじゃない。
 なんとなく幸せで、なんとなく不安。そんな時代を僕たちは生きていく。
 絶望の国の、幸福な「若者」として〉
 
 一方の加藤さんは高校卒業後、単身で北京大学に留学。現在は米ハーバード大学ケネディスクールにフェローとして滞在していますが、この夏までは北京を拠点に英フィナンシャルタイムズ中国語版等のコラムニストとして活躍していました。また、2008年に開設した自らの中国語ブログが現在7000万アクセスを突破し、中国版ツイッターのフォロワー数も150万以上という、中国では傑出した日本の代表選手です。尖閣列島問題をめぐって日中関係が険悪化している現在、また最近の週刊誌報道で自らの「経歴詐称」疑惑を指摘されたこの時機だからこそ、加藤さんの真率な発言に耳を傾けたいと思いました。

 タイプとしては好対照というか、クールでこの国を突き放して見ている古市さんと、熱すぎるくらいに熱く日本への思いを語る加藤さんであるだけに、この組合せの妙も楽しみでした。ただ驚いたのは、先月半ばにこの二人の対談本が世に出たことでした(『頼れない国でどう生きようか』PHP新書)。伊豆会議のオリジナル企画(!)としたかっただけに、これにはいささかガッカリしました。その中には、加藤さんの次のような発言もありました。
 
〈これからは日本も一億総FA宣言の時代ですよ。だって、少子高齢化も財政赤字も含めて、国内的に地盤沈下しながらグローバル化が進んでいる情勢下で、組織に所属しているかどうかを基準にしている場合じゃないと思うんです。僕たちは、どこに属していようが、国際化する労働市場の中で、自分の市場価値を高めておかないとならない〉
 
 FA宣言をするだけの個の力を備えた人には、どんどん海外にも雄飛してほしいと思います。ただ、私たちが想定しているのは、「なでしこジャパン」に日本の国内から声援を送っている人たちであり、村上春樹さんの本を日本語で読みながら、この国のどこかで自分の心を耕している人たちです。
 
〈国への信頼が多少揺らいだからといって、この船を降りるわけにはいきません。船をどこかのドッグに修理に出すわけにもいきません。乗船したままで、抜けた船底の修復を図りながら、航海を続けなくてはなりません〉(趣意書)
 
 自らのFA宣言はいいとして、そのあたりを加藤さん、古市さんがどのように語るのか、確かめてみたい点でした。ともあれ、対談本がいい練習台になったせいか、本よりもはるかに深い話が聞けました。タイプも異なれば、いくつも対立軸があるように見える二人ですが、お互いを尊重しながら語り合っているその様は、「2大政党制のあらまほしき姿を見るようだ」と洩らした人がいたくらいです。

 さて、そんな援軍の力も借りながら、めざしたのは「伊豆会議宣言」というゴールでした。なかなかの難題であることは百も承知の上でした。TPP問題ひとつをとっても、意見は平行線をたどります(面白いのはTPP賛成派が自然農場経営者だったという点です)。そんな調子ですから、はたしてまとまるのか、という不安を抱えたまま、会議は進行していきました。そして2日目。山を下りるバスの時刻が迫ってくる中で、何とか合意にまで漕ぎつけました。

 あとは、これに基づいてそれぞれが具体的な行動に取り組んだ成果を、来年、検証しようという流れです。私が個人的に提案してみたのは、「日本の魅力 微向上委員会」の設立でした。中身はこれから考えて、実行に移さなくてはなりません。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
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