Kangaeruhito HTML Mail Magazine 525
 
 書棚のイデア
 
「書棚」という写真展(新宿・ペンタックスフォーラム)を見てきました。撮影者は、昨秋まで松岡正剛さんが、東京の丸善・丸の内本店でプロデュースしていた実験的ショップインショップ「松丸本舗」の全容を写真に収めた薈田(わいだ)純一さんです。

 書店内の65坪のスペースに、700の書棚を迷路のように配した空間構成と、選書、棚づくり、接客方法などに従来の書店常識をくつがえすようなさまざまな実験を取り入れて、人と本をつなぐ新たな書店像を先取りしようとした試みでした。その「松丸棚」のたたずまいをできる限り忠実に、具体的には「5万冊の本の背表紙が全部読めるように」という条件のもとで、撮影を託されたのが薈田さんでした。

 普通に書棚を撮ったのでは、判読できる書名の数は限られてしまいます。そこで、棚を一つずつ丹念に撮影し、それを後から毛抜きあわせのように組み上げて、書棚の全体像を作品化しました。前に立つと、本の背表紙が一斉に押し寄せてくるような迫力を感じます。
 さらに、その余勢を駆って挑んだのが、蔵書10万冊以上と言われる立花隆さんの書棚です。これまで幾多のカメラマンが名乗りを上げながら、ついに登頂を果たせなかった“処女峰”です。「死屍累々」と言われる前人未踏の壁に取り付いてから1年と1ヵ月。「松丸棚」同様に棚を一つずつ接写し、それを再構成するのにさらに7ヵ月を費やして、ついに「立花隆の書棚」という写真展にこぎつけたのが昨年11月のことでした。

 すっかり書棚という被写体に取りつかれたような薈田さんですが、今回はその二人に加えて作家のリービ英雄さん、書家の青山杉雨(あおやまさんう、1993年没)さんの書棚、さらには和書と洋書の専門古書店のユニークな棚や、「巷の図書館」と言われるメトロ文庫(地下鉄の駅に設置されている書棚)を捉えた作品などが展示されていました。

 キンドルやiPadを書庫代わりにしようというご時世に、「なぜ、いま書棚なのか」と思いながら見ていくと、普通の写真展とはまた違った面白さがありました。

 これまで書斎の写真は数多く見てきました。有名なところでは、林忠彦さんが撮影した坂口安吾の書斎があります。「無頼派」の居城とはかくなるものか、と唸らせられる衝撃的な作品でした。また「中央公論」のながらく巻頭グラビアを飾っていた「私の書斎」をはじめ、著名人の「仕事場拝見」というのは雑誌グラビアの定番です。そこに写りこんだ書棚の中から、稀覯(きこう)本やその著者の「虎の巻」と思われるネタ本などを見つけると、つい笑みがこぼれてしまいます。おもむろにルーペを取り出して、もう少し“探偵気分”を満足させたくもなります。妹尾河童さんの『河童が覗いた「仕事場」』や内澤旬子さんの『センセイの書斎』といったイラスト・ルポも忘れることはできません。

 ところが、薈田さんのアプローチはそれとは似て非なるものです。カメラのファインダー越しに、書斎の全体像をひとつのパースペクティブに収めるのではなく、書棚という函型フォーマットに対象を絞り切り、徹底してマニアックに、本人の言を借りれば精細な「書棚の地図」を作り上げようとしたものです。書名がはっきり判読できるように、棚を一つずつ分割して撮影し、それをパソコン上で再構成するという、技術的には実に神経を使う、根気のいる作業が続きます。

 完成した書棚は、当然、ひと棚ごとに異なるパースペクティブをもつ「部品」の集合体となるわけです。つまり、多視点構造をもった作品が現われます。薈田さんに言わせれば、「洛中洛外図屏風」のような趣きです。したがって、「洛中洛外図」を見た人が京の町を知り尽くした気分になるように、「写真を眺めているうちに、いつの間にかこの函型の宇宙を征服したような親近感が湧いてくるのでは」というのです。
 
〈厨房であれ閨房であれ、冷蔵庫の中であれ、
 他人の私物や私事は、ついつい見たくなる。
 本だって同じこと。他人の書斎や本棚を覗くのは
 そこに『そいつ』がいるからおもしろいわけなのだ〉(松岡正剛の千夜千冊)
 
 そう認める松岡さんも、自分がその好奇心の“餌食”ともなれば、「アタマの中を覗かれるようで恥ずかしい」と語ります。「松丸棚」は書店用の「棚づくり」ですが、書斎の本棚ともなれば、より個人的な表情が滲み出てきて、情報量は格段に膨らみます。脳の解剖図――薈田さんがいう「書棚の地図」のみならず、「そいつ」のより人間的な、おそらくは本人も自覚していないような癖やこだわり、ほんの偶然の痕跡などがそこには刻印されているからです。
 
〈書棚は、不思議なもので、書物を美しく陳列するだけではありません。ウンベルト・エーコは「書棚は見せると同時に隠す」と言います。中世以前の写本や重要な文献は古い図書館の書棚で見つかるではないか、というわけです。そこまで大それた話でなくとも、押し花やヘソクリ、ラブレターは確かに隠されているし、さらに重要なのは「偶景(突然よみがえる日常では忘れられた記憶)」が書棚にはおさめられているということです。
 他人の書棚はほんとうに興味深いものです。書棚はその人を表すといいますが、実は他人の書棚を見ることは、自分の中を覗くことでもあります。他人の書架の本に“自分の”興味が刺激されるからです。そこにおさまっている本や小物に“自分の”記憶が触発される。だから、よく行く図書館の棚や本屋さんの棚は、自分の書棚でもあるということです〉(薈田純一「作者のコメント」より)
 
 作品の前に立ちどまって、食い入るように眺めている人が多かったのは、そうした“対話”が続いていたからだと思います。

 ところで、今回いちばん印象に残ったのは(ある意味で予想していたことなのですが)、青山杉雨さんの書斎でした。というのも、昨年7月に上野の東京国立博物館で開かれた「青山杉雨の眼と書」という回顧展で、まさにこの書斎を“体験”していたからです。展示スペースに実際と瓜二つの空間を再現し、そこに本物の蔵書が持ち込まれていたのです。薈田さんの写真を見て、その時の印象が蘇りました。
 そして、ふと思い浮かんだものがあります。李氏朝鮮時代の「冊架図(文房図)」です。民画と呼ばれるジャンルの、まさに書棚をテーマにした屏風絵。朝鮮王朝の支配階級であった両班(ヤンバン)の人たちが愛したというそれは、本を中心に据えながら、「本まわり」に紙・墨・筆・硯の文房四宝をはじめ、花を生けた花瓶、茶器、扇子、時計、置物など、当時の知識人層の生活に登場するいろいろな小物が描かれています。一点透視図法でない多視点構造も、横長の構図も、薈田作品を「先取り」したような技法です。

 記憶にあったのは、倉敷民藝館で見た「文房具図屏風」でした。おそらくこうした屏風絵を背に鎮座することによって、その家の主人は知識階級の威厳を演出したのだと思います。特に面白いと思うのは書物の描き方です。書物は漢籍ですから、平置きで重ねられています。したがって、こちらに見えるのは小口のみ。背表紙は隠れていて、そこには横積みされた本の小口の山があるだけです。青山さんの書棚のように――です。

 さらにそれが逆遠近法で描かれている作品では、重なった書物が手前にくるほど小さくて、奥に行くほど大きくなるように描かれています。遠近法でいう消失点はこちら側。視点の中心は屏風絵の奥にあって、そこから視線がこちらに向けて注がれているような不思議な感覚に襲われます。つまり、この屏風を背にして坐ったその家の主に相対すると、客は屏風絵の世界に溶け込んだ主人から自分が見つめられているような感じを受けます。

 それを圧迫感と受け止めるか、むしろ大いなるものに抱きとめられている快感ととらえるかは、人によりけりだと思います。しかし、朝鮮王朝の両班たちは、こうして学術への敬愛や崇拝とともに生きていたのだと言えそうです。

 そうして見た時、青山杉雨さんの書斎はまさに「冊架図」のようなたたずまいです。あるのは和書、漢籍で、それが平置きされた書棚の前に机が置かれ、書棚を背にした師に向かって、書のお弟子さんたちは坐ったのです。本の背表紙が見えるわけではなく、より抽象的な「本」がそこにあるだけです。具体的な背文字がないだけに、まるで書物のイデアがそこに立ち現われているような感動を覚えます。書棚の向こう側に控える広大な知の世界を、まばゆい光のように意識させられるからです。

 会場で聞いたエピソードも興味深いものでした。去年の展覧会のために自宅から本を運び出した経緯は先述の通りですが、その際、貸し出した本をまた元通りにするために、あらかじめ書棚の様子を写真に収めてから本を抜き出したというのです。そして、会期後にその写真を見ながら元通りにしたはずでした。ところが、ご令息によると、部屋に張り詰めていた緊張感、威厳のようなものがそこで消えた、というのです。何かが決定的に変質したのだ、と。

 フォルムに対する書家の鋭い意識には独特のものがあります。青山さんは中華料理店に行っても、食卓の箸や食器の位置が気に入らないと、いつまでもそれを直し続けたといいます。氏の気がすむまで他の人たちは、食事を始めないで、じっと待つしかなかったというのです。

 こういう感覚的な、しかし根源的な話は、神秘的であるだけに興味が尽きません。電子書籍が浸透するにつれ、書物の「身体性」は日常生活から徐々に後退する傾向にありますが、その一方で、モノとしての本が伝える世界の奥深さもまた魅力を増してきています。薈田さんもしばらくは、「書棚の地図作り」と「書棚」という宇宙の探索を並行させながら仕事を進めるといいます。次に何を見せてもらえるかが楽しみです。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
写真提供・薈田純一
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