Kangaeruhito HTML Mail Magazine 553
 
 当用現代史のすすめ


「八月や六日九日十五日」(荻原枯石)

 このところ歴史認識だ、憲法改正だという声が賑やかになっているせいか、今年はいつにもましてこの句が頭に浮かんできました。そして、例年にもまして“8月”銘柄の本が気になりました。最初に手にしたのは『立ち上がるヒロシマ1952』(岩波書店編集部編、岩波書店)という写真集でした。

 1952年(昭和27年)といえばサンフランシスコ講和条約が発効した年です。日本が主権を回復し、「占領下」の状態から脱したのはこの年の4月28日。その最初の原爆記念日にあたる8月6日に、2つの画期的な出版物が世に送り出されます。

 ひとつが、飯沢匡(いいざわただす・後に劇作家としても活躍)編集長の勇断によって生まれた「アサヒグラフ」(朝日新聞社)の原爆特集号です。GHQから焼却処分の指示があったにもかかわらず、社に秘蔵してあった原爆被害の生々しい写真を、1冊丸ごと特集。定価40円、即日完売、4回増刷、計70万部出たといわれます。原爆報道の制限が解かれたとはいえ、あまりに無残な写真を出すべきか出さざるべきか。「頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ……」と終戦の勅語をつぶやきながら、室内を静かに歩いていた編集長が、くるりと振り向くなり、「やりましょう!」と放ったひと言に、「私はかすかに身ぶるいをした」(扇谷正造)という証言があります。この号の巻頭リード文を読むと、その時の緊迫感が伝わってくるようです。
 
〈この特集を見て、思わず目を蔽う人々は多いことであろう。……だが、果して何人の日本人が、その残虐の真実を知つているであろうか。大部分の日本人は抽象的な記述と巨大な茸型の雲の写真などによつてのみ、その残虐さの片鱗を知るだけであつた。これは偏えに占領期間中、あらゆる被害の残虐を伝える報道と写真が検閲され、公表を禁じられていたからに他ならぬ〉
 
 さて、もう1冊の本が岩波写真文庫の『廣島――戦争と都市』です。同じ日に発売され、こちらは定価100円。やはり即日完売し、増刷を繰り返します。今回の『立ち上がるヒロシマ1952』は、この時にほとんど掲載されないまま残された100数本のフィルムから選ばれた未発表の作品です。撮影者は名取洋之助、長野重一という二人のカメラマン。ピカドンの日から7年が経ち、「75年間は草木も生えない」と言われた焦土から、まさに立ち上がろうとする街の姿がそこにはあります。

 建設中の原爆資料館や、駅前に広がるマーケットの賑わい、そして何と、みやげ物屋に並ぶ「廣島一のおみやげ アトム焼」は原爆ドームをかたどった置き物のようです(1ヶ200円!)。たくましく現実を生き抜こうとする人々のエネルギーに目を見張ります。1953年生まれの私は、この写真が撮影された数年後からほぼ毎夏、父方の祖父母の家があった市内を訪れることになりますが、遠い記憶を呼び起こす手がかりはないものかと、じっと目を凝らしてページを繰りました。

 前回、紹介した『演説はどこへ』の著者である岩見隆夫さんの近著『敗戦 満州追想』(原書房)も興味深い1冊でした。旧満州大連に生まれ、敗戦後引き揚げるまで11年4ヵ月を過した「満州」とはいったい何だったのか。見方によってさまざまな相貌を表わす「満州」という謎に、個人的な体験に即しながら向き合おうとした入魂の書です。

 著者は5月に末期の肝臓がんが見つかり、「サンデー毎日」連載の時評でその事実を明らかにしました(6月16日号)。しかし、その後も変わらず健筆をふるう姿には、ただただ頭が下がります。本書はこれまで雑誌に連載していたものを「余命知れない入院生活に入った」のを機に、急ぎ刊行したのだといいます。「満州を体験的に知る人はもはや少ない。素材だけでも多く残しておかなければならない」という思いからでした。
 
〈満州興亡の歴史の深層には、日本国と日本民族の優越性と劣等性がともに隠されている……満州の解剖は二十一世紀の日本の生き方を考えるうえで有用に違いないが、簡単な作業ではない。
 心すべきは、思い込みを排すること、過度の正当化を慎むこと、必要以上の自己卑下に陥るのを避けること、ではなかろうか〉
 
 著者の歴史観が随所にうかがえます。
 
〈私たちの満州体験から得た貴重な教訓は、いかなる形であろうと二度と戦争をしてはならないこと、しかし、もし戦乱に巻き込まれたら絶対に負けてはならないこと、の二つに尽きる。国破れることほど民族にとっての大悲劇はない。ところが、負け戦回避のための考察と備えが戦後の日本に欠けていた。信じがたい平和馴れである〉
 
「歴史のなかの満州」を、あらゆる角度から検証・分析し、日本と日本人の地政学的、国際政治的、民族的特性を正しく認識するための一層の知的努力を、著者は熱く説いてやみません。

 この岩見さんのメッセージを、やや違うアプローチで引き取りながら、「未来を切り拓くための歴史、これからの歴史をつくる人々を読者として想定した歴史が書けないか」と試みたのが、谷口智彦さんの『明日を拓く現代史』(ウェッジ)です。
 
〈未来の課題を知ろうとするには、現在の制約や、可能性に通じていなくてはならない。そして現在の仕組みや慣習、外交関係が何ゆえこのようなものであり、それ以外のものでないのかを知るには、今日に至るまでの前史を知らなくてはならない〉
 
 現在は内閣審議官という立場にある著者ですが、元来は国際政治経済に通じたジャーナリストです。したがって、長年の記者生活によって得られた知見と実感をもとにしながら、「いまを生きるわれわれ」の“当座の用”に役立つ現代史を書けないか、というのが本書の狙いです。想定読者もきわめて具体的です。まずベースになったのは慶應義塾大学大学院(システムデザイン・マネジメント科)で受け持った講義でした。
 
〈毎週A4の紙で一五枚ほど書き下ろしの原稿をつくり、それを土台に、教室で話をあれこれ膨らませ、四〇人ほどの院生諸君と現代史の面白さを味わいました〉
 
 全部で10講。そして、著者が心ひそかに想定読者としてイメージしたのは、「海上自衛隊仕官候補生」だったといいます。2011年8月、海上自衛隊練習艦隊に同行し、カナダのハリファクスから大西洋を南下し、パナマ運河を太平洋側へ抜けるまでの11日間、訓練を続ける見習士官たちと航海をともにしたことがその契機となりました。

 彼らが艦長や司令官になるまでに、あと20年余。さて、その頃の日本はどうなっているのだろう? 彼らの前に広がる海は「平和の海」なのか。いや、そもそもこのような遠洋航海を、彼らは当り前のことだと思っているかもしれない。しかし、1945年に国は戦争に敗れ、旧帝国海軍は解体されたのだ。そこから海上自衛隊が産声を上げるまでの経緯や背景、さらには現在に至るまでの紆余曲折を誰かが彼らにきちんと教えたのだろうか……。
 
〈そんなとき、未来を切り拓くための歴史、これからの歴史をつくる人々を読者として想定した歴史が書けないかと、ふと思った。もっというと、不安や自信のなさで押し潰されそうな表情を隠しようもなく見せる若い見習ネイビー士官たちを想定読者として、彼らが「いまどこにいて、これからどこへ向かうのか、どこへ行くべきなのか」を考える際の材料となるような歴史が、自分には書けないだろうかという着想を抱いたのである〉
 
 したがって、テーマもきわめて実践的です。米国がつくった世界システムとは何か。なぜ日本はそのシステムでうまく成長できたのか。中国はこの先どういう国になるのか。日本は果たして、これからも立派に生きていけるのか、等々です。あくまで当代当用に役立つ歴史記述をめざし、そのためには、自分を育てた親や祖父母がどんな時代を潜ってきたのか、という身近な関心に応えることを旨としています。そして、これまで視界からこぼれ落ちていた他者像があるとするならばそれを補填し、見れども見えずにいた自画像については新たにそれを自覚することによって、自分たちが世界で生きていくために何を拠り所とすべきか、信奉すべき価値とは何かを明らかにしようと試みます。

 1964年の東京オリンピックの感動に始まり、日本人が知らない1962年の中印戦争の歴史的教訓、第二次世界大戦を経て、覇権国家として台頭する米国の前に、特権剥奪という屈辱にまみれざるを得なかった英国が、その後に見せたリアリズムとプラグマティズムのしたたかさ、1971年のニクソン・ショックの今日的意味、中国の近過去の歩みと今後の「リスク」の見通し、といった粒よりのテーマが、興味深いエピソードとともに鮮やかに論じられています。
 
〈「戦後」がどんな時代だったか想像してもらうため、小林秀雄が一九六二年に書いた珠玉のエッセイ「人形」を読んでもらったことがあります。食堂車で、小林が相席になった夫婦の携えていた人形をめぐる随筆です。一匙、一匙、向かいの席に座る女性は、その人形の口に食べ物を与えるしぐさをする――。そこを読んだだけで、鋭敏な学生は、若者の夥しい犠牲のうえに初めて成り立った戦後という時代の情景を理解してくれました〉
 
 あるいは、中国の女子高校生が1年間、沖縄の高校に留学し、帰国に際して語った感想が紹介されます。
 
〈文化祭の準備は毎日遅くまで続きます。そんなある日のこと、私は部活の仲間の一人と、非常階段の踊り場で、沖縄の海に沈んでいく夕日をなんだかじっと見ていました。海と地面がオレンジ色に染まっています。わたしはいま、こうしてここで、仲間と夕日を見ていると思いました。あのときの沖縄の夕日、そのオレンジの色を、わたしはきっと一生忘れないと思います。
 ふと振り返ると、キャンパスは薄暗くなろうとしています。そこにひとつだけ、ほんのりと明るい、温かそうな部屋が見えました。ああ、あれがわたしたちの部室だ、美術部の部屋なんだと思った……〉
 
 ひたすら勉強、勉強、勉強という中国から来た高校生にとって、毎日、友人たちと長い時間をともに過ごす「部活」は新鮮で、かけがえのない体験でした。帰国を前に、「部活」の楽しさを語るのは彼女に限った話ではない、といいます。私たちにとっては当り前過ぎて、空気のような存在である「部活」が、それほどまでに日本の「キラー・アプリケーション」だとは、彼らに教えられなければ気がつかないことでした。

 これはほんのささやかな一例に過ぎませんが、ありふれて見える日常の中に日本人が自信を抱き、自尊の拠り所としていい何かが潜んでいないとは限りません。近過去に対する想像力を喚起し、同時に自分の足もとを照らしだす――著者は自らの体験をまじえながら、この探索の作業をさも楽しげに綴っています。「自己卑下に陥らず、さりとて尊大にもならず、自分と自分たちの国に自信を持つ楽観主義者こそが、次代を切り拓いていける」という確信が、この"当用現代史”の筆を執らせています。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)

 
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