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北原亞以子『父の戦地』(新潮文庫)

63年後の返信

 3月22日発売の「小説新潮」4月号を手にしたところで、時代小説特集の巻頭を飾っている北原亞以子という名前に、胸をつかれました。10日前にこの世を去った、彼女のこれが絶筆なのだという事実を、そこで初めて突きつけられたからです。

 後から人に聞けば、心臓の持病が思わしくなく、このところ入退院を繰り返していたとの由。しかしながら、執筆意欲にはいささかの衰えもなく、遺作となったその短編「冥(くら)きより」も、病室で書かれたのだといいます。

 個人的には、ほとんどお付き合いはありませんでした。一番長く話した思い出といえば、1997年に『江戸風狂伝』(中央公論社)で女流文学賞を受賞なさった際に、選考会の進行役を務めていた関係で、賞の決定直後にご挨拶申し上げた時。あとは、授賞式の当日に控え室でしばらく談笑したことくらいです。それでも、北原さんの印象には忘れがたいものがありました。

 1960年代に有馬頼義さんが渡辺淳一さん、高井有一さん、色川武大さんら、若手の有望作家たちを集めて、「石の会」という親睦会を主宰していました。後にその会のことが話題にのぼると、決まって誰かがメンバーの一人であった北原さんのことを、懐かしそうに、親しみをこめて語ったものです。実際にお会いしてみると、なるほどそうだろうな、と思わせる柔らかな魅力を湛えた方でした。わずかな会話の中にも、それが感じ取れました。

 そんな北原さんの、私にとっては意外な一面――そしておそらくは作家としての「勁(つよ)さ」の根幹に触れたのが本書でした。単行本として出たのが2008年(平成20年)7月のこと。たまたまその1年半ほど前に、クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』が封切られ、またその1年半ほど前には、梯久美子さんの『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道―』(新潮社)によって、激戦の地から栗林中将が「銃後」の家族に宛てて書いた、切々たる41通の手紙が知られるところとなりました。

 ちょうどそんな時期に、北原さんの心の中に生き続けていた父上の“実像”に接する機会が訪れたのです。
 
〈父は、私がかぞえ年四歳の時に出征した。
 そのまま帰らぬ人となったのだが、今になって、恋しくてならない。夢を見て、戦死は間違いだったのだと、目覚めぬまま錯覚を起こしていることもある。そのくせ父についての記憶は、はなはだ心許ない。「そんなことまで覚えているの」と生前の母を驚かせたこともあったのだが、満三歳の幼児の記憶など、それほどあてになるものではない。
 事実、私は、父が出征した日のことを覚えていない。家を出なければならない時刻まで、父は私を抱き、涙ぐんでいる母や祖母や、お国のためだとむりな笑顔を見せている祖父と向かい合っていたのではないかと思うのだが、なぜか母からその時のことを聞いた記憶もないのである〉
 
 父親は新橋で家具職人を営んでいました。祖父の代からの家業を引き継いだのですが、職人としての腕前は決して良いとは言えず、本当は会社勤めが向いているような性格でした。そんな父親の仕事ぶりに苛立った祖父からは角材で殴られたり、妻からは「意気地がないんだもの、あの人」と貶される始末です。けれども、そうした様子を思い浮かべれば浮かべるほど、「いい奴だあ」と北原さんの口許は思わずゆるんでしまうといいます。気が優しくて茶目っ気たっぷりで、外国映画の雑誌を抱えてテーラーに出向き、あれこれ注文をつけながら背広を誂えるような洒落男。家の階段の踊り場でチャールストンの練習をしたり、ダンスやビリーヤードが大好きで、話題が豊富で、ハンサムで……。

 初めての子供が北原さんでした。無事に女の子が生れたと知らされたにもかかわらず、なかなかお産婆さんの家に顔を出さないで、四日目か五日目にようやく現れると、母親にはふくれっ面をされ、お産婆さんには「はじめてのお子さんでしょ」と叱られて、「てれくさそうに私を抱いた」というのです。
 
〈出産に立ち会うことなどなかったその頃は、無事に生れたという知らせにほっとすることはあっても、飛び上がって感激するようなことはなかったのかもしれない。そのかわり、生れたての「ふにゃふにゃした生きもの」を抱いているうちに、じわじわと嬉しさがこみ上げてくるのだろう。父も、痩せた赤ん坊だった私を抱いているうちに、母に言わせると「満更でもない顔つき」になったそうだ。そしてその数年後には、戦地から毎日のように、「タカノヨシエチャン」宛の葉書を送ってくるようになるのである〉
 
 タカノヨシエ(高野美枝)というのは北原さんの本名です。こうして子煩悩な父親が、戦地から書き送った北原さん宛ての葉書は、実に70数枚にも及びます。その他に母親や祖父母に宛てたものまで含めると、全部で170枚近くが残っているといいます。それらが東京大空襲の難も逃れ、戦後は思い出のよすがとして、北原さんの手によって大切に保管されてきたのです。

 派遣されていたのはビルマでした。「軍事郵便」と印刷されたそれらの葉書は空輸されて届きました。幼いわが子が喜ぶようなユーモラスな絵を添えて、文字はすべてカタカナ書きです。「ヨシエチャン、オゲンキデスカ」「オトウチャンハゲンキデオリマス。ゴアンシンクダサイ」「ゴヘンジヲ、クダサイネ」と大抵ありました。時には「ヨシエチャンニモラッタテガミハ、チャントシマッテアルノヨ」とあり、折にふれて、取り出しては眺めている姿が目に浮かびます。

「ヨシエチャン、ニュウガクオメデタウ」と書かれた葉書もあります(表紙写真参照)。ベレー帽をかぶり、ランドセルを背負った女の子の絵が描かれています。「ヨシエチャンモ、ケフカラ一ネンセイデスネ。ウレシイデセウ。シッカリベンキョウ、イタシマショウ。ソシテ、カラダヲ、ジョウブニ、イタシマセウ。ヨイコ、ツヨイコ、ニホンノコ。デハ、マタオタヨリイタシマス。ゴヘンジクダサイネ」。最後の一行にどんなにそれを待ち望んでいるかがにじみ出ています。

 それ以前にも、「コトシハガッコウヘユクノネ」「コノオテガミガツクコロハ、モウガッコウニアガッテオリマスネ」などと、入学については5通の葉書があるといいます。成長した娘の入学姿がどれほど見たかったことだろう、と想像されます。そして母親宛ての葉書には、「写真を見て居ると、想出(おもいで)が後から後から瞼の中に思い出されてくる。美枝の夢などは毎晩だ」とあります。
 
〈父は、祖父宛ての葉書のうちの二枚と、カヅエさん宛ての一枚をのぞいて、百七十枚近い葉書のすべてに私の名前を書いている。ヨシエはずいぶん大きくなった、ヨシエは生意気を言うようになっただろう、ヨシエは喜んで学校へ行っているか等々、父は私を忘れた時などなかったのだろう。
 私は、最後の父の姿を思い出せない。
 葉書を読んでいるうちに、涙がこぼれてきた〉
 
 
 こうして残された葉書を手がかりにしながら、ありし日の「戦地」の父を必死で辿りなおしたのが本書です。懸命に文字や絵の向こう側に目を凝らして、父の表情や心の内を読み取ろうとしている姿が偲ばれます。父親は、かの悪名高いインパール作戦に投入されたとはいえ、所属が陸軍の野戦自動車廠で、主に後方で自動車の修理・補給業務にあたっていたらしく、前線の部隊に比べれば、ビルマでの日常は穏やかだった様子です。戦闘の記載は一切なく、ビルマの自然や町の風景や、人々の暮らしぶりが慈愛深く描かれています。

 露店で食事をすると、「コチラハ、タイガイ、オテテデゴハンヲイタダキマス。ヨッチャンハ、オハシデ、オギョウギヨクイタダクノデスヨ」とあるように――。「父は、命を落とすことになるビルマが好きになったのだと思う。だからこそ、目にした風景を片端から描いて娘に送ってきたのだ」と。

 しかし、その通信もやがて昭和19年冬にはすっかり途絶えてしまいます。制空権を完全に失った日本にはもう親子の絆をつなぎとめる余力がありませんでした。そして翌年の4月29日、軍歴表によれば「対空戦闘中敵機の機銃掃射により腹部貫通銃創を受け戦死」の結末が訪れます。早く日本に帰って娘や妻に会いたい、というただひとつの願いを封じた戦争は、北原さんからその思いに応える機会をも永遠に奪い去ってしまうのです。
 
〈受け取ってきた骨壺(木の箱だったが)は、カタカタと鳴った。淋しい音だったので祖母と私と三人揃ったところで母が開けてみた。覚悟していたことだが、二、三センチほどの誰のものだかわからない遺骨が一つ、入っていただけだった〉
 
 本書には、戦場の過酷な現実を描いた場面はありません。切々たる思いを綴った葉書を軸に、淡々と事実が語られているだけです。ゆえに、戦争がもたらしたこの一家の悲しみは一層強く胸に迫ります。「戦地の父」の一方で、東京で体験した大空襲のことも、幼い当時の思い出によりそいながら語られます。東京は全部で102回の空襲を受けました。多い時は2日に1回、空襲警報のサイレンが鳴ったことになります。本所に住んでいた親戚のおケイちゃんは、母とほぼ同い年の一人娘で、体の自由がまったくきかなくなった母親と、病いがちの父親を抱えて、九死に一生を得ました。
 
〈まだ私が二十代の頃だったと思う。遊びに行った私の目の前で、おケイちゃんが躯を震わせて泣き出したことがある。小学生くらいだったおケイちゃんの息子が、戦争物ののっている漫画雑誌を買ってきたのである。
 おケイちゃんは、息子の手から雑誌を奪い取って畳へ叩きつけた。戦争漫画は読むなと、日頃から息子に言っていたそうだが、息子もまさか母親がそこまで怒るとは思わなかったのだろう。呆気にとられたように口を開け、母親を見つめていた。
「こんなもの買ってきて。あたしが、どんな思いをしたかも知らないで」〉
 
 世に戦争の悲惨さを訴える本はたくさんありますが、本書はこの一家を襲った出来事をひとつひとつ丹念に、抑制したトーンで語るのみです。悲しみは惻々として胸に迫ります。ページを繰るほどに、どんどん引き込まれてしまいます。そして巻末に収められた「ビルマの父。」の遺影の温顔に、北原さんの面影を重ねるのです。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*次回は5月9日の配信となります。また、「考える人」春号は品切れ店続出で大変ご迷惑をおかけいたしました。重版追加分が今週から書店に並んでおりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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