インタビュー 小林弘人
interview with Kobayashi Hiroto
「小林弘人の公式サイト」

 日本とアメリカの高校を四つ中退した後、二十歳の頃に働きはじめました。“ニューメディア”なんて言葉が流行っていた八〇年代に、自治体と商社が組んで、キャプテン・システムというネットワークを使った街角情報を流す試みを開始した頃、その仕事にかかわっていたんです。割引になるクーポンはプリントアウトするんですけれど、そんな「ぐるなび」の雛形のような事業の営業をやっていたときに、コンテンツが足りないということで編集もやることになりました。そうこうしているうちにフリーペーパーを立ち上げ、営業兼編集長兼記者兼デザイナーを務めました。
 八〇年代後半、当時コンピュータ関係のマニュアルを数多く手掛けていた翔泳社にバイトで入り、いきなりマックを渡されて後は自分で勉強しろと。OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング:実際の仕事を通じての社員教育法)の典型例ですね。この時にいじり倒したソフトウェアに夢中になりました。新聞や雑誌を一人で作れる“自分メディア”が可能だと確信した瞬間です。それで、すぐ300万円のローンを組んでマックとソフト、プリンタ一式を購入し、その後、フリーになってDTPに関する書籍を2冊出しました。
 編集者兼デザイナーとして活動していたのに、なぜまた同朋舎という出版社に入ったかというと、それはひょんなきっかけからでした。DTPシステムの構築について相談を受けたのですが、同朋舎が翻訳版権をたくさん持っていたDK(ドーリング・キンダスリー)社のヴィジュアル本が素晴らしいことにびっくりしました。F1マシーンや戦闘機を解体してグラフィカルに見せたり、ツタンカーメンの墓を立体的に絵におこしたり、ナショナル・ジオグラフィックが今DVDでやっているようなエデュテインメント、いうなれば「面白勉強」の走りのような書籍がごろごろしていたんです。デザインとテキストが一体化した編集手法に魅せられて、ぜひ編集者として携わりたいと考え、自ら望んで社員にしてもらいました。
 同朋舎では、イラストを多用し、見るだけで英語が分かる『絵でひく英和大図鑑ワーズ・ワード』やフランス・ガリマール社の豪華なガイドブック『21世紀の旅人 望遠郷』シリーズを手がけました。あの頃は、書籍の編集者として集中していた時期でした。
 日本語は翻訳すると原文に比べて文量が増えるので、どのように詰め込むか、編集者として悩みました。それに、あの頃のDTPでは、日本語のフォント数が限られていたので、デザインやレイアウトもずいぶん工夫しました。紙メディアでできる編集の極限を追求したかった。
 一九九四年には、『ワイアード』日本語版の創刊を立ち上げました。これはインターネットの世界を扱う紙メディアとしては、最初期に成功した雑誌ですが、MITメディア・ラボの創始者で、最近では100ドルPCの提唱者でもあるニコラス・ネグロポンテが、自分の出資した雑誌の日本版を出すパートナーを探していると、同朋舎の社長に連絡がありました。その話を聞き、「ぜひ会いたい」と申し出て、来日中のニコラス本人に京都で会ったら、すぐにサンフランシスコに来いと。それで、私と上司、同僚の三人でアメリカへ飛び、日本版を出す契約を交わしました。でも、あの頃はまだインターネットの揺籃期で、だれもビジネスになるとは思っていませんでしたね。

 その後、一九九八年に同朋舎が解散、それを期に独立して、自分の会社インフォバーンを立ち上げ、IT業界から芸能界までクロス・カルチュラルな情報が売り物の『サイゾー』を創刊しました。この紙の雑誌と平行して、『ウルトラサイゾー』というウェブ・マガジンも同時に立ち上げました。『サイゾー』創刊の時は、「明るい情報開示」がキーワードでした。当時の『噂の眞相』とは違った形で隠された情報を表に出せないかと思いました。また紙でもウェブでも『サイゾー』に集まってきた人にはサービスしようと、「ウルトラサイゾー」を立ち上げたのですが、その意味でウェブマガジンとしては最初期の試みでしたね。紙にせよウェブにせよ、関心を持って訪れてくれた大事な読者。コンテンツはコピーできても、コミュニティはコピーできないので、そのつながりを一番大事にしなければいけない。メディアにはそれぞれ得手不得手がありますから、それぞれの特性を生かして『サイゾー』をアピールしたい。それでウェブと紙のシームレス化を実現したかった。
 二〇〇三年には、ニフティのブログサービス立ち上げに協力し、眞鍋かをりさんや多くの著名人のブログを書籍化しました。ブログというと日記という印象が日本では強いので、ニューヨーク・タイムズのブログなんて聞いてもぴんとこない。しかし、ブログとは日々雑感を書き記した記録というより、むしろ「ライブ・メディア」なんです。雑誌は週・月単位、新聞は日単位で発行されますが、ブログは時制と関係なくライブ更新できます。さらに、更新されたブログの蓄積を束ねて再編集すれば、別のコンテンツになる。
 新聞、雑誌、本といった紙媒体やテレビ・ラジオといった電波媒体、そしてウェブなど、個々のメディアの特性の違いは、それが依拠するインフラの設計思想に織り込まれています。即ち、コンテンツとはそれを伝播する装置の意図にあらかじめ囚われるため、同じ思想をコピーすればよいというものではありません。
 テレビやラジオはマスによる体験の共有や認知の獲得に秀でています。本はコンテキストを表現するのに適したメディア。考えながら読み進めるコンテンツにもっとも適しています。一方、ウェブは徹底的にフローが高まる。また、パッケージメディアとは違い、情報が断片化します。そんな断片化情報を収集・選択して載せるアグリゲーター(情報を集めて取捨選択して提供するサービスやソフトウェア。RSSリーダーなど)の役割が一層重要視されるでしょう。雑誌は編集の固まり、本当の意味での“編集”が問われる。だから、編集長はDJ的な存在で、そのセンスにすべてがかかっているし、雑誌はその趣向を好む人たちのコミュニティのハブのはず。しかし、情報をストックかフローかで分けると、いままで新聞や雑誌が担っていたフロー、つまり速報性では、ツイッター、ブログを初めとしたウェブ・メディアが圧倒的に優位な立場にあります。逆にアグリゲーターとしての雑誌はウェブのほうが主戦場になり得るでしょうね。
 二〇〇六年には、アメリカの人気ブログ「ギズモード」の日本版「ギズモード・ジャパン」をウェブ上に立ち上げました。インターネットやコンピュータ、ビジネスについてのメディアは既にウェブが主流になった感がありますが、情報から行動へ移動できるスムーズさにおいて、ネットが紙の情報誌よりも有利な立場にあります。一時代前なら、雑誌に載っていた商品を買うのに、その固有名詞や電話番号をメモしてお店に行っていたのが、ネットではワンクリックで購入ページに移動することができる。そんな不利な点を克服するためには、紙の雑誌メディアはますますストック型として書籍の形態に近接していかざるをえない。
 これから、雑誌を含めた紙媒体では、今までうまくいかなかった試み、たとえば、POD(プリント・オン・デマンド)や作家によるコンテンツの直販が、ビジネスとして成立する予感がします。紙メディアは、将来、今の銀塩カメラのような存在になっていくかもしれません。デジタルカメラ隆盛のいま、違いが分かるマニアが求める貴重品、嗜好品になっているのと同じようなことが起きるのではないでしょうか。消費情報として文字を読む人々は電子端末で読み、スノッブなインテリは紙で文章を読む。「へー、紙で読んでいるんですか、最近、紙はごぶさたで……」的な会話が交わされる日もそう遠くない気がします。