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ミッチ・アルボム『モリー先生との火曜日』(NHK出版)

愛は唯一、理性的な行為である

 井上ひさしさんが24歳の時に書いた「幻のデビュー作」――『うかうか三十、ちょろちょろ四十』(*)が、いま新宿南口の紀伊國屋サザンシアターで上演されています。初日に行って見てきましたが、期待を上まわる面白さでした。全篇がとぼけたユーモアと温かみのある東北弁でまとめられている点もさることながら、その後の井上芝居のエッセンスがすでにぎっしり詰め込まれているからです。素朴な民話ふうの喜劇の中に、無気味さ、怖ろしさ、哀しさ、苦さがこめられていて、「作家は処女作に向かって成熟する」という言葉を改めて思い起こします。

 これまで上演される機会のなかったこの作品ですが、3・11後のいまの目で見ると、イメージがいろいろな方向に広がります。東北のとある貧しい村に場所を定め、「とのさま」と村はずれに住む娘の話を通して、この地で繰り返されてきた生き死にのはかなさ、残酷さが浮き彫りにされます。一方で、毎年見事な花を咲かせる満開の桜が愛でられます。その対比がなおさら、悲哀の感慨をもたらします。

 そんな感動の余韻に浸っていたときに、会場の隅にあった別の公演のチラシが目に飛び込んできました。『モリー先生との火曜日』(加藤健一事務所)です。ずいぶん前に読んだ同名の原作が、とっさに頭をよぎりました。死を間近に控えた老教授が、週に一度、かつての教え子に自宅で行う「人生の意味」についての“最終講義”です。

 1997年にアメリカで刊行され、ノンフィクション部門のベストセラーとなりました。著者は人気スポーツコラムニストとして大活躍の日々を送っていました。そんなある日、深夜のニュース番組で、大学時代の恩師モリー・シュワルツ教授が難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されていることを知ります。卒業式の別れ際に、前の日に買っておいたプレゼントを手渡すと、小柄な先生は感激して「ぼく」を抱きしめます。「ときどき連絡してくれるね」、「もちろんですとも」。先生の目に涙が光っていたのが、16年前のことでした。

 それ以来、自分が生きていくだけで精一杯の若者は、先生に連絡することも絶えてありませんでした。画面の向こうに映る恩師の姿に胸を衝かれ、呆然として立ちすくみます。卒業してから初めて、著者はモリーの自宅を訪ねます。何年もの空白に負い目を感じている著者をよそに、「やっともどってきてくれたね」と、昔と変わらない温かさが彼を包みます。「まるでぼくが長い休暇をとっていただけのように」。

 そして以前と同じような好奇心を見せて、まっすぐに問いかけてくるのです。「誰か心を打ち明けられる人、見つけたかな?」、「君のコミュニティーに何か貢献してるかい?」、「自分に満足しているかい?」、「精一杯人間らしくしているか?」
 
〈しばらくの間、そうやっていっしょに食事をしていた。病気の老人と健康な青年が、部屋の静寂を体の中に取りこみながら。……
 突然モリーが口を開いた。「死ぬっていうのはね、悲しいことの一つにすぎないんだよ。不幸な生き方をするのはまた別のことだ。ここへ来る人の中には不幸な人がずいぶんいる」〉
 
 またこうも言います。「多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分ねているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと」

 最初は余命わずかな恩師に「別れの言葉」を告げる訪問のつもりでしたが、彼と言葉を交わすうちに、著者は自分の生き方にふと疑問を抱きます。こうして、1000マイルの距離もいとわず、毎週火曜日に、モリーの許へと通い始めます。「人間誰しも人生の教師が必要なんだ。そして、ぼくの教師は――目の前に座っている」。

「何でも質問して」という声に促されて、リストアップしたのはこんなテーマでした。死、恐れ、老い、欲望、結婚、家族、社会、許し、人生の意味――どれもが、単なるお題目ではなく、著者自身が直面している人生の悩みと重なっていました。たとえば、「死」について語られた先生の語録です。

「いずれ死ぬことを認めて、いつ死んでもいいように準備すること。……そうしてこそ、生きている間、はるかに真剣に人生に取り組むことができる」

「(死ぬ準備は)仏教徒みたいにやればいい。毎日小鳥を肩に止まらせ、こう質問させるんだ。『今日がその日か? 用意はいいか? するべきことをすべてやっているか? なりたいと思う人間になっているか?』」

「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」

「こんなに物質的なものに取り囲まれているけれども、満たされることがない。愛する人たちとのつながり、自分を取り巻く世界、こういうものをわれわれはあたりまえと思って改めて意識しない」

 しかし、回を重ねるにつれて、恩師の病状は悪化していきます。容赦ない残酷な神経疾患は、残された時間がわずかしかないことを思い知らせます。けれども、激しい咳の発作に見舞われた翌朝にも、モリーはにっこり笑って語ります。「みんな死のことでこんなに大騒ぎするのは、自分を自然の一部とは思っていないからだよ。人間だから自然より上だと思っている。……そうじゃないよね。生まれるものはみんな死ぬんだ」。そして、ここから急に反転して、思いがけない結論を導きます。

「人間は、お互いに愛し合えるかぎり、またその愛し合った気持ちをおぼえているかぎり、死んでもほんとうに行ってしまうことはない。つくり出した愛はすべてそのまま残っている。思い出はすべてそのまま残っている。死んでも生きつづけるんだ――この世にいる間にふれた人、育てた人すべての心の中に」

「死で人生は終わる、つながりは終わらない」

 やがて最終講義の日が訪れます。ほんの短い言葉を交わすうちに、著者の目には涙が溢れます。モリーの葬儀が卒業式の代わり。そして“卒業論文”が本書というわけです。

 今回、久々にその“卒業論文”を読み返してみて、感動の質は少しも変わりませんでした。この物語とほぼ同時に進行していたのは、全米中の注目を集めたスーパースターO・J・シンプソンの裁判です。あるいはボスニアの内紛、ダイアナ王妃をめぐるスキャンダルなどでした。「愛について語ること」がとりわけ困難な時期だったかもしれません。

 それだけに、著者が16年ぶりに恩師のことを思い出すきっかけを作った、ABCニュース「ナイトライン」の役割が印象的でした。毎日、特定のテーマを取り上げて、クールに問題の本質に迫っていくこの30分番組は、欠かさず見たいと思った最後のテレビ番組のひとつです。司会者テッド・コッペルは、3度モリーの自宅を訪れました。初回は教授による抜き打ちの“資格試験”が行われ、これにパスしたことで取材が許されます。

 モリーは手ぶりをまじえて(この時期はまだ可能でした)、人生の終末にいかに立ち向かおうとしているかを熱く語ります。これが、遠い別世界に暮らしていたかつての教え子を引き寄せます。2回目の収録の際には、少しリラックスした雰囲気も生れました。番組担当者、テッド・コッペルからは、さらに「もう一度出てほしい」というオファーが寄せられます。ただし、時期については「もう少し待ちたい」と。

 この時、モリーのかたわらにいた著者は、不快感を露わに示します。ジャーナリストであるだけに、余計に反発したフシが窺えます。「もう少し待ちたい」というのはいつまでなのか? もっと弱るまで待つということか? 彼は憤懣をぶつけます。
 
〈モリーは笑いを浮かべた。「たぶん、あの連中は私をちょっとしたドラマに使うつもりなんだよ。それはそれでいい。たぶん、こっちも向こうを利用しているんだから。何百万の人に私のメッセージを伝えるのに役に立つ。あの人たちなしにはできることじゃない、だろう? 持ちつ持たれつさ」〉
 
 この言葉に、モリーの切迫した思いを痛感します。そして3回目。テッドとモリーは、友人同士のように語り合い、モリーは静かに死にたいな、と言って、警句の披露に及びます。「はやばやとあきらめるな、いつまでもしがみつくな」
 
〈コッペルはつらそうにうなずいた。最初の番組から半年しかたっていないのに、モリー・シュワルツの姿は目にも明らかに崩れ果てている。モリーはテレビ視聴者の目の前でぼろぼろになった。まるで死の連続ドラマ。しかし彼の肉体が朽ちるにつれ、人格は一段と輝きを増す〉
 
 インタビューは終わります。が、カメラマンはそのままカメラを回し続け、その後のやりとりも収録されました。「りっぱなものでしたよ」とコッペルが語りかけると、「持っているもの全部出したよ」とモリー。「この病気は私の精神になぐりかかってくるけれど、そこまでは届かない。肉体はやられても、精神はやられない」。

 再読して共感したのは、この時の(著者には冷ややかな視線を向けられますが)テッド・コッペルの立ち位置でした。当事者には決してなり得ない傍観者(メディア)の姿にどうしても注意が引きつけられます。

 救いは主人公が放つ生の輝きの強さです。「互いに愛せよ。さなくば滅びあるのみ」というW・H・オーデンの詩句を愛するモリーは、「愛は唯一、理性的な行為である」というレヴァインの言葉も強調します。そして、自分の墓碑銘は「死するまで教師たりき」がいい、と。

 テレビ映画化された際には、モリーの役をジャック・レモンが好演しました。彼にとっての、それが遺作となりました。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)


*『井上ひさし全芝居 その一』(新潮社)に収められています。

◆次回(5月23日)は都合により1回お休みさせていただきます。
 
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