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阿川弘之『鮨 そのほか』(新潮社)

にっぽん最長現役作家の旅

 不思議な偶然というのは、なぜか連鎖して起こるものです。前回、「河合隼雄ほど偶然の出来事がよく起きる人もいなかった」という話を書いた翌日に、第1回の河合隼雄物語賞・学芸賞の授賞式に出席するため、京都に出張しました。

 午前中、慌しく用事を片付けて、デスクの上に置いてあった本書を手に取って会社を出ました。新幹線の車中で読もうと考えていたからです。

 ところが、新幹線に腰を落ち着けるやいなや、日頃の寝不足がドッと体の奥底からしみ出してきて、たちまち熟睡してしまいました。結局、ページを繰り始めたのは、京都駅に到着して、地下鉄に乗り継いだ時からでした。そして、先にチェック・インだけ済ませておこうとホテルのフロントに立ち寄ると、隣で同じように手続きしているのが、なんと著者の長男である阿川尚之さんだと気づきました。つい数分前、本を開きながら、そういえばしばらく会っていないなぁ、と思っていた当の相手がそこに立っているのです。どちらかといえば、そういう偶然が起こりそうもない、小さな地味めのホテルです。とっさに河合さんの引き合わせに違いない、とその笑い顔が目に浮かびました。

 そんな流れですので、今回のテーマは迷うことなく本書に落ち着きました。ちなみに、尚之さんとは翌日の朝食を一緒して、1時間半ほどお互いの近況や、妹の佐和子さんの活躍ぶりなどを、久々にゆっくりと話しました。思えば、阿川家の人々にはいろいろ長きにわたってお世話になってきましたが、何といっても著作を通じて、子供の頃から一番恩恵を蒙ってきたのは、本書の著者に他なりません。

 鉄道が好きだった息子のために、「アッちゃん」の作者である岡部冬彦さんが絵を描いて、文章は「中学、高校と一学年下のアガワという男」が書いていると言って、父親が買ってきたのが『きかんしゃ やえもん』(岩波書店)でした。『なかよし特急』(中央公論社)がその次でした。こうして、すっかり“鉄道作家”だと思って始まった著者との旅は、すでに半世紀を超えています。

 ところが、3年ほど前に「文藝春秋」の巻頭随筆の連載を終えてからは、作家活動の第一線を退いて、生活の拠点も都内の病院に移されたと聞いていました。ちょうどその頃、自分の父親を亡くしたこともあり、これでとうとう阿川さんとの旅も終点が近づいてきたのかとさびしく思っていたものです。それが驚くべきことに、この列車がまたゆっくりと始動して、次の駅に到着したのです。

「此の一冊はおそらく、七十年近い我が文筆生活を締め括る最後の一冊となるだらう」という本書は、これまで単行本や文庫に収録してこなかった短編小説や随筆に、吉行淳之介、遠藤周作氏を偲ぶ座談を加え、さらには1月に逝去した安岡章太郎さんを追悼する少し長めの「あとがき」を附した作品集です。「平凡な老境を迎へてゐる」とありますが、92歳の現役作家は、いまなお矍鑠として自分の文章を磨き上げることの手を緩めようとはしていません。

 阿川さんご本人の謦咳(けいがい)に初めて接したのは、42、3年前のことになります。ある出版社主催の講演会で、私の通っていた岡山の高校に来られたのです。申し訳ないくらいに、講演の中身は忘れてしまいましたが、「芦田伸介という俳優がおりますが……」という話の枕だったことは、なぜか鮮明に覚えています。世間ではどうも、「七人の刑事」の部長刑事とか、渋い役柄で通っているものだから、素顔もめったに笑わない、いかにも重厚な人物のように思われていますが、これが大きな間違いで……という調子で始まり、昨晩はこの芦田と麻雀をしていたんですが、いくら「明日は講演旅行だから」と言ってもこいつが解放してくれなくて、すいません、まだ頭がモーローとしております、という滑り出しでした。

 後はすっかり忘れてしまいましたが、『きかんしゃ やえもん』の話も、『春の城』、『雲の墓標』、『山本五十六』(すべて新潮文庫)の話も登場しなかったことは確かです。もう一つだけ、思い出しました。「頼朝公ご幼少のみぎりのされこうべ」という話です。落語で使われる時には少し設定が異なっているのですが、好きなのは、その時聞いた阿川さんのバージョンです。

 たしか鎌倉あたりの名刹だったと思いますが、そこに源頼朝の髑髏が宝物として陳列されているとか。ある時、見物人のひとりが不審に思って、案内役の寺の小僧さんに尋ねました。「なんでも源頼朝という人は、有名な大頭だったと聞くけれども、それにしてはこの髑髏は小さすぎるのではないか」――。すると、その小僧は慌てず騒がず、妙な抑揚をつけた独特の語り口調で、「さればでござる、これは頼朝公ご幼少のみぎりのされこうべにござる」と応じたという話。

「ご幼少のみぎり」が3歳だったか、14歳だったか、そのあたりは曖昧ですが、実際は51歳で死んだ頼朝のこのネタで、やや反応の鈍い高校生たちからドカンと笑いが来ることを講師は期待していたフシがあります。ところが現実は、シンとしたままでした。きっと「こいつら、ユーモアを解さない田舎者だな」と思われたに違いないと苦笑しました。そうやって思い出してみると、演題には「ユーモア」の4文字が入っていたような気もします。「人間の人間らしさを描き出すのが文学の使命であるなら、ユーモアといふものを作品の味つけ剤程度に考へてゐてはいけません」(「五里霧中の我が文学論」、本書所収)と作家の心得を説いている阿川さんらしい講演だったのかもしれません……。

 本書の最後には、遠藤周作さんを偲んだ北杜夫さんとの対談があります。そこに3人が昭和50年(1975年)にヨーロッパへ講演旅行に行った時の写真が出ています。それぞれに代表作を書き上げた頃で、3人ともに働き盛りの活力がみなぎっていて、阿川さんは口髭をたくわえています。

どくとるマンボウ航海記』(新潮文庫)に始まる北さんの「どくとるマンボウ」シリーズはすでに人気が確立していましたが、そこに遠藤周作さんの「孤狸庵先生」、安岡章太郎さんの「なまけもの」、吉行淳之介さんの「軽薄」シリーズなどが加わり、いわゆる「第三の新人」の軽妙なエッセイが次第に人気を博するようになりました。印象では、1970年(昭和45年)11月25日の三島由紀夫事件を境にして、そうしたブームが定着していったような気がします。阿川さんの講演を聞いたのは、その少し前だったような印象ですが……。

 さて、本書の表題にも掲げられた「鮨」は、これまで読んだことがありませんでした。てっきり題名から『食味風々録』(新潮文庫)のような食べものにまつわる自伝的作品を予想していたところ、違った趣の“自画像”的な短編小説でした。講演先で手土産にもらった寿司折りの扱いをどうしたものか――考えあぐねた主人公の「彼」が、上野駅で下車したら、これをそこにいる浮浪者に手渡そうとする話です。

 面白いのは、頭のなかで上野駅の浮浪者の姿を思い描きながら、あれこれとやりとりをシミュレーションする場面です。声をかけても見向きもされない場合はどうするか。相手が酔っていた場合はどうなるか。酔っていなくとも、剣突を食わされたらどうするか。兼好法師まで登場して、この思案は続きます。

 そうこうするうちに「列車は大宮を過ぎ、浦和、川口を過ぎ、荒川を渡つて」、どんどん上野へと近づいていきます。このスリリングな運び、そこからの意外な展開、そして余韻のある締め括りと、簡潔な描写で見事な一篇が生まれています。
 
〈彼の郷里から近い瀬戸内海大三島の、大山祇(おおやまづみ)神社の神事に、一人相撲といふものがある。神事に奉仕する家は、代々決つてゐて、世襲の力士と世襲の行司とが、大相撲にそつくりの土俵を「残つた残つた」でつとめるのだが、取る相手は神様だから、どうしても人間の方が負ける。神様といつても、神社の祭神ではなく、稲の精霊ださうだが、行司の軍配さばきよろしく大きな力士が精霊と取り組み、技をつくして結局勝てない土俵上の名演技に、島の観客衆が沸くのだといふ〉
 
 自分も浮浪者と一人相撲を取っていたおかげで、車中の2時間あまりを少しも退屈しないですんだ、と思いいたるところは笑いを誘います。ここで大三島の話がいきなり出てきたのは意外でしたが、少し解説を付け足すと、大三島といえば瀬戸内海の海上交通の要衝にあたり、大山祇神社は海の神、戦いの神を祀った神社として知られています。源頼朝、義経らが奉納した鎧、兜をはじめ、数多くの武具が納められ、歴代天皇、源氏、北条氏、足利氏ほか、戦国武将たちの尊祟を集めてきました。近代以降も伊藤博文や山本五十六らが参拝しているといわれます。

 そこで、毎年旧暦5月5日に行われるのが御田植祭で、白衣に赤い襷、手甲、脚絆をつけた16名の早乙女が「斎田(さいでん)」と呼ばれる神聖な田んぼで御田植えを奉仕し、向かいの祭場では「一人角力(ずもう)」の神事が執り行われます。「片や精霊、精霊! こなた一力山、一力山!」と東西から対戦力士が呼び出され、稲の精霊を相手に力士役の青年が、押しつ押されつ、がっぷり四つに組んでの熱戦は、3本勝負で先に2勝したほうが勝ちとなります。1勝1敗の後、渾身の力を尽くした一力山が、惜しくも精霊の前に屈するところで、観衆は拍手喝采です。これで神様は気を良くして、今年も豊作をもたらしてくれるだろうという五穀豊穣の祈願です。
 
〈彼は見たことが無いが、兼好法師の時代すでに神社の記録に出てゐる行事の由で、少くとも七、八百年つづいて来たそれが、最後の力士役老いて九十何歳、後継者が見つからず、近く絶えると聞いてゐる〉
 
「鮨」という作品が雑誌に発表されたのが、平成3年(1991年)の12月。実際、昭和59年(1984年)にいったん途絶えてしまったこの行事でしたが、平成2年(1990年)からは再開され、同11年(1999年)の「しまなみ海道開通」を契機に本格的に復活しています。「大三島の一人相撲は、なくなってしまう前に是非見ておいてほうがいいですよ」と阿川さんに勧められたことを思い出します。

 それにしても、「鮨」の一篇を読み終えて、おそらく多くの読者がそう思うように、私も慌てて、阿川さんの文学上の師である志賀直哉の「小僧の神様」を読み返しました。すると、両作は合わせ鏡のように、さまざまな連想を生んでいきます。単純な“ひとりよがり”の意味でない一人相撲の話があそこでなぜ出てくるのか。「小僧の神様」を対比すると、そこにまたより深い味わいが導き出されます。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)

 
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