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臼田昭『ピープス氏の秘められた日記――17世紀イギリス紳士の生活』(岩波新書、品切重版未定)

17世紀英国のエヴリマン氏

 1月4日、近現代史研究家の鳥居民さん(84歳)が亡くなりました。終戦の年にあたる1945年1月1日から12月31日までの社会の動きを、一日ずつ重層的に描いていくライフワーク『昭和二十年』(草思社)の執筆は、27年間かけてようやく7月までたどり着いたところですが、ついに第1部第13巻をもって中断のやむなきに至りました。

「ギボンの『ローマ帝国衰亡史』や頼山陽の『日本外史』のように、幾世代にもわたって読みつがれる本になるだろう」(丸谷才一)、「読み物として最高におもしろい。文学として、百科事典としても読める。布団の中で読むと、おもしろすぎて寝られなくなる」(井上ひさし)と期待が大きかっただけに残念です。

 昨年12月の「いける本大賞(特別賞)」の授賞式には元気な姿を見せて、日本が戦争に突入した昭和16年の転換点について「そのまま1本の評論になるような」興味深いスピーチを披露したと人づてに聞いていたのですが……。

 32年前に急逝した新田次郎さんの未完の作品『孤愁〈サウダーデ〉』が、次男の藤原正彦さんによって書き継がれ、このほど“父子の合作”として刊行されました(文藝春秋)。昨夏には伊藤計劃氏の遺稿を円城塔さんが引き継いだ『屍者の帝国』(河出書房新社)も完成しています。漱石最後の作品の後を受けた、水村美苗さんの『続明暗』(ちくま文庫)の例もあります。誰か「著者の無念」を晴らそうという意気込みで、鳥居さんの壮大な著作を引き継ぐ人が現れないものかと願わずにはいられません。

 ところで、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(筑摩書房)の全訳も、完結までには約18年の歳月がかかりました。最初に手がけた中野好夫さんが第4巻の刊行を待たずに死去(その間に版元の倒産という事件もありました)。それを引き継いだ朱牟田夏雄さんが第6巻まで訳出したところで死去。最後に中野好夫さんの長男である好之氏がバトンを受け、残りの5巻をやり遂げるという波乱万丈の歴史をたどりました。

 さらに思い出すのは、『サミュエル・ピープスの日記』(国文社)のことです。17世紀イギリスの官僚であったピープス氏が、1660年1月1日から69年5月31日までの約10年間にわたって書き残した厖大な日記。「日々の生活をまったく偽らず、赤裸々に伝えている点で、世界の奇書の一つと数えられている」という約125万語にもおよぶ大著です。

 そもそもこの本は、本国で完全無削除版が公刊されるまでに、300年余の時間を必要としました。著者の死(1703年)とともに、母校ケンブリッジ大学の学寮に寄贈された原本は、以後100年、書架の一隅で静かな眠りについていたのです。それがあるきっかけから世間の耳目を集め、にわかに公刊の動きが起こります。ところが、この日記は「絶対秘密保持」のために暗号――速記号で書かれていたために、まず解読するのにひと苦労がありました。さらに、内容があまりに率直かつ赤裸々なものだったために(つまり、彼の生活や人間性がありのままに吐露されていたために)、時代的な制約から「活字にできない」部分――とりわけ彼の性生活(おさかんな婚外交渉など)に関するあけすけな記載がながく伏せられていたのです。

 しかも、そうした問題箇所は、誰かに読まれては困る(特に妻の目に触れては一大事だ!)という事情から、「フランス語、イタリア語、スペイン語、ラテン語、はてはギリシア語、ドイツ語までをも動員し、それに英語をチャンポンにまぜた、まことに奇妙な国際語、一七世紀版エスペラント語とも言うべき言葉」(臼田昭)を用いていたというのです。解読に一層手こずったことは言うまでもありません。

 その完全版がようやく日の目を見たのは、1970年から76年のことでした。それをいち早く読み解いて、面白さの精髄を紹介したのが、本書『ピープス氏の秘められた日記』(1982年刊)というわけです。それまで日本ではほとんど知られることのなかったこの「奇書」の読みどころを選別し、読者が喜びそうなポイントを巧みに構成しながら、軽妙洒脱な語り口でその魅力を浮き彫りにしたものです。

 折りしも、元禄時代の尾張藩下級武士、朝日文左衛門の日記『鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)』を換骨奪胎した『元禄御畳奉行の日記――尾張藩士の見た浮世』(神坂次郎、中公新書、1984年刊)が少し遅れて登場しました。ともに、当時の中流平凡人――「いわゆるエヴリマン氏」の生活ぶりを、飾らず、あるがままに綴った稀有な日記という共通点があります。それがほぼ同時期に、そろってベストセラーに名を連ねたというのも不思議な縁だと言えるかもしれません。

 さてピープス氏の日記とは、海軍省の野心的な役人が、「あたりの様子を伺い、手づるをたぐり、他人を押しのけ、出世をはかり、賄賂をとり、金を貯め、妻の目を盗んで浮気をしながら、一〇年間の世相をこまめに観察・記録」しているところに本質があります。
 
〈それはアミエルの日記と正反対、そこには深刻な心の悩み、精神の葛藤など薬にしたくてもない。要するにそれは、内容形而下の事柄に終始した、俗人の日記なのである。一九世紀イギリスの詩人コールリッジが、ピープスのことを、頭がちょん切れて胴体だけの男と批評するのも、当然なのだ〉
 
 とはいえ、それゆえの魅力があるのも他方の真実です。小心者で俗物で、自分のお洒落は投資だといって惜しまないくせに、妻の衣裳代は僅かな金額でも猛烈に出し渋るケチ。こまめに励む浮気にしても、小間使いに手を出して細君にイヤと言うほど締め上げられたり、知人の頼みごとをいいことにそのカミさんにちょっかいを出そうと試みたり、誠にみみっちくて、およそ“悪党”という気がしてきません。まさに「人間関係のせせこましさと人いきれにむせかえるような」行状です。

 ともあれ、この入門的な本書が好評だったこともあり、ほどなく日記の完全無削除版翻訳という大プロジェクトが始まります。訳者は当然、ピープス氏にとって最大の恩人ともいうべき本書の著者が務めます。ところが、1987年から順調に刊行が進んでいたものの、臼田氏が第8巻半ばで、1990年に死去。その後を引き継いだ海保眞夫氏もまた2003年に他界。そこで岡照雄氏が引き取って、ようやく全10巻の完結を見たのが、ちょうど1年前のことでした。実に四半世紀を要する大事業となったのです(いやはや)。

 この『日記』の面白さは、およそ二つの要素に分かれます。ひとつは歴史的な資料性。26歳のピープスが日記を書き起こした1660年というのは、クロムウェルの高い理想に導かれたピューリタン革命が断末魔の時を迎え、世の中が地すべり的に王政復古へと傾いていった時期にあたります。ピープス自身は「ロンドンの陋巷のしがない仕立屋の息子」でしたが、苦学してケンブリッジ大学を卒業し、遠縁にあたる海軍の有力者(後のサンドイッチ伯爵。賭博好きで、「トランプ遊びに夢中になって、パンにハムをはさんだもので飢えをしのいだ」ことから、サンドイッチの名を不朽にしたのはその3代目)のつてを得て官僚となり、やがて海軍省きっての実務家として頭角を現します。そして最後は、海軍大臣の座に上りつめるのです。

 つまり、彼がもっとも活躍したこの時代は、旧来の封建体制が崩壊し、新興ブルジョワジーが台頭して国政に力をふるい始めた近代市民社会の萌芽期にあたります。ピープス自身がまさに、その二つの体制の狭間で揺れ動く過渡期の人物の代表でした。それだけに、目まぐるしく変化する世相の動きを観察しながら、王政の頽廃、無能ぶりを批判的に眺め、一方で市民社会の胎動と、そこに生きることの不安や希望を倦むことなく、つぶさに書きとめたのです。

 また、当時の人口50万人弱のうち約7万人の命を奪ったとされる1665年のペスト大流行や、ロンドン市内の家屋のおよそ85%(13,200戸)を嘗め尽くしたと言われる1666年のロンドン大火のありさまなど、その渦中にいた者ならではのリアルな見聞録も残しています。

 その意味で、イギリス王政復古期の政治、経済、社会の動向を知るための貴重な生き証人として、ピープス氏はまことに有能にして得がたい語り部です。

 そしてもうひとつの面白さが、ピープス氏その人の人柄と生活に他なりません。この点では、「内容あまりに猥雑、世人の教化に資することは何一つない」と著者が微苦笑する通りではありますが、賄賂もいとわず蓄財にせっせと励む貯金の推移を折れ線グラフで図示したり、芝居好きのほどを年間観劇回数の棒グラフで見せるなど、著者自らが主人公の俗人ぶりを楽しんでいる風がありありです。

 そこにあるのは、懐かしい英文学の香りです。かの国の文学を代表する人物評伝の筆致がそうであるように、愚かしくも愛さずにはいられない人間という存在を、少し突き放しながら、しかしユーモアをもって受け止めていく批評精神。ピープス氏の言動に思わずツッコミを入れてしまう著者の語り口に、そうした大人のまなざしを感じます。
 
〈日記には、いたるところに『主は褒むべきかな』とか、『神よ、許し給え』などという言葉が用いられている。この点、一見彼はきわめて敬虔なキリスト教徒のように見えるが、それは誤解である。これらの言葉は単なる合いの手、拍子取りぐらいの意味しかもたない〉

〈京都安井の金比羅宮には、五四歳の女性が、自分はこれまでさんざん男に苦労したゆえ、これから男を断つと願をかけ、奉納した絵馬が残っているが、それには「ただし向う三ヵ年のこと」と条件がつけてある。ピープスもこの女性と同党の士なのだ〉

〈ピープスは書記官に任命されたものの、海軍のことなど皆目知らなかった。ただ幸いなことに、一七世紀は専門家の時代ではなく、万有引力のニュートンにも造幣局長官が勤まる時代だった。陸軍畑のアルビマール公爵が、何かの都合で艦隊司令官を命ぜられ、船の向きを変えようとして、「右向ヶェ右ッ」と大音声に呼ばわったという。おそらくピープスとて面舵と取舵の区別はつかなかっただろう〉

〈彼の滑稽さは、太っ腹の封建主義の恣意的清濁併呑性と、近代的市民社会の良心的機能主義的理念の谷間で、抜き差しならぬ姿を呈している、その時代性にあるのかもしれない〉
 
 こうして10年書き継がれた日記は、不本意ながら継続を断念せざるを得なくなります。視力の衰えが嵩じて、「このままゆけば遠からず失明する」という恐れをピープス氏自身が感じるからです。それが、いかに無念の中断であったかは、日記の最後の言葉からもしのばれます。
 
〈まるで自分自身が墓の中へはいって行くのを見るような思いがする――そのことに対し、そしてまた失明に伴うすべての不便に対し、善き神よ、わたしに心構えをなさしめ給え〉
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
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