秋号では、活字とウェブをめぐるエッセイを13人の方にお寄せいただきました。今回は、その一部をご紹介します。「そもそもパソコンを持ってないし――」というのは橋本治さん。「ブログと活字と両方で書いている」から原稿依頼があったのだろう、という内田樹さんは、「著作活動の対価」という概念がよくわからないとして、以下のように書いていらっしゃいます。

ぼくの場合は、とりあえず「言いたいこと」が山のようにあって、できるだけ多くの人に私の意見にご同意願いたくて書いている。ですから、ぼくと同じ意見を述べている人が存在するという事実が最大の「対価」です。……ですから、読んだ人が「これはまるで私自身の意見のようである」と思って、自分の名前でそのまま発表されても、ぼくとしては「同志がいた」とうれしがることはあっても、「真似するな」とか凄む道理がありません。

「馬」や「ひろい」「まとめ」という活字組版の世界でつかわれていたことばに、人間の仕事をまぢかで見ているような気持ちになるという荒川洋治さん。「私は出版こそ、多品種少量生産に向いていると言い張りたい」といういとうせいこうさん。この十年、活版印刷をめぐって取材をつづけ、昨年、大日本印刷市谷工場の活版印刷所が解体される直前にも足を運んだ内澤旬子さんによる「さよなら、活版」。「活字がニュー・メディアになる未来」として、「サイバー・ノマド」と読書人を対立させる議論の不毛さについて書いてくださったのは佐藤卓己さん。

そして、個人の蔵書とグーグルブックスのちがいをめぐっては、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で日本文学を教えるマイケル・エメリックさん。

グーグルブックスの世界を渡り歩くと、蔵書票が貼ってある本に山ほど出会う。……当然、図書館の蔵書印も捺してある。最後までスクロールすると、貸出カードも入っていたりする。……個人の、その人の人生が息づいた書籍が、馴染んだ本棚を離れ、宿していた記憶を消し去り、図書館という倉庫に運び込まれ、どこの馬の骨か分からない本達と一緒に並ぶ。……そして、やがてグーグルブックスという高級ホテルに、本たちは収まる。そこでは、もう誰にも読まれはしない。

毎日のようにグーグルブックスを研究資料として利用しているエメリックさんは、そのことと「読む」という行為とのあいだの大きな隔たりを感じていらっしゃるようです。

ご自分のおかあさんの携帯メールにちりばめられた「爆弾マーク、汽車、風船、スマイル」から、「『自分の字』の現在、未来」について書いてくださったいしいしんじさんなど6人の方々のエッセイについては、また次回ご紹介しましょう。