Kangaeruhito HTML Mail Magazine 555
 
 「水軍まつり」の島(夏休み日記 その2)
 
 川本三郎さんは小津安二郎の「東京物語」を見るたびに、大三島(おおみしま)というのは「どんな島なのだろう」と気になって仕方がなかったと書いています(『日本映画を歩く』中公文庫)。母親の東山千栄子が亡くなって、4人の子どもたちと、戦死した次男の嫁の原節子が尾道の家に集まってきます。父親の笠智衆を囲み、家族が久しぶりに揃って精進落としの食事をする場面。思い出話に花が咲くうちに、「ほら、春休みにみんなで大三島へ行ったとき」と杉村春子が言います。「ああ、そら僕も覚えとるわ、お母さん、船に酔うてしもて」と大坂志郎が受けます。すると、笠智衆がしみじみと言います。「ああ、そんなことがあったかのう」。

 映画の平山家は、今回の私と同じように(No.554、前回参照)、大山祇神社に参拝するために大三島へ行ったのだと思います。彼らは尾道から船に乗り、島の井口港に着いたのでしょう。いまは芸予諸島の島々を縫って、尾道・今治を結ぶ全長約60キロの「しまなみ海道」が開通し、尾道から向島(むかいしま)、因島(いんのしま)、生口島(いくちじま)、そして大三島へは、自動車でも自転車でも簡単に行くことができるようになりました。便利といえば便利ですが、海から港が見え、やがてそこに船が吸い込まれていく時の、心が躍るような高揚感は望むべくもありません。

 ところで、その尾道へは新尾道からではなく、新幹線を福山で降りて、在来線で向かいました。正しい尾道へのアプローチは山陽本線以外にない、という揺るがない信念があるからです。一度でもこの路線に乗った人なら知っている通り、林芙美子が書いた一節は、いまなおその生命力を失ってはいません。
 
〈海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ。緑色の海向うにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた〉(『放浪記』、新潮文庫)
 
 近づいていくときの感動はまさにこの通りです。尾道の町と向島との間を流れる狭い尾道水道に沿いながら、列車はしばらく海と並走します。駅の手前に来ると、列車の速度が次第に落ちてきて、踏切に立つ人の表情がはっきりと目に映ります。この時の胸の高まりはいつになっても変わりません。

 さて、この町について書きたいことは山のようにありますが、今回のメインテーマは因島です。なぜこの島に来ることになったのか、といえば、8月24、25日に行われる「水軍まつり」を見に来てはどうか、とお招きを受けたからでした。「水軍まつり」というのは、14世紀から16世紀にかけてこの一帯で名を馳せた村上水軍にちなんだお祭りです。行政区分でいえば、愛媛県の能島(のしま)、来島(くるしま)、そして広島県の因島の、三つの島に分かれて本拠を構えた三島村上水軍家のうち、因島村上の23代目当主が、実は私の家内だというのが、お誘いを受けた理由です。

 前回書いたように、私も大三島にゆかりの深い伊予の河野水軍の末裔で、家内もそういうルーツですから、今回はお互いにとって“巡礼の旅”となりました。しかも、二人ともこの「水軍まつり」を見るのは初めてです。平成の御世に村上水軍の物語から何が現れるのか。余計な先入観は持たないで、まずは体験しようと出かけてきました。
 島では因島水軍城、因島史料館に立ち寄った後、菩提寺である金蓮寺(こんれんじ)を訪ねました。境内の山の斜面には、おびただしい数の村上水軍将士の墓塔が並んでいます。秀吉の海賊禁止令と関ヶ原の西軍敗北によって、村上水軍が因島を離れた後、いったんは廃寺に追い込まれた金蓮寺でしたが、寛政年間に再興され、その後、退去した水軍の末裔たちが先祖の墓をここへ運んできたものと推定されています(森本繁『村上水軍全紀行』新人物往来社)。ざっと見た限りでは、100基ほどが身を寄せ合って眠っている、という感じでしょうか。
 全体で2日にわたるお祭りは、1日目が「火まつり」、2日目が「海まつり」という2部構成です。「しまなみビーチ」を会場に、水軍太鼓の響きとともに幕が開き、太鼓の競演で盛り上がった後は、村上水軍の戦勝を祝い、凱旋の時に踊った「跳楽舞(ちょうらくまい)はねくらべ」というコンテストが続きます。幼稚園児からシルバー・エイジまで、全部で11のチームが思い思いの衣装と振り付けで、創作ダンスを披露します。

 気づくと、いつの間にかとっぷり日が暮れて、背景は漆黒の海と化しています。金蓮寺の灯明からいただいたという火を松明に点し、やがて篝火(かがりび)が焚かれます。そして、厄年と還暦を迎えた男たちが、長さ5メートルという2つの大松明を抱えて場内を練り歩き、最後はそれをぶつけ合うという勇壮な清めの儀式が続きます。火の粉、白い灰が闇夜に舞い上がり、天をも焦がすとはこういうことかと思います。こうして浄火によって照らしだされた本陣に、鎧、兜に身を包んだ武者たち約80人が登場し、松明を掲げて練り歩いた後は、村上水軍の兵法にならって、砂浜の上で陣形を披露するパフォーマンスです。
 ……とここまでを、屋台の「はっさくソフトクリーム」や「たこ飯」を食べながら気軽に楽しんでいたのですが、どの演目からもはっきり伝わるのは、参加者たちの熱気です。第1回が1991年(平成3年)だそうですから、バブル景気がはじけた直後から、手づくりで育てあげてきたイベントでしょう。

 因島はかつて造船の島として名を馳せていましたが、その波が去り、「島が沈む」とまで言われた造船不況のさ中に、おそらく有志が声を掛け合って考え出されたのが、水軍まつりだと思います。島に伝わる伝統的な祭りとは別に、それ自体が新しいコミュニケーションを生み出す「場」の創出。「参加」と「交流」がキーワードとなるような演劇的な空間づくり――。

 この日は午後から小雨が降り、開催が危ぶまれる天候でしたが、「ここまで先輩たちが作り上げてきた水軍まつりを23回目にして中止にだけはしたくなかった」という実行委員長の開会宣言がありました。ビーチで繰り広げられる“歴史絵巻”のひとつひとつからも、その情熱、心意気が伝わってきます。

 さて、村上水軍の武者全員が集合したところで、当代ご当主(家内のことですが)が登場し、因島村上23代目として“感謝”の言葉を述べました。そして「火まつり」のフィナーレを締め括るのは、夜の海にもとどろく大筒花火。今年は隅田川花火が夕立のために30分で中止になりましたが、こちらは何とかお天気が踏みとどまってくれました。

 ところが、翌日はまた朝から悩ましい天候に見舞われます。かなり激しい雨。8時半から始まる予定の「海まつり」の実施は、しばらく様子を見て判断することになりました(その合間を利用して、大三島へ行ってきたというわけです)。幸い、昼近くになるにつれ、天候はみるみる回復して、出場34チームが満を持していたこの日の目玉、「小早レース」の開催が決まります。
「小早レース」とは、村上水軍の伝令船「小早」を再現し、櫂の漕ぎ手14人と舵取りの船頭、太鼓の打ち手の計16名が乗り込んで、約1.2キロメートルのコースで速さを競うもの。少し沖に出ただけで潮の流れはかなり急らしく、船頭の差配いかんで勝負の行方が左右されます。草レースのなごやかさがある一方で、かなり気合の入っているチームもあり、スタート地点の様子は見ものです。

 何組かで予選を行い、勝ち上がっていくトーナメント方式。赤い旗が振り下ろされるのを合図に、各艇が一斉に漕ぎ出します。ふだん町で会うとコワソーなお兄さんたちが、チーム一丸となって櫂を漕いでいる姿も感動的ですし、「海上自衛隊輸送艦くにさき」チームは、鍛え抜かれた屈強の精鋭ぞろいと思われたにもかかわらず、結果的には24位。現代の海の英雄も「小早」の操作はどうも勝手が違うようでした。また平均年齢51歳超というチームが健闘したり、職場、学校、いろいろな横のつながりでレースに臨んでいる様は、こうしたレースが「嫌いでない」私自身の血も騒ぎます。
 そして思うのは、瀬戸内海の風景が変わったな、ということです。自然そのものが変わったのではなく、われわれの見方、目のほうが変化したな、ということです。

 私が瀬戸内っ子として育ったのは、高度経済成長期のただ中でした。1962年(昭和37年)に策定された第一次全国総合開発計画によって、「新産業都市」という名の15地域が認定されます。その優等生と言われたのが、たとえば隣県岡山の水島工業地帯でした。瀬戸内海に面した地の利を活かして、巨大コンビナートが次々に誘致され、「拠点開発方式」が推進されます。日本経済が拡大を続け、経済成長こそが幸せをもたらすという分かりやすい構図が浸透していた時代です。

 煙モクモクの工場は発展の証し。瀬戸内海国立公園の美しさは大事な資産ではあるものの、それとは違ったフィルターで多くの人が海を見始めていたのです。日本の発展を支えるための「手段」としての瀬戸内海。海上の道にも島の暮らしにも、産業社会の時間が流れていました。水軍などといったレトロな話は、よほどの歴史好きの酔狂な領域で、そこに生活する人々にとっては縁遠い、いわば忘れられた物語でした。

 その時代はまた、地域社会の意味合いが後景に退きました。私たちがちょうど中高校生になった時分、住んでいる地域の祭りなどは、いい若い者が夢中になって関わる行事ではありませんでした。そんなものに熱中するヒマがあったら、他にすることがあるだろう、と言われるのがオチでした。伝統的な祭りは、どこか“魂”が抜けて見えました。こちらの意欲も萎えていましたが、祭り自体も形骸化しているように思えたのです。

 ところが、今回、目の当たりにしたのは、老いも若きも進んで参加している姿でした。しかもイベント会社主導ではなく、地元の創意と工夫で作り上げてきたものでした。驚きとともに、胸を打たれました。3・11以降、コミュニティの絆ということが盛んに言われますが、ここにも確実に新しい時間が流れ始めていると感じました。

 人間の側の意識が変われば、海の風景も地域社会も違って見えてくるはずです。因島村上水軍の歴史が地域を束ねる新しい物語として“発見”され、活用され、感動の仕掛けとしてどう展開していくか――。「水軍まつり」の行方が、海人の末裔としては気になります。
 
「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
 
*「週刊新潮」に1年半連載された和田竜さんの最新歴史小説『村上海賊の娘』(上・下巻)が10月下旬に弊社から刊行されます。時は織田信長の時代。舞台は信長が本願寺を攻めた石山合戦。三島村上家が信長軍に海戦を挑み、見事勝利します。
 
* 来週は一回お休みして、次回の配信は9月19日となります。
Copyright 2013 SHINCHOSHA (C) All Rights Reserved